犬山城御家騒動記

国宝「犬山城」は、濃尾地震後の再建を条件に旧城主成瀬家(隼人正−尾張藩筆頭家老−慶応4年(明治初年)に独立藩主(3万5千石)になる)に払い下げられたため、国宝の城で唯一の個人所有の天守閣です。
現在の持ち主は成瀬正俊氏で、実際の管理は契約により犬山市が行ってきました。成瀬家へは、1964年以降、市から登閣料の40%か最低保証の2千万円が支払われてきましたが、ピークに年間62万人あった入場者が、1999年には21万人に落ち込み、犬山市が契約見直しを求め、「江戸」在住の城主と国家老のときならぬお家騒動になりました。
しかも新契約がまとまらず、2000年4月から犬山市は文化財保護法の管理団体指定を楯に一方的に管理を続け、成瀬家は管理区域は天守閣に限るはずと主張して対抗、江戸時代というより戦国時代並の「下克上お城乗っ取り」状態になっていました。
しかし、2001年3月1日に、犬山市と成瀬家との和解成立が発表され、11ヶ月ぶりに御家騒動が決着しました。
和解内容は、ほぼ市の主張に沿ったもので、最低保証の2千万円などは撤廃され、拝観料から管理維持費を引いた実利益が、成瀬家から書画などの所蔵品の提供を受けて公開する対価として、支払われるというものです。
同時に、市の管理区域も、周辺敷地、山林、関連施設も含むこととなるなど、領地拡大にも成功。「幕府」の文化庁を味方につけた「国家老派」の全面勝利となりました。
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