189
  直流特急形電車
  「あさま」
          (国鉄)



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[5所属]KATO社製)10-528 「編 成」へ
JNR Limited Express Train Series 189 “Asama”  


(上野~長野直江津(信越本線))

 群馬、長野両県にまたがる標高2,568mの浅間山は、信越本線沿線のシンボルとして親しまれています。その浅間山にちなんで「あさま」の愛称がつきました。
 「あさま」の愛称の歴史は、1961年(昭和36年)3月から新潟~小諸間で気動車準急から始まりました。横川~軽井沢間が全面的に新線による粘着運転となった1963年(昭和38年)10月の改正で愛称名が整理され、「あさま」の名はしばらく消えていました。1966年(昭和41年)10月、信越本線長野~直江津間が電化されると同時に、同線に待望の特急電車が運転されることになり、3年間のブランクを経て信越本線初の特急にその名が復活しました。
 「あさま」にとって最大のネックは、碓氷峠の休勾配区間を控える横川~軽井沢間でした。1975年(昭和50年)から特急「あさま」用として189系が登場し、181系を置き換えるとともに、12両化が実現し大幅な輸送力アップとなりました。車体は183系をベースに前面を非貫通化したり、耐寒耐雪装備を強化しています。また、この碓氷峠専用の補助機関車として特化したEF63機関車が活躍しました。
 横川~軽井沢間の勾配を登る下り列車(横川→軽井沢)を押し上げ、勾配を下る上り列車(軽井沢→横川)は発電ブレーキによる抑速ブレーキとなるという機能がある、EF63直流電気機関車が必ず勾配の麓側にあたる横川側に連結されていました。
 EF63は、この碓氷峠専用の補助機関車として特化した機関車です。このことから「峠のシェルパ」、もしくは形式称号から「ロクサン」の愛称があります。

 1997年(平成9年)930日、日本の鉄道史上欠くことのできない信越本線 横川~軽井沢間の通称「碓氷峠」は廃止され、とともに在来線「あさま」の名は消えましたが
1997年(平成9年)101日に北陸新幹線の高崎駅~長野駅間が通称・長野新幹線として先行開業した際に東京駅~長野駅間のE2系」の列車愛称に転用され、現在に至ります。2015年(平成27年)314日、北陸新幹線の長野駅~金沢駅間開業時の列車名公募でも第7位となり(第1位は「はくたか」)、「長野への新幹線として親しみやすくわかりやすいため」という選定理由から、引き続き「あさま」の名は、東京駅~長野駅間の「E2系、E7系・W7系」で区間列車として運行されています。




室内灯:KATO新室内灯112-206(6P)

カプラー:付属


「あさま」1978年(昭和53年)頃の長野電車区所属のN104編成
←上野・大宮・高崎・横川 軽井沢・小諸・上田・長野・黒姫・妙高高原・直江津→
1号車 2号車 3号車 4号車 5号車 6号車 7号車 8号車 9号車 10号車 11号車 12号車
クハ
189
-509
モハ
188
-13
モハ
189
-13
モハ
188
-30
モハ
189
-30
サロ
189
-110
サロ
189
-9
モハ
188
-31
モハ
189
-31
モハ
188
-43
モハ
189
-43
クハ
189
-2


編 成


EF63直流型電気機関車   横川~軽井沢間
1次形 EF63-12
三菱
2次形 EF63-19
川崎
   
上野・大宮・高崎・横川   1978年(昭和53年)頃の長野電車区所属のN104編成
1号車
クハ
189-509
4号車
モハ
188-30
5号車
モハ
189-30(M)
7号車
サロ
189-9
12号車
クハ
189-2
軽井沢・小諸・上田・長野・黒姫・妙高高原・直江津

  

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