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アルバム「MIDIAN」から

解説のようなもの

監督、脚本を原作者のバーカーがしているので、映画はほぼ小説に準じたストーリー。小説の骨組みに+アルファという感じ。映画版のみの登場人物やエピソードも有り。状況設定と進行を、適当に端折ってつなげている。うまい具合にストーリーが進むのはやはり、原作者が監督しているからだろう。逆に、映画版から先に見た人は、小説が冗長に感じるかもしれない。ちなみに、映画も小説も、人間はあくまでも悪者。

映画版はごくシンプルな設定のみで作られているので、小説を読まないとわからないことも多い。特に登場人物の心の動き、その世界の設定、いわゆる「行間を読む」ような物も多々ある。それ以上に後々の苦難を想像するような、切なくなるラストになっていて、映画版の「なんかよくわからないけど、よかったね」的な終わり方とは真逆である。

ローリーがブーンを探して、地下都市(ミディアン)の中を歩き回るシーンがあるのだが、結構な時間を割いてミディアンの住人達を描いている。これを見ると、バーカーは、クリーチャー達の表現に重点を置きたかったのではないかと思った。ラストとかストーリーの運びは置いといて。

で、自分が気になっている事のひとつに、小説にはなかった「いつもは地下牢に封じている」「夜の種族中でも一番凶暴な異形のものたち」がある。ブーンはデッカー&警官隊とのバトルの際に解放したが、暴れて悪さをするから地下牢にいたはずなのだが。連中、最後にはどうなったんだろう?

映画冒頭タイトル部分で、ブーンがペロキンに噛みつかれて以後の、ミディアンの行く末が表現された壁画が出てくる。自分にはどうしても、「風の谷のナウシカ」(1984年公開)のタイトル部分のオマージュ(ストレートに表現すると“パクリ”)に見える。

1990年の映画という事もあって、ファッションや髪型等が野暮ったいが、時代的に仕方ない。造りはチープだが、クリーチャー等はわりといい出来だと思うし、ミディアン内部のセットも手が込んでいる。でもせめて、主人公は原作の設定通り「自身過小で悲観的で儚げという雰囲気」にして欲しかった。クレイグ・シェイファーの顔の造りは男っぽいので、小説から読んだ人間は、ちょっと不完全燃焼をおこすのである。もっとも、映画自体、ブーンの精神的な所をていねいに描くことをしていないから、それにこだわるのもナンセンスかもしれないけど。

小説ではシェア・ネックに程近いであろうゴーストタウンの外れの、墓地の地下にミディアンはあったが、映画では何もないところに、いきなり墓地がある。予算の都合で、ゴーストタウンまで作れなかったのだろうか…。

この作品は確かに気味の悪い物は出てくるし、血まみれで、映画の分類もホラーだが、それほど怖い物ではなかった。ホラーの要素のあるファンタジーで…いや、バーカー自身「ホラーとダーク・ファンタジーの分野の第一人者」として紹介されとるじゃないか。

本作中クライマックス、ミディアンでの対決のシーンでは、理由はわからないがブーンは全裸で居る。そしてそれを、デッカーが「うっとりして」見ている…というところがあり、なんだか妙に艶かくて、元腐女子の自分はちょっと困ってしまったのだが、バーカー氏の経歴を知って超納得。わからない方はWikipediaあたりをご参照あれ。