この日、システム管理を担当している若い衆と一緒に昼飯をステーキ屋まで食いに行く。ここで話を聞く。 なんでも、システム管理の負荷を減らすために、現在自分達の部署で運用しているサーバをなくすかもしれないという。 それは大変だ、ということで帰ってきてから隣の同僚にその話をした。 彼はそう動じた様子もなかったが、早速バックアップの工面を考えていた。 最後に私は一言言った。「今日は4月1日だけれど、その手の冗談ではないよ」
昨年度の目標管理の面接を上司と行う。
新人診断士歓迎会に行く。話を聞く。野村支部長の話など、先輩診断士の話など。懇親会など。
床屋に行く。本当はきのう行きたかったのだが、まあよしとする。 店の人に越谷から北方面の花の名所をいろいろ教えてもらう。 藤は騎西町が、つつじは館林がいいとのこと。それから、 清水公園(東武野田線の清水公園駅目の前)は広くていいという。 きょうは床屋のあとはどこにも出かけずに過ごした。 昼飯には和風スパゲッティを食べる。ベーコンが入っている。 忠誠死亡^H^H^H^H中性脂肪にならないか心配である。
春にはいつも知人からたけのこを頂くので、たけのこ御飯をたくさん作る。 翌日にその残りを弁当として持っていくのである。たけのこはこの間の土曜日に届いた。 知人に感謝する。
電車の中で「ギリシャ悲劇入門」を読む。普段読まない分野なのでわからない。 SUICA に 1000 円前金納入する。
合唱団の飲み会。 マレーシアから帰ってきた M さんの歓迎会。 シューマン論争をまたすることになるのだろうか。
中性脂肪がこわいのにもかかわらず、昨日は飲んでしまった。 きょうは、初めての弁当屋で買う。揚げ物が多い。それでもみんな食べてしまう。 電車の中で「たのしい Ruby」を読む。 トム・デマルコの「ピープルウェア」が家に2冊あることに気付く。 同じ本を2冊買ったのはこれが3度目。恥ずかしい。
会社では ISO の審査。疲れる。 電車の中では土屋賢二の「われ笑う、ゆえにわれあり」を読む。 C マガジンを買う。電脳パズルの正解者に私の名前が載った。 最近パズルを解いていないなあ。 応用経済時系列研究会の会費納入請求が届く。もう入るのをやめようかな。
朝は「計算機プログラムの構造と解釈」を読む。まだ lambda が使いこなせない。 昼前に家を出る。電車の中から外を見ると、綱を振り切って駆けている犬が見えた。 昼は北千住駅でなめこそば。目的地は合唱団の練習場所で、 まずはモーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」のデュエットの伴奏。 そして合唱団で発声練習、愛唱歌、メンデルスゾーン、カヴァレリア・ルスティカーナ、 ロッシーニ、プーランクの練習。練習後はすぐ帰る。
T教の教祖 T 氏と奥様に会うためにカザルスホールへ出かける。 フランクのヴァイオリンソナタを聞いて、かつていた職場で自分も伴奏をしたことを思い出した (このときのソロはフルート)。あのときは、プーランクのソナタも伴奏した。 いい時代だった。 演奏会後 T 御夫妻としばらく歓談したあと越谷に戻り、サリタナ株式会社社長の小池氏と会う。 今後の事業計画を聞く。
昼は魚屋の弁当。 サイボウズの評価版を立ち上げてみる。やはり自分でもサーバが欲しいと思った。 T 氏への礼状を書く。 新聞の束を結わえる。
昼は野菜と目玉焼きの弁当。 仕事場近くの本屋にはドイツ語の NHK テキストはなく、自宅近くの本屋に テレビのドイツ語テキストがあるのでこれを買う。 電車の行き帰りはエスペラントの勉強。
川鉄合唱団で、ドイツ人の方からドイツ語の指導をしてもらった。その方がいうには、 「せっかく『外套』という言葉を覚えたのに、デパートの店員さんはわかってもらえなかった。 『ぶどう酒』を注文したのに、食堂の店員は?という顔をしていた」とこぼしていた。 わたしも同じ体験をしている。この合唱団に行くときに、門番に「合唱に行く」と行き先を告げると、 門番は必ず「コーラスですね」と言い返してくるのだ。 最近は疲れて最初から「コーラスに行く」と言っている。
午前中所用で千葉に行く。このあたりを自転車で走ったことがあっただろうかと思いを巡らす。 昼飯は食堂に入って鯖の塩焼きを頼む。最初に入ろうとした蕎麦屋はしまっていた。 つぶれたのだろうか。
昼は魚屋の弁当。さけとぶりが入っている。それからあらと大根の煮物。 夜は城東支会の新入会員歓迎会。もう少し食べることも出来たが遠慮した。 二次会は出ずに帰った。 最寄りの駅まで来ると、近くで飲んでいた知人たちと合流して、また飲んだ。
緊急の用事ができたので、八重洲の練習には出かけず、実家に戻る。
今日は越谷駅から歩いて越谷総合公園に行った。 歩いて行くには距離があり過ぎるが、事情があった。 本当は久伊豆神社の藤を見にいこうとしたのだが、 途中で食べるところを探したために少し道にそれてしまった。 それてしまったついでに、どうせこの気候だから藤も終わっていると判断して 越谷総合公園に予定を変更したのである。 この食事場所とは、「ラ・メンテ」というイタリア料理屋である。 客は私達の他には、ヒゲをたくわえた初老の男がひとりいただけだった。 タバコの煙もなく、ゆったりと楽しめた。味はまあまあだった。 客の少なさについて私達はいろいろ分析したのだが、一番大きな理由はつれあいが言った 「黄金週間の始めで、みんな外に出かけて越谷にはいないんじゃないか」ということだろう。 関連ページ「越谷の飲食店について」
越谷総合公園はほとんどが野球場とテニスコートという運動場で、花はあまりなかった。 ここへは、越谷駅または南越谷駅からのバスで行くのが普通だ。 関連ページ「越谷の名所について」
きょうはどこにも出かけなかった。 昼は南越谷駅近くの回転寿司。後から入ってきた家族連れ3人の主人はみっともない。 いきなり「あなご」を頼み、なかなか来ないと「あなごはまだかよ。おれはまだここに来てから 一つもくってないんだ」おまえの所にも回転寿司の皿は沢山通っているのだから、 選り好みせずに食えばいいんだ。回転寿司はそういうところだろう。
机上を整理していたら、日本応用数理学会の評議員選挙の案内が出て来た。 とっくに提出期限が過ぎていた。全くうっちゃっていた。恥ずかしい。 私は過去の国政選挙でも地方選挙でも一度も棄権したことがない。 こういった任意団体の評議員選挙でも確実に委任状は出すようにしていたのに、 自分のうっかりさに呆れた。おまけに、この評議員立候補者の中で、 確実に載せたくない人が一人いた。権利を行使すべきだったと本当に後悔している。
きょうは栃木県の大平山に行くことにした。天気があやしかったが、決行した。 春日部駅でしばらく快速を待っていたら、後におばさん3人組が並んだ。 このおばさん達は、私達二人が列車に乗り込むとき座席を確保しようと私達を押すものだから、 まことにしょうがない。私達は向い合わせの席ではなく、通路に向かって正面に座る席にした。 前に台がないがしかたがない。 向い合せの席にむりやり行って、うるさいおばさんたちのおしゃべりを聞くよりましだ。 多少不自由な姿勢ではあるが、最寄りの駅で買ってきたおにぎりとサンドイッチを列車内で 食べた。
東武動物公園駅を過ぎて改札の乗務員が二人来た。 すると、向いに座っていたおじさんが乗務員に向かって話し掛けた。いわく、 板倉東洋大前の東洋大は駅から近いのか、日比谷線は東武動物公園以降どこまで延伸されるのか、 俺は八木沢ダムの建設に2年間従事した、このダムは埼玉県の水道の 53 % を賄っている、 公共事業が悪だと道路公団なんかが悪者にされているけれど、公共事業は必要なものだ、 などなど。この会話で乗務員からの話でわかったことは、半蔵門線は曳舟で東武と接続し、 東武伊勢崎線の羽生まで延伸されるのだそうだ。
新大平下で降りる。山頂で食べる弁当を売っている店を探したがない。 茶屋があることを期待してあきらめる。 案内図の通り行くと見晴しのいい謙信平に出た。茶屋もあったので、 こしあんだんごとみたらしだんごを頼む。 そこから大平山神社を目指す。途中で中学生と思われる集団に出会う。 最初は赤い体操着、次は青い体操着、最後に緑の体操着と3学年すべての遠足なのだろう。 大平山神社からさらに少しだけ歩いたが、少しは体力を温存するのがいいと思い、 大平山城趾のあるあたりで引き返す。下りでは道筋を上りと変え、あじさい坂を通る。
ここまではよかったのだが、 あじさい坂の入り口まで来て謙信平に行く道を選択せず、そのまま下る道を選んでしまった。 そのため、帰りの目的地である新大平下駅と135度くらい違う方向に歩いてしまった。 気が付くと既に 30 分ほど歩いてしまっている。引き返すのもしゃくである。
結局、その歩いてきた道にバスが通っていること、 そのバスが栃木駅までのものであることを確かめ、 バスに乗ることにした。結果は上々、 運良く当初予定していた 12 時台の浅草行きの快速に乗ることができた。 帰りの電車のなかでまんじゅう半分と酒のつまみだけを食べながら(酒はなし)うとうととした。 結局最寄りの駅についてから、再度腹を満たすためにハンバーガー屋に入り、遅い昼食とした。
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