歴史の勉強

作成日:2001-09-21
最終更新日:

不思議な歴史の勉強

世の中には不思議なことがいろいろある。私が不思議に思っていることは、歴史の勉強をしたり、 歴史の研究をしたりする人がいるということだ。さらに不思議なことは、歴史が好きという人がいることだった。

私は歴史が嫌いである。日本史も、世界史も嫌いである。ゆえに歴史の常識は知らない。名前だけ知っていても、 中身は知らない。 昔どこかのテレビで「カノッサの屈辱」という番組があった。この標題は、歴史のある事実に基づいている。 しかし、私は、いつ、どこで、誰が、どんな屈辱をなめたのかということを全然知らない。 なんでもこの番組は深夜にもかかわらず人気があったそうで、私の先輩は「こんな題名の番組に 人気が出るのだから、日本人もインテリになったもんや」と驚いていた。この番組を見ていた人は、 カノッサの屈辱という史実を知っていたのだろうか。わたしにはわからない。 少なくとも、私はこの番組を一度も見ることはなかった。

高校の世界史の時間は、だから退屈だった。そもそも世界史の授業を受けていたかどうか、よく覚えていない。 当時の世界史の先生は細かいことをうだうだと教えるのが得意で、 おそらく世界史を教えてくれたのだろうが、中身は何一つ覚えていない。 ただ一つ思い出せたことは、「うちの高校には、グーテンベルクの活版印刷のなんだかいう刷り物(だか本だか)がある。 どこかのなんとかいう大学が売ってくれと頼んできたけれど断った」という自慢である。 こんなこと自慢されたって高校のころは、ふーんすごいんだなでおしまいである。 その実物は結局見ることなしに卒業してしまった。

歴史の授業は全く覚えていないが、テストのうちの一回だけは印象に残っている。設問文中の事件の年号を 十個ほど埋める問題で、全くできなかった。年号は全く覚えなかったが、 こんな4桁の数字覚えて何になるのかという疑念だけは、終生覚えているだろう。

日本史も皆目わからない。高校では日本史の授業はなかったのである。 私は高校では理系コースを選んでいて、理系コースでは物理の授業はあるが日本史の授業はなかった (文系コースはこの逆)。 さて、日本の歴史の教科書採択をめぐっていろいろなことがあった。この事件に対して感じたことは、 不謹慎なようだが、 子供に対してどんなことを教えても「どうせ忘れちゃうんじゃないの」と思ったことだった。 子供を軽く扱うのはよくないかもしれない。 しかし、私は忘れた。ただ、忘れただけでは、せっかくの事件がもったいない。 では、せっかくの「いろいろなこと」を利用して歴史を勉強する、 という手はあっただろう。しかし、私はめんどくさがりであり、そのままである。

そんな私であるが、たまたまつれあいが日本史を勉強しているので、私も一緒に勉強しようかと思っている。 つれあいは、もう東山文化と北山文化の違いを覚えた。私は忘れたままである。差がついてしまった。

覚えていられる年号

私が覚えている年号は2種類ある。一つは語呂合わせで有名な事件の年号、 もう一つは好きなものや身近なものの年号である。

語呂合わせで有名なのは、鎌倉幕府ができた年(1192年)や、 キリスト教が伝来した年(1549年)である。きっと、語呂よく覚えられるように、 源頼朝やフランシスコ・ザビエルはこのような年を選んで歴史的な事件を起こしたのだろう。

なぜか忘れられないのは、明治維新(1868年)である。 これは「イヤーロッパくん」と覚えた。ロッパくんとは誰かはわからない(古川ロッパのことか?)。 小学校の先生が、『明治維新は「イヤーロッパくん」と覚えたんだけど、ロッパくんとは誰かはわからないんです』 としみじみ述べたことが忘れられない。前の章で『子供に対してどんなことを教えても「どうせわすれちゃんじゃないの」 と思った』と書いたそばから先の言を否定するかのような事実を持ち出す私は、きっと信用されないだろう。

自分が好きで覚えているのはわずかである。西洋音楽のうちのわずかな作曲家の生年と没年だけである。 バッハ、ヘンデル、スカルラッティはそろって 1685 年に生まれた。 そのうちバッハは 1750 年に没した。あとの二人は覚えていない。 フォーレは 1845 年に生まれ、1924 年に没した。これだけである。 これは忘れない。しかし、生まれて数十年して、好きで覚えた年号は4人の作曲家の生誕年と2人の作曲家の没年のみである。 これじゃ能率のよい勉強なんてできないなあ。

歴史を好きになる方法

歴史が好きな人は、先人がどのように考え、どのように行動したかを好奇心をもって眺め、知りたいと思っているのだろう。 私は行動派ではないし、先人に対する好奇心はほとんど湧かない。だから歴史が嫌いなのだろう。 しかし、なんらかの別口の興味から、歴史に対する興味につなげることはできるはずだ。 先に挙げた、音楽への興味などがその一つである(能率が悪いこと夥しいが、全くないよりましだろう)。 そのほかにも、興味がもてることをつなげていってはどうか。

歴史が好きではない私がいうのはおかしいが、歴史が好きになりたければ、歴史が好きな友人を持つのがいい。 そして、その友人のうんちくをたっぷり聞くのだ。そうするとわからなくて悔しくなるだろう。 それをばねにして勉強するのである。わたしはそうやってきた。少なくともアレルギーは解消してきた。

社会人になって、酒飲み仲間が何人かできた。そのうちのY氏は歴史が好きで、いろいろな話を聞かせてくれ、 またいろいろな土地に連れて行ってくれた。 1980年代後半であろうか、あるとき、私は土曜日敦賀に一人旅をする予定にしていたら、 東海道本線の中(か新幹線の中)でばったりY氏とその友人のK氏に会ってしまった。 この二人はこれから奈良へ行くという。お前も来いといわれた。 結局説得された私は敦賀行きをあきらめ、奈良まで同行した。 奈良では明日香村へ行き、石舞台や酒船石、亀石を見たりした。3人の誰かが 酒船石を見て「ここに猿がためていた穀物がちらばって発酵したのかなあ」とたわいのないことを言っていた。 不思議な形を見て、歴史へのアレルギーはなくなっていた。もっとも、 そのときから歴史の勉強をしても、私には何の得にもならなかった。それがよかったのかもしれない。

私の常識のなさは、忠臣蔵も新撰組も御伽噺で空想の話だと思っていたほどである。 Y氏はどちらも史実であったことを教えてくれ、特に新撰組については、 土方歳三ゆかりの日野の地まで案内してくれたほどである。

そんなことを経てきたが、いまだに日本の歴史も、世界の歴史も、そして物理も知らないことが多すぎる。 これからは多すぎる事実に押しつぶされるのではなく、少しずつでもいいから吟味して受け入れたいものだ。(2005-05-13)

世界史履修問題

高校では世界史が必修となっている。ところが、世界史の授業をしていない 高校が多くあることが明らかになった。 世間では、規則を守るべき学校が規則を破るとは何ごとか、いう論調が多い。 私は、別のことを考えている。

そもそも、なぜ世界史を学ばないといけないのだろう。私は高校の世界史に ついて、全く知らない。先生から習ったことは忘れたが、 教科書から覚えたことが一つだけある。 フランスにラブレーという作家がいて、「ガルガンチュア物語」 や「パンタグリュエル物語」を書いた、ということだけである。 その名前の奇妙さだけ、覚えている。その後十年以上して、 河野一郎や大江健三郎の書物により、 渡辺一夫という文学者が訳したということを知った。 さらにその後、岩波文庫の復刊で、これらを日本語で読むことができた。 そういった感激は覚えているが、はてさて、 世界史を学んだといえるのだろうか。

私が高校の社会科で好きだったのは、地理と倫理・社会だった。 私は理科系であったから、理がつくものに惹かれた、 というのは冗談である。ただの相性だろう。

地理の先生はあまり愛想がなかったが、妙に面白いこともいうのだった。 例えばこんな話である。

ローマの後期は爛熟して、貴族はぜいたく三昧に暮らしていた。 食べることが楽しみで、満腹になると食べられなくなってしまう。 だからわざわざ吐き薬を飲んで吐いてから、再度食べていた。

こんな話もあった。

ローマ時代から胡椒は貴重品だった。というのも、 肉を保存すると臭くなって食べにくくなるが、 胡椒をかければスパイスのおかげで食べられるようになるから。

どこまで本当かは知らないが、今の暮らしと対比して、 初めて昔の暮らしの特異さや同等さがわかってくる。 それが歴史を知ることの面白さだろう。

もっとも、私が地理を好きになったのは、最初の中間テストで36点という 屈辱的な点数を喰らったからかもしれない。 二度とこんな点数はとるまいという気持ちで勉強したら、 それなりに面白い科目になった、というのが本当のところだろうか。

さて、このときの地理の先生に習った人が何か書いていないか。 気になって調べてみたら、その先生に何と0点を食らった後輩がいた。 しかもこの後輩は、現在地理に関係している仕事をしている。

今、高校の世界史をもっとやっていればよかった、と思うことが1つある。 イラクでテロが続いている原因に、スンニ派とシーア派の対立がある。 スンニ派とシーア派のそれぞれの教義について習っているはずなのだが、 忘れている。今から調べればいいだけなのだが、 当時からやる気のなかった世界史だから、身に付くとはとても思えない。

でも、諦めずに、好奇心をもっていよう。それが、 とりあえず世界史を修めて卒業できたかつての高校生ができることである。 (2006-11-09)

その後の歴史勉強

鎌倉幕府が作られたのは、1192 年ではないらしい。 Wikipedia によれば、鎌倉幕府誕生1192年説は (源)頼朝の権力・統治機構はそれ以前から存続しており、現在ではこの説は支持されていない。 歴史のように、史実がはっきりしていることであっても、いろいろなことが疑えるものだ。(2008-12-27)

関連ページ

まりんきょ学問所部屋の中身と管理人自己紹介≫ 歴史の勉強


MARUYAMA Satosi