作曲家論

作成日 : 1998-11-07
最終更新日 :

論というべきものではないが、つれづれの印象を綴った。

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目次

ヨハン・セバスチャン・バッハ

バッハのカンタータ

クラシックをよく知らない人から、どんな作曲家が好きですか、と聞かれた時は、ためらわずバッハと答える。 でも、なぜ好きなのかがよくわからない。むしろ、曲はつまらないのではないか。 それまでの作曲家とくらべても、スカルラッティの才能は別格として、ヘンデルのおおらかさ、 モンテヴェルディの劇的さ、フレスコバルディの放埒さ、クープランの優雅さ、 ヴィヴァルディの明るさのどれもが欠けている。総合してしまったがために欠点がなくなってしまった ようだ。

さて、バッハでよく聞くのはピアノ(チェンバロ)独奏や室内楽なのだが、バッハの専門家は もっとカンタータが聞かれてよいのではないかと説く。 そんなこともあり、知り合いの人に紹介されたバッハのカンタータのコンサートに出かけた。 時は西暦2000年前後、場所は千葉県八千代市だったと思う。

まずヴァイオリン協奏曲第1番で、寺神戸さんという方が独奏だった。ピリオド楽器であったが、 いやあ、この人は掛け値なしでうまいと思った。 次がバッハのカンタータだった(どの曲かは失念した)。 歌い手の中に米良美一さんがいた。まだ「もののけ姫」が出ていない頃である。 背が低いのには驚いたが、声はすばらしくよく響いた。 このコンサートに誘って下さった方にとても感謝している。

そしてさらに、この方からカンタータ"Ich habe genug"を勧められた。 非常に気に入った。ほどなくCDを買って、今でもときどき聞いている。

バッハの項追記:健康増進時代と続基礎英語

2003年5月1日、健康増進法が施行された。この法令のお陰で、私鉄の駅のホームから喫煙所がなくなった。 めでたい。タバコ臭い場所がなくなった。かつて昔は、ホームのどこでもタバコが吸えたのだ。 もう、そんな時代を想像することさえ困難である。

さて、増進ということばを聞いて、ずいぶんと古風な響きがすると感じた。健康の度合いを増す、 ということを表すには増進ということばしかないのだろう。

1970年代、東京12チャンネルで「健康増進時代」という番組が放映されていた。 日本医師会の提供だった。この番組の始まりにかかる音楽が、 バッハの平均率第1巻変イ長調の前奏曲であり、終わりにかかる音楽が同じ変イ長調のフーガだった。 演奏楽器はシンセサイザーだった。私がこの変イ長調の前奏曲とフーガが好きな理由は、 こうやってテレビに取り上げられていたからだろう。

バッハの平均率といえば、もう一つ思い出がある。これは1975年ころだろう。 NHK 続基礎英語のテープ教材を親に買ってもらって練習していたことがあった。 そのうちのあるテープの余白に、平均率第1巻ロ短調の前奏曲が入っていた。 チェロのピチカートに2台のヴァイオリンが絡み合う編成だった。

私はまだそのとき、変イ長調、ロ短調ともバッハの平均率とは認識していなかった。 今思い返してみると、他に知っていた平均率は、第1巻のハ長調の前奏曲とハ短調の前奏曲だった。 ハ長調の前奏曲はソナチネアルバムに載っていたし、 ハ短調の前奏曲は私が習いに行っていた先生の弟子が弾いていたのを聞いて覚えてしまった。

後に平均率の楽譜を手に入れたとき、第1巻は一生懸命練習したのに、 第2巻はあまり気合が入らなかった。第2巻が難しかったからではなく、 第1巻の曲をわずかではあったが知っていたために身近に感じたからだろう。 別の理由もあるが、今後機会があれば記す(2003-06-29)。


ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト

モーツァルトが好きだという人は多い。私も好きだ。しかしその想いは屈折している。 ピアノを嗜む者にとって、モーツァルトのピアノ音楽は入りやすそうに見える。しかし、ごまかしが効かない。 それゆえ、恐ろしいのだ。素直に好きとはいえない事情がここにある。

何かの観賞会で、モーツァルトのディヴェルティメント(嬉遊曲)ニ長調 K.136 を聴いた。 確か小学校6年のころだと思う。 その時の音楽と音色には心底参った。付け加えれば、本当によかった、という意味での参った、である。 それから二十年、よもやこのディヴェルティメントを自分で、しかもチェロで弾くとは思わなかった。 いざ弾いてみると、躍動感を生み出す低音もろくに出せず、最後を締める低音もずれるのがほとんどだった。 やはりモーツァルトは聴くだけでいい。


ルートヴィヒ・ファン・ベートーヴェン

なかなかベートーヴェンは好きとか嫌いとか形容しにくい。恐れ多い存在である。 ちなみに、私は人前でベートーヴェンを弾いたことがまだない。

さて、こんなことがあった。 学生になって数カ月、ピアノの仲間が集まる部屋でぶらぶらしていると、 ある会員がやってきた。 知り合いのピアニスト(日本人)のリサイタルの招待券をもらったので、 みなさんでいってらしたらということだった。十枚ほどだったと思う。 私のほか何人かの仲間がイイノホール虎ノ門ホールに出かけた。

さてプログラムが始まったら、目を被うばかりのありさまだった。 前半にベートーヴェンのピアノソナタ第 30 番ホ長調があったのだが、 最初の分散和音からしてすでに当たらない。口の悪い H 君いわく、 「あの第 1 楽章は素人が弾いても鍵盤に当たるようにできているのに、 あれを間違うとは相当ひどいピアニストだ」。 結局最終楽章までヨレヨレのままだった。 びっくりしたのがそのあと前半が終わって休憩に入る前に、このピアニスト氏は 「神の恩寵であるベートーヴェンのハンマークラヴィーアの緩徐楽章を弾きます」 といって第3楽章を弾き出したのである。 これまた酷い演奏で、演奏が終わったあと5秒間も拍手がなく、 あの口の悪い H 君が大きくパンと勇気を出して手を叩いたところ、 その反響がホールに広がってそれからボチボチと拍手が起こったのだった。

後半はショパンの前奏曲集だった。第 16 番変ロ短調など、 途中で指がもつれていきなり最後の2つの和音に行き着いたり(それがまたはずれている) さんざんなリサイタルだった。 若かった仲間は出発した部屋に戻り、 ここまでひどい演奏会はアマチュアだってないだろう、 などといいつつ酷い演奏を肴にしてえんえんと飲んでいた。

翌朝、酒を飲んだ部屋でぐずぐずしていた私のもとに、招待券をくださった方があらわれた。 「きのうの演奏家どうでした?」と聞かれ、はてどのように答えたものか思案していると、 その方いわく「私は行けなかったけど、きのうはいつもにまして調子よかったということで、よかったですね。」 と微笑み、去っていった。

この話は??年立った今でも酒の肴になっている。


フェリックス・メンデルスゾーン・バルソロディ

無伴奏合唱曲には、混声合唱も男性合唱もあり、いくつか波長の合うものがある。 「おおひばり(ひばりの歌)」は、無条件に楽しい。 「森との別れ」は、ドイツ語で歌えばより深さを感じられるようになり、趣がある。 むやみに深刻ぶったり、ただおちゃらけたりしているのもあるけれど、 それはとやかくいうべきことではない。合唱曲の中には楽しめるものがある、 というのが大事なことだ。


フレデリック・フランソワ・ショパン

私もピアノ弾きのはしくれであるから、ショパンの作品はよく聴いてきたし、そこそこ弾いてきた。 しかし、ありとあらゆる人がありとあらゆる方法で弾き尽くしたと私は思っている。 今さら私が出ていっても何にもならない、と諦めているので、人前では弾くことはほとんどない。

たまに、ピアノが目の前にある状態で、ピアノを知らない人から、 何でもいいから好きな曲を弾いて下さい、と言われるときがある。 こうした時に、何を弾けばいいのだろうか。ショパンの曲で、打ってつけのがあっただろうか? かつては「小犬のワルツ」とか、「華麗なる大円舞曲」とか、「英雄ポロネーズ」を弾いたこともあったけれど、 今は弾けない。 太田胃酸のコマーシャルで有名な、前奏曲第7番だろうか。それとも夜想曲第2番だろうか。どなたかいい意見があったら お知らせ下さい。

恥ずかしい話を一つ。ピアノの面白さに目覚めた頃、ショパン・コンクールの中継をテレビで見ていた。 第2位にディーナ・ヨッフェが入った年であった。 ヨッフェは夜想曲ロ長調 (Op.62-1) とスケルツォ第4番を弾いた。 私は一部始終をテープレコーダーで録音していた。 だが、録音していたテープのつなぎめの処理を間違えたようだ。テープを聴くと 夜想曲の後に切れ目なくスケルツォが入っているように聞こえた。だから、両者が一つの曲であるとばかり 思い込んでいた。しばらくして、楽譜屋へ行って、夜想曲のアルバムを見ると、どの版もロ長調の曲が途中で 「ちょんぎれている」。スケルツォの楽譜を手に入れたのは一年後、初めて事情がわかったのだった。


ヨハネス・ブラームス

昔はブラームスの室内楽が大好きだった。 それもピアノ五重奏曲に代表される重いタイプのが好みだった。 また、軽めのでもクラリネット五重奏曲はモーツァルトとの対比もあっておもしろかったし、 ヴァイオリンソナタは3曲ともお気に入りだった。 ピアノ協奏曲第1番のように呆れるほど力みかえっているのも微笑ましく聞いていたし、 ピアノ協奏曲第2番も好んで聞いていた。どういうわけかポリーニが弾いているので聞いていた。 交響曲第1番はそれほど気に入らなかった。交響曲では第4番がもっともいいかなと思っていた。

今ではそれほど聞かないし、聞くにしても軽めのものしか受け付けなくなってきた。 あの「ワルツ」とか、小振りの合唱曲とか(今の合唱団でたまに歌う)、 ピアノの間奏曲の類いである。

重めのでいけば、こんなコンサートがあった。 チェロのリサイタルで、あるチェリストによってブラームスのチェロソナタ第1番が演奏された。 あの大変な第3楽章をやっとこさ切り抜けて残り10小節くらいとなったそのとき、 エンドピンが弛んで急に演奏者が前のめりになってしまった。 演奏者はあわててひざで強引にはさみながらなんとか辿り着いた。 いや、でもおもしろかった。

軽めのではこんなことである。学生時代、「お連弾」というのが流行っていた。 わたしは硬派だったからそんなのは決してやらなかったのだが、一度だけ何かのはずみでやらかしたのが ブラームスのハンガリア舞曲第6番だった。あ、つれあいとやったのは除いてです。


ボフスラフ・マルチヌー

概観

どこをとってもマルチヌーの響きがするのがマルチヌーである。 わりあい泥臭く感じる和声の取り扱いと素朴なシンコペーションが彼の節回しの特徴である。 この人も数が質を決めたいい例ではないかと思う。

きっかけ

渋谷のヤマハでなんとなく楽譜を見ているとこの人の「練習曲とポルカ集第2巻」があった。 妙な組み合わせもさることながら、 彼も私も同じマルで始まる名前だから因縁があるのではないか。 そう思って買って練習したのがきっかけ。

おすすめ

おすすめするにも曲をそれほど聞いていないのでわからない。 九重奏曲(第2番)やピアノ五重奏曲(第2番)から入るのがいいのだろうか。 私の好みはヴァイオリンとヴィオラのための3つのマドリガルである。

ほかに聞いたり弾いたりことがあるのは、フルートソナタ、クラリネットソナタ、 弦楽四重奏曲のいくつか、 交響曲第3番、ピアノのための練習曲とポルカ、ピアノのための幻想曲とトッカータ、 2 台のピアノのための協奏曲がある。 そういうことで演奏家うんぬんはいえません。

なお、以前はマルティヌーと書いていたが、マルチヌーのほうが原音に近いようだ。


アーロン・コープランド

概観

あまり評価されていないのではないかと思うのがこの人である。 アイヴズやバーンスタイン、ガーシュウィンと比べて脂ぎったところがないからか。俺はそこが気に入っている。 室内楽やピアノ曲は絶品。管弦楽も厚ぼったくない書き方でお気に入りである。

きっかけ

学生時代の自堕落な生活で誰かが酒を飲みながら「コープランドのピアノソナタって、 むちゃくちゃいいらしいけれどむちゃくちゃ難しいらしいぞ」といったのがきっかけで、 じゃあそのピアノソナタとやらを練習しようじゃないかという向こう見ずなところから始まった。 それまでには「アパラチアの春」も「エル・サロン・メヒコ」も聞いていたけれど、ただそれだけの作曲家だった。

向う見ずにも練習したピアノソナタはなんとか暗譜までして、演奏会で全曲弾いた。 自分でいうのもなんだが、ここまでよくやったものだと思う。 演奏 は恥ずかしながら公開している。 ピッチが高く、若干速く聞こえるのでご了解願いたい。1985年3月、豊島区民ホールにて。

おすすめ

室内楽ならばまずは「ヴァイオリンソナタ」をとる。「ピアノ四重奏曲」も、 彼の資質と十二音技法との不整合が現れていておもしろい。

管弦楽は何を聞いてもいいのではないか。とりあえずは「アパラチアの春」をどうぞ

ピアノ曲は数が少ない。主要なものは「変奏曲」、「ソナタ」、「幻想曲」、「パッサカリア」である。。 特に長大な「幻想曲」は聞き手を選ぶ。要注意。


アルベルト・ヒナステラ

概観

この人も初期のころはすぐにわかる節回しを使っている。 たとえば、緩徐楽章のギター開放弦を模したアルペジオなど。 後期はちょっと聞いただけではわからなくなってしまった。 残念であると書きたいが、俺の理解が足りないのかもしれない。

きっかけ

やはり学生時代、友人である T 教教祖の T 氏がヒナステラにいかれていたのがきっかけ。 彼は当時から目をつけていた。 そのうち、日本でもピアノソナタ第1番が有名になりだした。 当時、「ピアノソナタ第1番」を日本初演したプロはこの作曲家を「ギナステラ」と書いていた。

おすすめ

その初期のなかでは「ピアノソナタ第1番」や「ハープ協奏曲」がらしい書き方をされている。 また、バレエ音楽「エスタンシア」がかっこいい。 それから弦楽四重奏曲第1番もある。

後になるとピアノソナタの第2番以降とか、ピアノ協奏曲とか、 チェロソナタとか、ギターの「たそがれの牧歌」とかが出てくる。 もっともヒナステラはもっと詳しい人がたくさんいそうなのでこれ以上は勘弁。

付記:1999 9/25の NHK 教育テレビの「シャルル・デュトワの若者に贈る音楽事典」で、 「南米は音楽のるつぼ」としてヒナステラが(ピアソラなどと並んで)紹介されていた。 デュトワが「エスタンシア」を振っていた姿も出ていた。T君かっこいい〜。


フランシス・プーランク

フランスの六人組の一人。その中でもっとも才能があるといわれている。ただ、私にはわからないことが多い。 協奏曲は面白い。管楽器のソナタは絶品である。ピアノ独奏曲もかわいい。 問題は合唱曲、宗教曲だ。 合唱曲の中では小さい曲集を歌ったことがある。クリスマスの4つのモテットがそれだ。これは好きだ。 しかし、他の合唱曲、たとえばミサ曲や悔悛のための4つのモテット、そして「枯渇」、「テネブレの7つの応唱」、 これらは今一つピンと来ない。なぜだろうか。まだまだ聞き込みが足りないのだろう。 それに、有名な「ティレジアスの乳房」、「カルメル会修道女の対話」にも接していない。 前者を聞いた何人かは、非常にいいと勧めてくれるのだ。

パリに行った時、プーランクが住んでいた家があったので撮影した。


ピエール・ブーレーズ

ブーレーズはまずは指揮者としての名前しか知らなかった。後に「ピアノソナタ第2番」という とんでもなく難しい曲の作曲者として結びつく。 このソナタにまつわる恥ずかしい出来事を、あるメーリングリストで明かした。以下は自分の文の引用である。

今から4年前、知人がブーレーズの第2ピアノ・ソナタを弾くので 譜めくりをしてくれ、と私に頼んできたのです。 難曲中の難曲なので、私も気合いを入れて譜読みをしました。 また、その知人が貸してくれたマウリツィオ・ポリーニの音盤をしつこく聴いて譜めくりの練習もしたのです。 もちろん、彼の通し稽古にも2度立ち会いまして、 なんとかなると思っていたのです。

ああそれなのに、本番の第2楽章で、本来の場所より数十小節早くめくってしまいました。 演奏者の知人はびっくりしてしまいまして、 強烈に速いパッセージを弾いているさなか、自分で譜を戻してしまいました。 あの時の恥ずかしさは今でも覚えています。

後に彼に聞いたところによると、彼の模範とする演奏は 譜に忠実なポリーニのではなく、 譜から取り出した狂気を演じるクロード・エルフェのだそうです。 それならそうと最初からいってくれれば、譜を見ずに、彼の頭の動きで譜をめくったのに。

そして最近、ある出来事がきっかけで、「プリ・スロン・プリ」を聴いてみることにした。 最初になかなかはっとする導入部があり、のちに言っちゃ悪いがだらだらした時間が過ぎていく (私にはただでさえベル・カントで歌われる歌詞はわからんのに、フランス語、マラルメの詩と来ている)。 しかし、終了を迎えてもりあがるさまは何にも代えがたい。 「ようだ」と書いたのは、全部までたどりつけなかったからだ。今度、つれあいがいない1時間を見つけられたら、 再度聴いてみるつもりだ。

でその1時間を見つけて聴いてみた。正面から対峙して聴くには疲れ過ぎるが、多少息抜きをしながら 聴くにはそれだけで凄みを感じる曲だ、ということがわかった。実にいい加減な感想なので、 「プリ・スロン・プリ」の CD を探していた某君が怒り出すかもしれぬ。

マイケル・ティペット

サーの称号を得たイギリスの作曲家、ティペットはほとんど知られていないだろう。 でもなぜか、私はこの人の作品に心惹かれる。 ピアノ曲は少ない。ピアノソナタが第1番から第4番まで、そしてピアノ協奏曲、 オーケストラとピアノのためのヘンデルの主題によるファンタジアが知られている。

私がティペットを知ったのは、ピアノソナタの第2番だった。NHK の FM で聞いた。 妙に休符が長いソナタ、という印象だった。その後、ピアノの猛者が集まる会に入り、 誰も弾いていない曲に挑戦したかったので、ティペットのピアノソナタ第3番を選んで練習した。 なぜ第2番ではなかったかというと、第2番が楽譜屋になかったからだ。 それで第3番は非常に難しかった。イギリスの作曲家の作品はもっと水彩画の趣があると思っていたが、 脂っこく、晦渋なのだ。結局練習を断念したけれど、ああいう硬派の作品はもっと弾かれてもいい。

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MARUYAMA Satosi