後藤 明生:笑坂

作成日:2024-04-18
最終更新日:

概要

水上勉による解説より引用する。

「笑坂」は、後藤明生さんが夏だけ住まわれる山小屋を舞台にした追分物といっていい短編集である。

本書には次の小説が収められている

感想

「煙霊」と「石尊行」については後藤明生コレクション3を参照してほしい。

道に倒れているのは欅の大木だった。で始まる。歯茎を食べるという比喩がおもしろい。

笑坂

信濃追分駅から歩いておよそ二十分、浅間山麓にある「わが家」を土屋老人が訪ねてくる話である。このあたりでよく見る花魁草について、 浅間には花魁草がよく似合う、などというつもりではない。また、信濃追分には花魁草が似合う、というつもりもないが、(後略)で始まる一文に笑ってしまった。

屋根

わが家に雨漏りが発生した。落葉が屋根に落ち雨どいを埋めて腐り、行き場を失った雨が壁を伝うように、あらゆる隙間から侵入して来る。そこで「わたし」は屋根掃除をした。 例によって筋らしい筋はなく、いろいろな話が交錯する。

不思議な水曜日

今日は水曜日か、それとも木曜日なのか、うろたえる「わたし」がおもしろい。

ひと廻り

ひと廻りというのは、「わたし」が別荘から食事をしにドライブインまで出かけて帰ってくることを指していると思う。 前半に鴉(カラス)の声が描写されている。このカラスの声の描写を見ると、晩年の麓迷亭通信を思い出す。

杙という字が読めなかった。普通は杭(くい)と書くだろうが、きっとこれは作者の思い入れがあるのだろう。

女街道

この小説は、吉野大夫を読んで気になっていた。私が読んだ限り、老婆との出会いや会話も、十分小説だった。

離山

「わたし」は家族と離山に登った。当初は他の山に登ることも考えていたが、結局離山になったというのがおかしい。離山の名前を聞いて、「わたし」は投石少年のことを思い出している。 投石少年については、「石尊行」に詳しい。

分去れ

分去れとは、信濃追分にある、街道が二つに分かれるところである。一つは北国街道となり、一つは中山道となる道である。この小節で少し不思議に思ったことは、草加の名前が出てきていることである。 作者の後藤明生は草加市にある松原団地に住んでいたが、小説でも随筆でも草加の名前を出すことはほとんどないように記憶している。ところが、ここでは草加の名前が出てきている。 「わたし」が追分へ来るようになったのはまったくの偶然だったことなどを受けて、こう続ける。

しかしわたしは、自分が追分へ来たのが偶然からであることを、むしろ自分にふさわしいことだと思った。 偶然であるのは、何も追分だけではなかったのである。十年間暮した草加の団地も、三年前から住んでいる習志野も偶然の場所に過ぎない。

そう、習志野や、習志野の後で後藤が住むことになる幕張の名前はよく出て来るようになるのだが、草加はどこか避けられているように思う。いや、思うだけでそうではないのかもしれない。 調べれば面白いのかもしれないが、そうまですることではないように思う。

それからもう一つ、ここでは「わたし」の母についての記述がかなりの部分を占める。後藤明生の小説で、主人公の父については語られていることが多いのだが、母について語られているのは少ない。 といっても、引き上げ小説三部作のなかの一部では母を取り上げているものも多いので、特に気にすることはないだろう。

書誌情報

書名 笑坂
著者 後藤 明生
発行日 昭和 60 年(1985 年)8 月 10 日
発行元 中央公論社
定価 400 円(本体)
ISBN 4-12-201241-4
サイズ 文庫本
その他 中公文庫、草加市立図書館で借りて読む

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MARUYAMA Satosi