後藤 明生:後藤明生コレクション3

作成日:2019-05-12
最終更新日:

概要

後藤明生の中期の中編と短編を収める。

吉野大夫については単行本の評を見てほしい。

感想

煙霊

思い川

「思い川」には、後藤明生が住んだと思しき草加の団地とその近くにある綾瀬川が出てくる。 この団地はおそらく松原団地であろう。 そして、この小説にはその団地の最寄り駅を通る東武線も登場する。 わたしはかつて東武伊勢崎線で通勤していた。ある日の通勤時、電車が通過するまさにその綾瀬川を渡るとき、 この思い川のその場面を読んでいたのだった。 なんという偶然だろう。(2019-05-12、2009-10-22、2024-04-18)

鼻という名前のついた短編は、ゴーゴリや芥川にある。後藤明生のこの短編は、これらゴーゴリや芥川の同名の短編にたえず最初に脱線したのち、 「わたし」が思い浮かべる、天狗鼻のアボヂの鼻について述べている。そして天狗鼻のいた当時の朝鮮の風景に脱線し、 さらに旧友との再会にまで話が飛ぶ。

いいなあ、このどうでもよさ具合。(2019-07-02)

石尊行

「わたし」が、浅間山の南側にある石尊山(せきそんさん)に登ったときの話である。 この小説は、少し前ある雑誌が皇太子の特集をしていた。と始まる。 「わたし」は石尊山に行ってきたことについて、この四年間、わたしは何度もそのときのことを書いてみようとしたのである。 しかし、考えているうちに、いつも途中でやめてしまった。皇太子のせいである。と記す。石尊行で、「わたし」は皇太子を見たのだった。 だから、石尊行を書こうとすると、皇太子のことについて書かざるを得ない。いっそ、石尊行を皇太子抜きで書いてみたらどうだろう、と考えてみた。 とつづっている。そして p.198 で石尊行と皇太子の関係についてこう続けている。

しかし、石尊行を皇太子抜きで書いてみようと考えることは、すなわち皇太子にこだわっているということだった。 だからわたしは、諦めて、こだわる理由を考えることにした。 そして出て来た結論は、自分は皇太子という存在について、何もいうことがないということだった。 これといって、何もいいたいことがないのである。 そして、どうやらこれが、皇太子にこだわっている理由らしい。 いやしくも皇太子に出会った以上、何か意見なり感想を述べなければならぬ。 いやしくもそのことを文書を書き綴るからには、皇室とか天皇制とかについて、明解なる立場の表明がなければならないのではないか。 にもかかわらず、わたしにはこれといって、何もいいたいことがない。 石尊行のはなしを、わたしが何度も書こうと思いながら、皇太子との場面を考えたとたん、憂鬱になってしまうのは、そのために違いなかった。

この逡巡の積み重ねがなんともおかしい。ちょうど私がこの短編をを読んでいる折、 この小説の「わたし」が見た皇太子は、今年の4月まで天皇だった。 そして今年の5月で改元があった。新聞で、雑誌で、元号廃止を唱える意見を何度も聞いた。 改元は元号の不合理さからだ、というのがその理由である。実は私も、元号は廃止すべきと思っている。しかし、私はそのことを声高には言わなかった。 なぜなら元号廃止を声高に唱えている人は、元号にこだわっている、 ともとれるのである。 ストライサンド効果、ということばを、 後藤明生のようにいえば「とつぜん」思い出した。ストライサンド効果とは、ある情報を隠そうとする行為が、逆にその情報が広がる方向に働くことをいう。 今回の元号議論は、あることに反対することによって、そのあることが当初の意図とは異なってしまう方向に働くことなので、 当初名付けられた現象からのストライサンド効果とは異なるようにも思えるが、連想というものは異なることも許容されるだろう。

ともあれ、後藤明生のように皇室とか天皇制とかについて(中略)何もいいたいことがない、と決然と表明できることは、うらやましい (2019-05-28) 。

書誌情報

書名後藤明生コレクション3
著者後藤 明生
発行日 年 月 日
発行元国書刊行会
定価3000円(本体)
サイズ
ISBN978-4-336-06053-2

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MARUYAMA Satosi