後藤 明生:吉野大夫

作成日: 2019-04-24
最終更新日:

概要

「わたし」は吉野大夫について小説を書こうとするが……

感想

久しぶりに吉野大夫を読む

1990 年ごろだろうか。JICC 出版局の「別冊宝島88 現代文学で遊ぶ本」を買った。同書は既に手元にないが、 見開き2ページで主だった作家が紹介されていたことを覚えている。そのような紹介で最も面白かったのが、後藤明生を紹介したページだった。 後藤の主要著作として紹介されていた本は複数あり、早速当時住んでいた千葉市にある本屋で探したが、 見つかったのは千葉パルコの改造社書店にあった、ファラオ原点叢書の「吉野大夫」だけだった。 わざわざ箱入りは高いよなあ、と思いながら買って読んだ。読後、こんな作品があるなんて、こんな作品を書く作家がいるなんて、と驚いた。 それからおよそ 30 年、後藤明生セレクション3で改めて読み直している。 個々のエピソードはほとんど覚えていなかったので、新鮮であった。 物覚えの悪さに感謝している。以下は、選集のページを指す。

少し覚えていたのが、次のくだりである。作者、後藤明生は、自作『笑坂』中の一編『女街道』に対して某批評家から厳しい批評を受けた。 その批評について反論をしている。以下は選集では pp.338 - 340 にあたる。後藤は反論の内容を説明した後で次のように述べている。

(前略)もちろん、小説には調べて書く方法もある。現代もの、歴史ものいずれもそういう書き方はあるが、 わたしの『女街道』は、その方法ではない。反対に、女街道という、きいただけで無数のドラマが出て来そうな一本の道から、 一切ドラマになりそうなものを除き去ることが、わたしの散文の方法だった。あの小説のスタイルである。

そうそう、このドラマを抜く、というところに心惹かれる。世の中、ドラマを作りたがるから私は疲れる。 どんどん話が脱線するこの本は、やはりおもしろい。

信濃追分を思い出す

作品が書かれている土地を知っているからといって、作品をよりよく味わえる、ということにはならないだろう。 それはわかっているのだが、私はこの吉野大夫について描かれている追分宿のことを少しは知りたい、という気になっている。

実は信濃追分のあたりは行ったことが何度かある。私が所属していた合唱団は、夏から秋にかけてこの信濃追分駅近くの施設を借りて練習していたからである。 もっとも、実際には中軽井沢の駅でおりて、施設までは施設所有のマイクロバスで送り迎えしてもらっていた。 というのも、信越本線で特急が止まるのは中軽井沢駅のほうで、信濃追分駅では止まらないからだ。 信濃追分駅まで行ったのは1度だけであった。合唱の練習の合間に自由時間があり、私はたまたま散歩をしていた。 施設は浅間山に近いほうにあり、施設から緩い坂を南に下って歩いて行ったらいつのまにか信濃追分駅が出現していた。 別荘群はあったはずだが、自分の視界には入らなかった。後藤明生はどの別荘を持っていたのだろうか。

そのうち合唱団でも、夏から秋にかけての合宿所にこの施設は使わなくなってしまった。長野新幹線ができると同時に在来線特急が廃止され、 東京(といっても上野駅)から中軽井沢まで行ける便利さが失われたこと、おまけに新幹線のため運賃も高くなってしまったためである。

恥ずかしいこと

誤って本書の題名を「吉野太夫」と記してしまっていた。正しくは「吉野大夫」である。 この日訂正した(2019-10-22)。

書誌情報

書 名吉野大夫
著 者後藤 明生
発行日 年 月 日
発行元ファラオ企画
定 価円(本体)
サイズ
その他ファラオ原点叢書

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MARUYAMA Satosi