後藤明生の長編。主人公の日常を描く第1部と、主人公と永井荷風の対話からなる第2部からなる。
途方もない大作だが、読み切るのに思ったより時間はかからなかった。以下は感想文ですらない、 ただの拾い読みの備忘録である。
作者お得意のロシア文学が出てくる。特に「地下室の手記」のことが書かれているので、私も読まねばならない、 と思っているが、はたしてどうなのか。
p.14 で主人公はとつぜん誰かの死の断片を思い出す。その断片は本書のあちこちで出てくるが、 どうもアンドレ・ブルトンのものらしい。
作者が現在いる部屋の描写が p.17にある。電話について、もちろん、プッシュホンだ
とあるのは、時代を感じる。
宮子という薬剤師と主人公が電話で話す場面がある。p.87 から始まる。宮子の笑い声はこう描写されている。
「ゴメンナサイ」
と宮子はいった。小さい声だ。それから低い声で、ウフフフと笑った。
このウフフフ
は、宮子を表す印として、多用される。
pp.206-207 で主人公はこう語る:ぼくがこうして書いていることは、すべて何かの復習なのです。
われわれに残されたものは、復習しかないということなのです!
。このあとは、
偉大なる先輩たちを恨みに思っているわけではないこと、復習というやつは面白くないわけでもないと続き、
最後に復習に勝る予習はないのだという気さえする。
とまで言う。そして、旧来の、
予習に勝る復習なし
という学習訓を茶化している。
これは、明らかに、後藤の『復習の時代』というエッセイ集を読め、
と言わんばかりの書き方だなあ。
永井荷風の話にすでになっている。p.295 では、永井荷風の顔について、
超高額の預金通帖を入れて常時持ち歩いていたといわれたところの買物籠をぶらさげた顔
という記述がある。
この永井荷風の預金通帖については、すでに後藤明生の小説『人間の病気』で扱われている。
『濹東綺譚』の作者とは、永井荷風のことである。
p.312 における永井荷風のセリフはこうだ。
「ただし、あれはキミのいうような宣伝文ではないよ、ウッフッフ……」
このあと、このウッフッフ
という笑い声は、永井荷風のモチーフのように各所で出てくる。
第一部の宮子の笑いウフフフ
と比べてみるとおもしろい。
p.356 で、永井荷風は、話し相手の《贋地下室》の住人に向かって、誰でも知っている名文句とはたとえばどいうものかい、 と尋ねる。住人が困っていると自分から言い出す。
「旧約で言えば、《目には目を、歯には歯を》、 新約で言えば、《人の生くるはパンのみによるに非ず》、 シェイクスピアでいえば《トゥ・ビー・オア・ノット・トゥ・ビー》、といったところであろう 」
このなかで《パンのみに……非ず》が出ていることが興味深い。後藤明生コレクション前期 I に『パンのみに非ず』という小説が収められているからだ。
前の章でも出てきた、永井荷風の預金通帳について、p.392 で永井荷風自身がこういう。
「わしが預金通帳一切をボストンバッグの中に置いて来たことは、 それこそキミたちの方が、週刊誌か何かでよく知っているのではないのかい」
買物籠がボストンバッグになっているのはよくわからないが、まあいいだろう。 少し読み進めると、1円単位まで永井荷風が読み上げているのにはおかしかった。
このあたりになると、永井荷風は語らず、ひたすら《贋地下室》の住人が話している。p.472 で住人が話しているのは、昭和三十四年七月号の『中央公論』の、永井荷風の追悼号のようになっている号である。 この号で永井の思い出話を語っている人たちを住人はこう列挙する。
「それから菅原明朗という人と、 これは浅草オペラ館の作曲家で、センセイの偏奇館が東京空襲で焼け落ちたあと一緒に岡山の方まで逃げた人ですね、」
この菅原明朗には、スカルラッティに関する著作がある。この奇縁に驚いた。
この本には別刷りの付録がついている。高橋英夫氏による<『壁の中』を読む>というもので、 内容は省く。ただ一つだけ引用すれば、後藤氏の『復習の時代』というエッセイ集のなかの幾編かは、 『壁の中』の理解にも大いに役立つ、いう意味のことがあった。たまたま、 この『壁の中』と同時にこの『復習の時代』も図書館から借りていた。
書 名 | 壁の中 |
著 者 | 後藤 明生 |
発行日 | 昭和 61 年 3 月 20 日初版発行 |
発行元 | 中央公論社 |
定 価 | 2800 円(本体) |
ISBN | 4-12-001457-6 |
その他 | 草加市立図書館から借りて読む |