はじめに:ドメニコ・スカルラッティ

作成日:1998-05-09
最終更新日:

1. 概観

ドメニコ・スカルラッティは1685年10月26日、ナポリで生まれた。 生年はバッハやヘンデルと同じである。 父は歌劇・歌曲で有名なアレッサンドロ・スカルラッティ。 没したのは1757年7月23日、マドリードでであった。 クラシックのピアノを習った人なら、スカルラッティという名前は知っているだろう。 書いた鍵盤楽器の全演奏時間はショパンのそれを優に超える。 数が質を決めるといういい例ではないかと思う。 リズム、和声、旋律、どれをとっても際立っている。凡作もたくさんあるのがさすがである。

2. きっかけ

私がスカルラッティにひかれるようになったのは16歳のころである。 それまでも NHK 教育テレビのピアノのおけいこで、テキストの中にのっていたのがあった(K.1, L.159)が、 そのときは特に気をつけて見ていなかった。 アンドラーシュ・シフの来日初公演のアンコールをラジオで聞いていて、 そのなかの一つがスカルラッティのソナタト長調 (K.427, L.286)だった。それ以来病み付きになっている。

3. おすすめ

好きな曲はたくさんあるが、おすすめの曲は特にはない。 各自が自分で決めてくれればいいことだ。

3-1 全曲演奏

演奏ということを考えると、スコット・ロスのチェンバロによる全曲演奏に止めをさす。 やはり全曲というのが何にも代え難い。

その後、チェンバロによる全曲演奏はピーター=ヤン・ベルダーによってもなされ、発売されている。 こちらはまだ聞いていない。抜粋版は聴いている。

リチャード・レスターというチェンバリストも全曲録音をしている。こちらはカークパトリック番号のないものも含まれている。 こちらは全く聞いていない。

一方ピアノのほうでは、カルロ・グランテが全曲盤を出すという話だったのだがどうなのだろうか。 一部はもっている。

3-2 抜粋版

ピアノの精妙な響きで楽しみたいならば、 ホロヴィッツやシフのなどもいいだろう。

NAXOS レーベルで、ピアノによるスカルラッティの全曲演奏版を揃える計画がある。 現在 21 枚出ている。(2019-05-19)

おもしろいのは曽根麻矢子さんのCD。 未出版(カークパトリック番号のついていないもの)ばかりを集めて 弾いている。これらを本当にスカルラッティの作品と信じることができない自分が悲しい。

2000 年 6 月に、廻由美子のスカルラッティを買った。なかなか猥雑である。 最初は辟易して聞いていたのだが、 ひょっとすると病み付きになるかもしれない。(2000-07-09)

3-3 さまざまな楽器による演奏

あっと驚く演奏に、 御喜美江さんのアコーディオンによるスカルラッティ (VANGUARD CLASSICS 99193)がある。 強くお勧めする。

それから、セルジオ・オダイルのアサド兄弟によるギターによる演奏を昔聞いて、そのセンスに驚いたことがある。 CDで出ているかどうかわからないが、あるのなら手に入れてぜひとも聞いてみたい。

後記:ある方から、実際にCDはあるということを聞いた。 知らせを聞いてから一ヶ月以上探しているのだが、 まだ見つからない。 どうしてもなければ椎名町の現代ギター社へ行けばなんとかなるだろう。 セールは逃してしまったが。

最近、やっとアサド兄弟のデュオが弾いているスカルラッティを見つけた。スカルラッティだけでなく、 バッハ、ラモー、クープランも入っている。 やはりうまい。座ぶとんを何枚でもあげたくなってしまった。

アサド兄弟に刺激されたのか、最近ギターデュオのCDが多くなってきた。そのうちの2枚にスカルラッティソナタが あったので買ってきた。
Gronigen Guitar Duo (OTR C29445)は全部がスカルラッティの曲。 ギターとスカルラッティの新しい魅力が発見できる。 わずかに演奏が粗いと感じられるところがある。
Peter & Zoltán Kantona 兄弟 (CCS 14298)はうまい。音色の対比が鮮やかだ。 スカルラッティ6曲のほか、ヘンデルの作品3曲が入っている。

テオドール・ミルコフ(Theodor Milkov)のマリンバもすごい。K.198 (http://www.youtube.com/v/X4Xm9He1uaY)、 K.102 (http://www.youtube.com/v/CTqisc2FjkQ) 、 K.98 (http://www.youtube.com/v/Dp_1f8HhOdo) がある。

テディ・パパヴラミ(Tedi Papavrami)が無伴奏ヴァイオリンソロのための編曲を行い、演奏も披露している。 K.54, K.32, K.466, K.481, K.11, K.380, K.87, K.141, K. 426, K.185, K.9, K.322 の 12 曲である。 K.380 は原調はホ長調であるが、ヴァイオリンの特性を考えてだろう、イ長調に変更している。 タイトルも原調ではなく、移調したあとの調が書かれている。

その他、ハープによる演奏もある。

4. 文献とリンク

4-1. 文献

本、雑誌は次のものをもっている。

ラルフ・カークパトリック(著)、千倉八郎・阪本みどり(共訳) :ドメニコ・スカルラッティ

まずスカルラッティを知るにはこの本から。学究的とはこういうことをいうのだろう。 (全音楽譜出版社、、初版 昭和 50 年 3 月 10 日、4500円)

なお、原書は1983年の最終改訂版があり、これに基づく新訳が 2018 年に音楽之友社から刊行されている。 買いたいが、高い(本体 7400 円)ので手が出ない。(2020-04-10)

苑江光子+菅原明朗:Dスカルラッティ

非常に怪しい感じのする本である。 この怪しさがスカルラッティには打ってつけである。 どう怪しいかは実物をみればわかる。

なお、菅原さんは最近 (1998 年) 逝去したのであるが、 ある音楽辞典で作曲者の索引が、 スカルラッティの次に来ているのが菅原さんであったのにはびっくりした。

おまけに菅原氏は永井荷風と交流があったことを知ってさらにびっくりした。 それを知ったのは、後藤明生の『壁の中』という長編である。

レッスンの友1996年6月

4人の原稿と誌上レッスンがある。

ほかにもう一冊日本で出版された訳書として、 ヘルマン・ケラー著「クラヴィーアの大家 ドメニコ・スカラッティ」がある。 私はもっていない (コピーはある)。 あまりカークパトリックのように七面倒に考えなくてもいいのではないか、 というものである。

また、全音楽譜出版社から「スカルラッティ鍵盤楽器ソナタ演奏の手引き」という本も出ている。 (元タイトル:Scarlatti sonatas a study guide)。 私は 2012 年に購入した。評は別のページにある。

番外編として、CD マガジン クラシックコレクション 112 スカルラッティ父子というのを買った。 ドメニコのソナタを前半分を聞いたかぎりでは、けっこういける演奏である。 ただ、ホロヴィッツなどと比べては酷というものだろう。

4-2. リンク

未音亭日常(www2.accsnet.ne.jp)という、門野良典氏のホームページがある。 ここの「ドメニコ・スカルラッティの森」に分け入れば、私のホームページは忘れてもらってけっこうだ(2012-07-06)。

音楽嫌いの放談 ハイドンとクープランとスカルラッティ (domenicocimarosa.blog.fc2.com)

5. 楽譜

次の楽譜が出版されている。

私がもっているのはカークパトリック版、橋本英二版、春秋社版である。 したがって全曲の楽譜をもっているわけではない。 ギルバート版は全十冊あり、異常に高い(一冊2万円以上)。 ファディーニ版をそろえようかと思っている。 ただし、ファディーニ版も高い。ヤマハで第8巻を買ったら 9000 円以上した。 その後、ある方の御好意で、第3巻から第7巻を手に入れることができた。 ここまで買ったのならば、ということで第1巻と第2巻も買った。 スカルラッティのソナタの数の威力を、感じ取っている。

ロンゴ版は最近、CD-ROM の形で手に入るようになった。 掲示板で知らせて下さった「笛吹き」さんに感謝する。 私も手に入れて調べてみた。 ロンゴ版は現代人に口当たりのいいような校訂を施しているため、 実際に使うにあたっては特に注意する必要がある。 たとえば、「トッカータ」の別名で知られているニ短調ソナタ(K.141, L.422)を見る。 ロンゴ版では左手が(下から) D-F-A-D となっているが、カークパトリック版その他原典版は (同じく下から)D-G-A-D である。この G の非和声音こそがスカルラッティの命である。

なお、文献の苑江光子+菅原明朗:Dスカルラッティには、巻末に 26 曲の楽譜が載せられており、 分析されている。この楽譜の中には、おまけとしてピアニスト、 ハンス・フォン・ビューローのK.259に対する編曲版も載っている。 (2001-02-12)

上記のファディーニ版は現在、第 9 巻が刊行されている (2019-05-19) 。 また、imslp でも、ロンゴ版なら手に入る。ギルバート版も最近ヨーロッパの imslp で見えるようだ(2020-03-29)。

6. ピアニストによるスカルラッティの評価

ピアニストの舘野泉さんが、ある雑誌の特集で、 スカルラッティのソナタ集を「音楽の財産」として取り上げていたのはうれしいことだった。 しかし、舘野さんのスカルラッティを聴いたことはまだない。

直接のスカルラッティ賞賛ではないが、中村紘子さんが 「スカルラッティの音楽はホロヴィッツのような名ピアニストを得て初めて蘇る、 ホロヴィッツの真価はこのような(スカルラッティの)アルバムにこそあらわれる」 と評していた。私はまだ、中村さんのスカルラッティも聴いたことがない。

7. スカルラッティ断章

この文章はある同人誌に投稿したものの一部であることをお断りしておく。

D.スカルラッティは謎の多い人である.まず彼の肖像と断定できる画がない. 同時代のバッハ,ヘンデルはもちろん,あまり知名度の高くない作曲家でさえ, あのかつらをかぶった,誰もが同じようにみえる画があるというのに. それから自筆譜が残っていない.バッハのそれは美しいことで有名で,楽譜屋のアカデミアが袋に印刷しているくらいだ. しかしスカルラッティのソナタにあるのは複数の写本だけである.さらに自筆の手紙もほとんど残されていない. 当時の人々はさぞかし多くの手紙を書いたはずだ.これはまるでシェークスピアかサリンジャーではないか.

彼の作品はほとんどが鍵盤楽器ソロのための作品である.その数はおよそ550,他に比べるべきものがない. あえて挙げればショパンのピアノ作品だろう.しかし同一作品番号の曲の重複を考慮にいれてさえ,スカルラッティの数の半分程度である. 全曲の演奏時間にしてもスカルラッティはショパンの2倍必要だ. もっともこの比較は,スカルラッティのソナタにある前半と後半の繰り返しの指示を忠実に守ればの話である. さてそのショパンは晩年に,スカルラッティについてこう語った.もし聴衆の無理解さえなければ,スカルラッティの作品だけで公開演奏会を催したいと. それから百五十年は経とうかとする現在,スカルラッティだけのピアノ演奏会についぞお目にかかったことがない. 相変らず聴衆が無理解なのか,それとも見識ある演奏家がいないだけなのか.

スカルラッティの曲は,職業ピアニストにとって,指慣らしやアンコールとして重宝がられている. 一方ピアノの初学者にとって,スカルラッティの曲は練習曲として現われる. 「これらの呪われた曲は眠りを妨げることが多く,隣の階では生徒が際限なしに冷酷に繰り返す」 とマルセル・プルーストはスカルラッティについて評している.ところでスカルラッティを称賛する人は, 彼の曲の特徴を「フォーレのように転調する」と表す.そのフォーレの曲をプルーストはいたく好んでいた. なにも転調だけがフォーレなのではないし, プルーストの聞いたスカルラッティがよほどひどい演奏だったのかもしれない. 練習曲といえば,あのツェルニーがスカルラッティのソナタを校訂している. また彼は自分の生徒に練習曲としてソナタを使わせてもいたらしい. ところがツェルニーは自分の練習曲を数多く書いてしまい,そちらが有名になってしまった. 彼の練習曲はスカルラッティのソナタから生気を抜き取られたようであり, ピアノの練習には難行苦行が不可欠なのだと語っている.

スカルラッティの謎の一つに,どうしてあれだけ多量のソナタを書けたのか,という話題がある. いろいろな説が唱えられている.単に精力があったのだ,という理由から始まり, 弟子の作品も混ざっているという説,スカルラッティは即興演奏だけしてあとは弟子に書き取らせたのだという説がある. たぶんどれもが当たっているのだろう.このなかでとりわけおもしろいのは即興演奏説である. 曰く,彼は賭事が好きでしょっちゅう素寒貧だったために,宮仕え先のスペイン宮廷の女王が不憫に思い,彼に即興演奏させ, それを書き取らせることを条件として彼を救っていたのだと. さらにおかしいことに、彼の二度目の妻との間にできた子供の中には、女王の娘−マリア・バルバラ−との間にできた子供がいるという話である。 ちなみにその子供の名前もマリア・バルバラという。 ともかく、スカルラッティは先妻、後妻、王妃合わせて10人くらい子供を作ったようなので、精力もあったのだ。

スカルラッティはイタリアで生まれ、のちスペインに渡り、この地で没している。この事実からと彼の音楽とから、ふと思い付いたことがある。
彼はジャズピアニストではなかったか。
ジャズは黒人が自身のリズムを新大陸に持込んだためにできた。異なる文化の混交があったからこそである。 スカルラッティはどうか。歌の国イタリアから来た彼が異国で耳にしたのは、 強烈な踊りのリズムであったに違いない。これはジャズの場合とは逆である。 それでも結果としては似ている。彼の音楽はスウィングとまではいかないものの、シンコペーションの見事な使い方、 あっと驚く転調、憂いを帯びたバラードなど、 550あまりの「スタンダード」にはまぎれもないジャズの要素が詰まっている。 おまけに彼自身の資質がジャズ向きである。子供は作るわ、賭ですっからかんになるわ、 人の曲を自分の曲として発表するわで実にいいかげんである。 そしていうまでもないことだが、彼は即興の天才だった。

8. トリストラム・シャンディ

上の小文で、スカルラッティについて評しているのはマルセル・プルーストと書いた。 しかし私には、プルーストのどの作品の、どの個所かわからない。今となっては、だれの文章によって知ったのかすらわからない。

さて、イギリスの作家であるローレンス・スターンによる作品「トリストラム・シャンディ」に、 スカルラッティについて書かれた個所があることがわかった。以下、下記ページのC H A P. V. から引用する。

http://www1.gifu-u.ac.jp/~masaru/TS/iii.1-19.html

ANY man, madam, reasoning upwards, and observing the prodigious suffusion of blood in my father's countenance, -- by means of which, (as all the blood in his body seemed to rush up into his face, as I told you) he must have redden'd, pictorically and scientintically speaking, six whole tints and a half, if not a full octave above his natural colour : ---- any man, madam, but my uncle Toby, who had observed this, together with the violent knitting of my father's brows, and the extravagant contortion of his body during the whole affair, -- would have concluded my father in a rage ; and taking that for granted, ---- had he been a lover of such kind of concord as arises from two such instruments being put into exact tune, -- he would instantly have skrew'd up his, to the same pitch ; -- and then the devil and all had broke loose -- the whole piece, madam, must have been played off like the sixth of Avison's Scarlatti -- con furia , -- like mad. ---- Grant me patience ! ---- What has con furia, -- con strepito, ---- or any other hurlyburly word whatever to do with harmony ?

英語に疎いので訳すことはできないが、エイヴィソンのスカルラッティの第6番について書かれたもののように受け取れる。 エイヴィソンはイギリスの作曲家で、スカルラッティのテーマによる弦楽合奏曲を6曲作った。 その6番目の曲をここでは指しているようだ。

まりんきょ学問所スカルラッティの部屋> ドメニコ・スカルラッティ


MARUYAMA Satosi