フォーレ:初期歌曲

作成日:1999-12-11
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はじめに

フォーレは多くの歌曲を書いた。 初期の甘い歌曲から中期の力強い歌曲、後期の枯れた歌曲と 変化に富んでいる。この項では初期の歌曲の代表作を取り上げる。
ここで初期というのは1885年までを指すこととする。

蝶と花

Op.1-1。蝶と花(Le papillon et la fleur)はフォーレの初の公式作品である。 詩はヴィクトル・ユゴー(Victor Hugo)。 彼の特性はまだほとんど表れていない。 心地よい曲である。

五月

この「五月(Mai)」(Op.1-2)では、さわやかで喜びあふれる五月が淡々と歌われる。 詩は前曲と同じくユゴーのものである。 転調の妙は後期のものには及ばないが、 それゆえの素直さがむしろこの曲の内容にとって好ましい。 旋律の繰り返しは単純である。

僧院の廃墟で

Op.2-1。僧院の廃墟で(Dans les ruines d'une abbaye)もユゴーの詞である。 旋律は「ソドレミ」であり、聴きやすい。なお正確なリズムはソードドーレレーミミーー。 そんな中にも軽い転調の魅力がある。

船乗り

Op.2-2。船乗り(Les matelots)は、テオフル・ゴーティエ(Théophile Gautier)の詞による曲である。 アルペジオは素朴で、「ネル」と同じ種類だ。素朴な味わいがある。

孤独

Op.3-1。孤独(Seule)も、ゴーティエの詞による曲である。 同じ節とリズムが繰り返される。伴奏の低音は後うちであるが、安定している。

トスカナのセレナード

Op.3-2。トスカナのセレナード(Sérénade toscane)は、パリ音楽院の声楽教授であるロマン・ビュシーヌの詞による曲である。 歌とピアノの対話が、マンドリン風の伴奏で奏でられる。

この旋律は、ピアノ四重奏曲第2番第1楽章の冒頭に似ている。

漁師の歌(悲歌)

Op.4-1。漁師の歌(La chanson du pêcheur) はテオフル・ゴーティエの詩。暗い気分が支配する。 イタリアの歌曲のようだ。

シュミーゲの歌はすばらしい。声質からまさにぴったりという感じだ。 朗唱というスタイルがよく合っている。

リディア

「リディア(Lydia)」(Op. 4-2)は、ル・コント・ド・リール (Leconte de Lisle)の詩。 リディアという名前の少女を愛でる歌である。 おそらく意識してのことだろうが、 フォーレはこの歌にリディア風の旋法を採用した(完全なリディア旋法ではない)。 この旋法のおかげで、フォーレ固有の色気が出てくるのだ。 そしてもう一つ、 16小節と34小節に出てくる、 第1拍と第3拍の三連符がなんともいえぬいい味を出している。 この三連符の使い方は、 ピアノ四重奏曲第一番の第二楽章のスケルツォに通じるものがある。

秋の歌

秋の歌(Chant d'automne、Op.5-1 )は、 シャルル・ボードレール(Charles Baudelaire)の詩による。 思わせぶりな序奏は、いわゆるシャンソンの節回しを感じる。後の「秋」よりは、少し軽い。 転調したあとは、アルペジオの幅が広くなり、音価も半分になり、より豊かになる。

愛の夢

愛の夢(Rêve d'amour、Op.5-2 )は、ユゴーの詩による。 この詩の原題は、「そんなすてきな芝生があれば」(S'il est un charmant gazon) であるが、 出版社がこの名前に変更した。 素直な作品である。

いなくなった人

いなくなった人(L'Absent、Op.5-3 )は、ユゴーの詩による。 伴奏の係留音が、静かな不安をかきたてる。 大意は「道、谷、丘、森、訪れた人はもう来ない。主人は私の知らない所にいる。 犬が守る家には誰もいない。波は牢獄から棺を運んできた。」

朝の歌

Op.6-1。曲を通して、ほぼ同一で、中音部から高音にかけての連打音型が、 朝の清々しさを描いているようだ。

悲しみ

Op.6-2。伴奏はリズムとメロディーを受け持ち、 声のメロディーと絡んで曲を盛り上げる。

シルヴィ

Op.6-3。屈託のない、細やかな伴奏音型が、爽やかさをもたらす。

夢のあとに

リンク先を参照してください。

讃歌

Op.7-2。歌は、半音階のせり上がりから始まり、 固い、型に嵌まった感じを受ける。フォーレが、 何か模範となるものを欲しているようだ。

舟歌

Op.7-3。フォーレが後に残した ピアノ独奏曲の舟歌に比べると、 ぎくしゃくしている。歌の動きと伴奏の動きが交互に提示され、 単調な印象を与える。

川のほとりで

Op.8-1。「水のほとりで」、「河のほとりで」の訳もある (原題は Au bord de l'eau)。 シュリー・プリュドム(Sully Prudhomme)の詩。 抑揚の合間に溜息をつくような曲想が、叙情的だ。 冒頭の歌は、ピアノ四重奏曲第2番の冒頭と似ているが、 こちらは静かである。

罪の償い

Op.8-2は、罪の償い(La Rançon)。「つぐない」、「身代金」、「代償」などとも訳される。 ボードレールの詩による。 内容はこうだ。 「人は償いのために、畑を2つ持つ。芸術と愛だ。裁きの日のために、収穫物で蔵を満たさねばならない」 ハ短調で、音数の少ない、暗い気分から始まる。 徐々に音数も増し、ハ長調に転じて解放される。

この世で

「この世で」Ici-bas! (Op.8-3) は、プリュドムの詩。フォーレにしては輪郭のくっきり出た曲である。 遅めのテンポであるが、歌詞は細かい。 友人とよく合わせていた曲である。

ネル

「ネル」(Op.18-1)は、恋人ネルへの想いを歌った楽しい曲である。 ド・リールの詩である。 ピアノ伴奏はほとんどアルペジオであり、かなり速いため (速度記号は Andante, quasi allegretto である)、 正確に弾くのはかなりの修練を要する。 それだけに、きれいに決まった時の快感は大きい。 この曲もよく友人と練習した。なかなかうまくいかなかったけれど。

この日、MIDIを作りながら、考えてみたことがある。 お世辞にもきれいとはいえない仕上げ具合ではあるが、 「アルペジオ、それはフォーレの顔だ」という言葉を思い出した。 器楽では五重奏曲の第1番だろう。 そして声楽ではこの曲がもっとも相応しいのではないか。 晩年の歌曲に、そのずばりの「アルペジオ」があるが、 こちらは伴奏のアルペジオ自体が細切れのため、顔というには力不足である。 みなさんならどれをとるだろうか。 (2004-06-19)

旅人

Op.18-2 の「旅人」(Le voyageur)は、 アマン・シルヴェストル(Armand Silverstre)の詩。 決然とした調子が一貫して続き、謹厳な感情が伝えられる。

低音域を中心にピアノの伴奏が進むなか、この「秋」(Op.18-3)では ピアノの左手の旋律と、 歌のシャンソン風の旋律とが堂々と(彼の他の曲に比べて堂々と)対話する。 生硬な響きもあるが、人なつこさと厳しさががうまく表現された名品である。

ある日の詩

Op.21 のこの曲集は、ある日の詩(Poème d'un jour)という名前がついている。 3曲一組からなる連作歌曲集とみることもできるが、世の多くの解説書ではその立場をとらない。 「ヴェニスの5つの歌」も同様に連作歌曲集とみなされていない。 きっと「ある一日の詩」は3曲のみからなり主題への求心性が希薄だからだろう。 「ヴェニスの5つの歌」も同様で、 こちらはヴェニスという土地がもつイメージが主題だからと思われる。

能書きはさておき、この詩は「出会い」「永久に」「別れ」の3曲から構成 されている。 わずか3曲ではあるが、これらのスタイルが後の曲にさまざまな形で展開されていく。

出会い

詩の大意は「君に出会って、苦しみは和らいだ。愛しい君に、胸が震える」というもの。 穏やかなアルペジオによって出会いの喜びと苦しさを表している。

永久に

大意は「君の願いは、僕が黙り、去ること。 けれど、僕の悩みや想いを捨てることは望むな」激しい音の洪水と叫びが支配する。

別れ

大意は「物みな命を失い、世は変わり行く。長い愛は短かかった。涙なしの<さよなら>」 後の歌曲に見られる静かな詠嘆調の雰囲気が醸し出され、 別れの後の落ち着いた心が歌われる。

ゆりかご

Op.23-1。3連符が誘う揺れるリズムは、標題とぴったりだ。

私たちの愛

Op.23-2。ピアノの分散和音に乗って、音階の上下で感情が表現される。 どこか後の「シャイロックの歌」を思い起こさせる。

秘密

Op.23-3。 フォーレの後期の歌曲では、 表現が厳しくなり一音一音がゆるがせにできなくなってくる。 初期の歌曲で、そのような厳しさを感じるのがこの「秘密」(Op.23-3)である。 しかし、この曲はあくまで伸びやかで、 陰影も多少あるものの全体を通してすがすがしい気分にあふれている。

愛の歌

Op.27-1。単純なリズムに、どこか人懐こいメロディーで、 「君の目が好き、額が好き」で始まる素直な愛の歌。 こういっては身もふたもないが、フォーレの歌曲の中では他愛のない歌。 この「愛の歌」(Op.27-1) 楽な曲もあってこそ、他の曲も生きるのだ。 実に鼻歌がよく似合う。

歌を教える妖精

Op.27-2 。妖精の名の通り、軽やかで素早いピアノの動きに先導されて、 歌が舞う。

あけぼの

フォーレの歌曲によくある、単に和音をぽつぽつと置くだけの伴奏から、自由な、 かげりのある旋律が歌われる。 中間部は短調に転じ、伴奏にも動きが出てくる。 短調か長調かはっきりしない独特の浮遊感がこの中間部にある。 再現部は中間部の動きで伴奏を受け継いだまま、 最初の伸びやかな旋律のまま終わる。 さしてフォーレの曲の中では有名ではなく、 またヴュイエルモーズによればたいしたことのない作品なのだが、 私はこの「あけぼの」(Aurore) (Op.39-1)が好きで仕方がない。

なお、 フォーレには、作品番号のない「あけぼの」L'aurore)もある。 こちらはさらに初期の作品である。 フォ−レ固有の転調もなく、習作の域を出ない。 しかし、萩原英彦の指摘の通り、 伴奏の動きは後の「グリーン」につながるものがある。

捨てられた花

Op.39-2。同音連打から始まる激しい曲で、シューベルトの魔王を思わせる。 フォーレの特質からは遠い所にあるためか、演奏される機会は少ない。

夢の国

Op.39-3。子守唄のような同一のリズムの上で、無垢の愛が歌われる。少し単調で、むやみに長く感じられる。

イスパハンのばら

Op.39-4。フォーレの曲は意外な転調による効果が大きい。 この曲もそのような転調はするのだけれど、 むしろ転調をしない部分の、ものうげな気分が曲全体を支配している。 この「イスパハンのばら」(Ispahanはイスファハーンとも綴る)は、 子守唄のようなゆったりした歌である。 この歌を聞くと、世の中のいやなことを忘れることができる。 単調なリズムだけでなく、 単調さからの逸脱が絶妙の組み合わせとなっている点で、 同じ単調なリズムの「夢の国」とは一線を画している。

詩は恋人レイラに逃げられた男の嘆き節である。「レイラ」といえば、 たいていの人はエリック・クラプトンの曲を思い出すのだろうが、 こちらのフォーレの歌曲もぜひ味わってほしい。

降誕祭 Op.43-1

フォーレは、宗教色の強い作品をいくつか書いている。レクイエムやラシーヌの雅歌はその有名な例だが、 他にもいくつかの曲がある。この「降誕祭(クリスマス)」は宗教曲の系列に属する(頌歌として分類される)。 ヴィクトル・ヴィルデル(Victor Wilder)の詩による。 八分音符の規則的な音型から細かな音型、2拍子と3拍子の組み合わせの音型と伴奏は変化しつつ、 幼子イエズスを讃える歌が歌われる。

他にもう一つ、頌歌に分類される作品に「祈りながら」がある。

夜曲

Op.43-2 は,夜曲(Nocturne)は、オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン (Auguste Villies de l'Isle-Adam)による。 夜の神秘に託して恋人達の愛を歌う詩である。伴奏がときどき上昇する様は、 秩序のなかから無秩序が突然湧いてくるようで、官能的ですらある。

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MARUYAMA Satosi