ハルプライヒ論文-弦楽四重奏曲ホ短調 Op.121

作成日:2011-05-03
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<幻想の水平線>と<ノクターン第13番>において, フォーレはすでに到達した頂の清浄さを捨てて, 近づきえぬ青春への極めて人間的なノスタルジーの語るがままにさせたのであったが, 「空しく愛された」船の,「満ち足りぬ船出」の苦さをえただけだった。 いま,1923 年の初めにおいて, フォーレの創造の展開を完成させるために欠けているものは, ただ室内楽という崇高なジャンルのかなめたる弦楽四重奏曲だけだった。 ベートーヴェンの圧倒的な先例に対してのコンプレックスと尊敬の念の入り混った一種の不安にとらわれて, フォーレはこれまでずっとそれを避けて来たのだった- これは半世紀前のブラームスや生涯の終りに初めて唯一の弦楽四重奏曲を書いたセザール・フランクの態度とまったく似た態度である。 フランクの<弦楽四重奏曲>が, やっと1889年にフランス弦楽四重奏曲の短いが輝かしい歴史を開いたのである。 やがてダンディ,ドビュッシー,ロパルツ,そしてショーソン, ラヴェル,マニャールらが,父なる熾天使(フランクのこと)の 開いた裂け目に巻きこまれていったのである。 ただもっとも年長のフォーレだけが作曲を見合せていたのである。 その2曲の五重奏曲のなかでフォーレは, たしかに,弦楽四重奏だけで長いパッセージを充足させる練習を行い, それを独立させる準備をしていったのである。 そして80才の近づいたいま,弦楽四重奏曲は, 彼の作品目録に欠けている唯一の重要なジャンルだったのである。

1923年の初め, フォーレはふたたびアヌシ・ル・ヴィユーの友人マイヨ夫妻のもとにおもむいた。 そのころフォーレを訪問した弟子のシャルル・ケクランは, 彼の日常生活を次のように描出している。

「フォーレの自負と精神の若さは驚くべきものだった。 彼はあらゆる国民的な生命の流れ―政治的, 芸術的, 文学的―をつねに身近に感じていた。 夕方, 彼はチェスに興じる(80才になんなんとする年で)。 もっとも緊張した注意が必要なこの難しい遊びを学んだのだ。 彼は勝つとすなおに喜び, 負けても喜ぶのだった。 日中は, 仕事をしていた……。」

この仕事について, フォーレは初め秘密をまもっていた。 7月23日に彼は妻にこうかいている, 「私は仕事をしようと努力している。 私は, なにか結局は生れることを望みながら, あっちこっちに音符を書きつけていろ。 なにが生れて来ることか, しかし私の頭はまったく麻痺しており, 大きなものはもう作れそうにない。」8月1日, 「毎日少し, ほんの少し音楽を書いている。 それは事実だ。 そして何回となくそうであったように, この最初の模索がどんなものになるのが, 私にはいまだわからない。 9月9日, 彼はついにヴェールを脱ぐ。 そして以下の貴重な記録は彼のさまざまな懸念を反映させている。 「私はピアノが加わらない弦楽器のための四重奏曲を作ろうと貯えた。 これはベートーヴェンによってとくに知られるようになったジャンルであり, ベートーヴェン以外の人がそれに恐れを感じているのも, そのためなのだ。 サン=サーンスもいつもこれをこわがっていたし, 生涯の終りにやっとそれを試みたのだ。 彼はほかのジャンルの作曲のようにはこのジャンルで成功していない。 私もそれを恐れているかどうかとお前は考えるだろう。 私はまだ誰にも話していない。 私は目的の終りに近づけなければ, なにも話さないつもりだ。 『仕事をなさってますか』と尋ねられると私はあつかましく, いいえと答えることにしている。 だからこれはお前だけのことにしてくれ」。 しかし9月13日に は次のように告げている。 「夕べ,前の手紙で話した四重奏曲の第1楽章に終止符をうった」。 ここでいう第1楽章は, 実際にはあの崇尚なアンダンテのことである。 パリへ戻ったフォーレは, 1923年の終りの数カ月間で, 第1楽章を作曲したが, そこでは1878年に書かれた若々しい「ヴァイオリン協奏曲」作品14の主題がふたたび用いられている - この協奏曲はオーケストレーションも行われず, 否定され破棄された。 最後の数小節だけがまだ作られていなかった。 秘密をまもろうとする苦心は非常なもので, 草稿を入れた紙入れには, ただ「アヌシ・ル・ヴィユー」と書かれているだけだった。 病気と衰弱の何ヶ月かがつづく。 1924 年6月20日, 彼はパリを離れて(これが最後となった), 初めのディヴォンヌにおもむいた。 しかし7月18日になってやっと次のように妻に手紙することができた, 「私はやっと仕事を再開した, やっとの思いでこういえるのだ。」 24日, 友人のマイヨが車でやって来て, 彼をアヌシ・ル・ヴィユーにつれて行った。 サヴォワで過した最後の夏に, 軽快なフィナーレが生れる。 8月20日, フォーレは告げる, 「私の四重奏曲を完成出来そうだ」。 9月9日, 彼ははっきりと述べる, 「私の仕事のことだがまさに終ろうとしているといえる。 いま完成するこの楽章でこの四重奏曲はできあがるはずだ。 三重奏曲と同じように3楽章のものになるだろう。 でも一般に公開することを急がないので, 四つめの楽章を入れるかもしれない。」9月12日, 「 夕べ,フィナーレを終えた。 第1楽章と第2楽章の間におこうかとも考えた短い四番目の楽章ができなかったことを別にすれば, 四重奏曲は完成した 」。

だから3楽章のプランははじめから想定されていたものではない。 そのうえ, これはフィリップ・フォーレ=フレミエが正当に強調していることだが, フォーレはこの四重奏曲が彼の芸術的遺言になるとは, まったく考えていなかった。 たしかにこの作品の性質, 出来上るまでの苦しみ, フォーレの創造の最後におかれたその位置などは, すべて非常に感動的な一致を示しているし, そこからいろいろな話を作り上げることはできるだろう。 しかし, それで私たちの判断が歪んではならない。 エミール・ヴィエルモーズの忠告に従い, 前の作品に対するのと規準でこの四重奏曲を分析してみよう。 そうすれば, これが不滅の傑作であると断定するのに, 感慨的な強調も情状酌量の必要もまったくないことがわかるだろう。

フォーレ自身は, この作品が傑作であるかどうかについて, 懐疑的になっていた。 フィナーレを完成した数日後におそらくはそれを成功させるために払った大きな努力の結果, 重い病にたおれたフォーレは, 9月19日の日付をもって次のような手紙を口述している。 そしてこの手紙は, この偉大な人格をきわめて感動的に解きあかしてくれる。 「私の四重奏曲の初めの二楽章は, パリの私の机の上にある。 第3楽章はここにある。 私が書く余裕をもたなかったテンポ, ニュアンスやそのほかの指示を書きこむことをロジェ・デュカスに依頼して欲しい。 彼は私の音楽によく慣れているし, だれよりもよく見当をつけてくれるだろう。 それがすんだら, この四重奏曲が出版されたり演奏されたりするまえに, いつも私の作品を最初に聞いてくれていた少数の友人たちの前で試演して欲しい - デュカス,プジョー,ラロ,ベレーグ,ラルマンたちだ。 私はこれらの人の判断を信頼しているので, この四重奏曲が出版されるべきか, 破莱されるべきかを決定する労をとってもらいたいのだ。 もし演奏されるなら, 最初の演奏会は, コンセルヴァトワール卒業者協会のために行われたら幸いだ。 この四重奏曲の初めの二つの楽章は, 表情に富んだ高尚なスタイルのものだ。 第3楽章は軽快な, 私の三重奏曲のスケルツォを思わせるようなものだ。」

カミーユ・ベレーグに献呈されたこの四重奏曲は, 1925年に初演され,出版された。 豪華な豊かさも, 〈五重奏曲第2番〉のようなどうどうたる大きさもないが, この曲は深さとさらに高度の強さをもっている。 モーツァルトについて語ったシューベルトの言葉を借りていえば, 「 そこに含まれる音は, すべてもっとも純度の高い金である 」。 ドビュッシーやラヴェルの曲よりも輝きは少なく, 直接ひとをひきつける魅力も少ないが, しかし, この曲ははるかに高い頂きをきわめているのだ。

〔第1楽章〕アレグロ・モデラート(2分の2拍子,ホ短調)

自由なソナタ形式であるが, 非常に簡潔であり, きわめて線的な対位法によった, 厳しい性格と重々しく崇高な特質をもつ。 そしてメランコリックな豊かな感情を見事に表現している。 第1主題は二つの要素を含む。 ひとつは, 憧れのあまりの不安をたたえた, 上昇する問いかけ(譜例65a)であり, ひとつはおだやかであきらめきった旋律的な答えである(譜例65b)。 きわめて輝かしい第2主題(譜例66)はフォーレのもっとも美しい旋律的楽想のひとつであり, やさしくてしかも激しく,熱烈で,しかも重厚である。 いつも以上にフォーレは主題間のコントラストを弱めている。 簡潔で短い呈示部のあとに展開部がつづくが, それは最初の楽想(譜例65a)のポリフォニックな厳しさを強調する。 ほかの要求のなんどかの出現がそれを切断するだけである。 再現部の初めは, 「カムフラージュ」を施されている。 〔譜例65a〕は対位法の織物のなかに組み込まれているので, 旋律的な答がむきだして出現するようにみえるのである。 末尾の展開部はこの答(譜例65b)を彫琢するが, それはやがて明るいホ長調に変る。 穏やかな結末は最初の楽想を再現し, ピアニッシモで終る。


 形式的シェマ=呈示部,1-59.展開部,60-102.再現部,103-154.,末尾の展開部, 155-187.コーダ, 188-206.

〔第2楽章〕アンダンテ(4分の4拍子,イ短調)

この長い崇高な嘆きは,この作品の頂点を形作っており, 同じような発想による<五重奏曲第2番>のアンダンテのみがそれに比肩しうる。 微妙なエンハーモニーとそれと見分けがたい転調を特徴とするフォーレ和声が,その魔力を発揮するのも,これが最後である。 かなり複雑な形式は,歌謡形式とロンド形式を結合させたものである。 その構造は,かなり極端に分割されているようにも思われるが,にもかかわらず曲は統一を保ち,素晴しい霊感の息吹きに満ちている。 第1主題(譜例67a)は苦悩から慰めへと高まっていき, その第3小節に,フォーレにおいてはつねにあの捉えがたきものへの憧れを表現する上昇する増4度(変ホ―イ)[補注1]を含んでいる。 第二の楽想(譜例68)がすぐそれにつづくが,8分音符の分散和音によってやさしく伴奏される。 ヴィオラの奏する簡素な旋律である。 ヴァイオリンがそれを繰り返す。 新しい主題(形式的シェマにおいてはA′で示される〔譜例 67b〕が介入する。 それは〔譜例67a〕のある要素(とくに増4度)をふたたび用いているが,独立した旋律を形作っている。 この主題から,強い緊張をたたえた,大きな上昇する進行が作り上げられるが, その進行は,第三の主要主題(譜例69,シェマではC)に席を譲って,止まる。 この主題の狭い音域は,老齢の息苦しい苦しみを見事に表現している。 第1主題の回帰が情熱的で,次第に強さを増して行く大きな展開部を開始させる。 〔譜例67b〕がこの展開部の超人間的な上昇の核心を形作っている。 ふたたびデクレッシェンドによって第3楽想(譜例69)が導かれ, そのあとに第2楽想(譜例68)がつづく。 第1主題が最後に回帰して, 末尾で一種の展開部の始まりを告げる。 それは最初の展開部と同様に, 燃えるような情熱的な波濤であるが, この主題はたんに漸移的推移を作り出すだけである。 イ長調のコーダを支配するのもこの主題である。 コーダは,涙で曇った微笑みのような,不思議な魅力的な不協和音をもつ。

譜例 67 a

譜例 67 b

譜例 68

譜例 69

 形式的シェマ = A,1- 15. B, 16-23. A' 24-47. C, 48-67. A,そしてA'、68-105. C,106-115. B, 116-122. 第2展開部(A), 123-152. コーダ(A), 153-161.

[補注1] 原訳文では [ホ - 変イ]とあったが、これは誤りだろう。 Halbreich のフランス語原文では mi bémol-la英語原文では E flat - Aとなっている。

〔第3楽章〕フィナーレ=アレグロ(4分の4拍子,ホ短調)

フィリップ・フォーレ=フレミエがこの楽章の特徴をわずかな言葉で見事に表現している。 「年齢と私たちの悲惨さは, なんの価値も美的意味ももたない。 フォーレは崇高なアンダンテのつづきに悦びを, 控えめな, ヴェールでおおわれた悦びを考えた。 それはこの作品のほかの2つの部分と調和した, 幸福な魂の踊りである」, しかし, クロード・ロスタンは, 作曲者の意図したこの快活さは, ときにはやや喘ぐような苦痛の感情に変ると, 正当にも述べている。 フォーレは先行する二つの楽章の驚くべき表現と痛ましいまでの清浄さを踏襲しようとはしていない。 しかしこのフィナーレはその比類のない優れた書法のために, 価値的には前の二つの楽章と等しい。 かなり大きな規模をもったこの楽章は, その多様な要素をロンド風に交替させているが, 分析によって, ひとつの, 大きなプロポーションの展開部をもったソナタ形式的なプランが明らかにされる。 主要主題(譜例70)は, 弱拍を強調するオスティナートのリズムをもったピッツィカートに伴奏されて, チェロで歌われる。 すぐあとに, あらゆる重みを排除した上昇する反復進行による転調を行う, 二つの要素(譜例71a,b)からなる対主題がつづく。 この要素の第二のものは, 本質的に増4度の上昇する憧れに基礎づけられており, それによってアンダンテ(譜例67a)との絆が作り出されている。 本当の第2主題(譜例72)は,8分音符による伴奏を伴っており, 息づまるような緊張感をもっている。 これらの多様な要素は展開部において交替して現れるが, 〔譜例72〕は中央部近くでいちど現れるだけである。 再現部のまえに, 気づかないうちに長調が確立する。 再現部において〔譜例 72〕が一時回帰するが, それでも最初の主題の明るさが優位を占める。 最初の主題の三連音が執拗にくりかえされるモチーフが開花して, 熱狂的な,ほとんどオーケストラ的なコーダを形作り, 曲は終る。

譜例 70

譜例 71-a

譜例 71-b

譜例 72

 形式的シェマ= 呈示部, 1-58. 展開部, 59-190. 再現部,191-255. コーダ, 256-312.

まりんきょ学問所フォーレの部屋ハルプライヒ論文-弦楽四重奏曲


MARUYAMA Satosi