ハルプライヒ論文-ピアノ五重奏曲第2番ハ短調 Op.115

作成日 : 2011-05-03
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1918年と1919年はフォーレの創作活動にいわば間奏曲的に現われる, 「シンフォニック」な作品の創作が最後に行われた時期だった。作品としては, 年季の入った一部のフォーレ愛好家からさえ忘れられている 〈ピアノとオーケストラのための幻想曲〉。 そして素晴らしいディヴェルティメント〈マスクとベルガマスク〉がある。 1919年の夏はフォーレがアヌシ・ル・ヴィユーにある友人マイヨ夫妻の別荘で過した最初の夏だった。 彼は1922年から没年まで毎年ここに静かにひきこもっていたのである。 そしてこの恵まれた環境のなかで, 彼の最晩年の傑作が開花したのである。 一ケ月で歌曲集〈蜃気楼〉の四つの歌曲を作曲したあとでフォーレは9月2日に新しい五重奏曲の作曲に着手した。 翌年の冬中, 彼はこの曲の仕上げに熱中した。 次第に不安定になってきた健康状態のために, 彼はその冬をミディ地方で過さなければならなかったのである。モンテ・カルロで, ついでタマリスで, そして最後にニースで, 私たちはその手紙を通してこの曲の作られて行くさまを知ることができる。この手紙には老齢と病気による苦悩, それに加うるに明日の生活への不安が反映している。 1920年の夏にコンセルヴァトワールの院長の職を辞さざるをえなかったのだが, しかも彼には恩給はまったく与えられていなかったのである。 1920年7月の末に彼はアヌシ湖岸におもむいた-今度はアヌシ・ル・ヴイユーではなく, ヴェリエに。そして8月23日には彼はそこから妻に次のように書くことができた, 「私の仕事ははかどっている。五重奏曲の第2, 第3楽章を終え, いまは第1楽章のまんなかだ。」パリに帰ってから, 年が変る前にこの第1楽章を完成し, フィナーレのスケッチを作成した。1921年の1月l7日にニースに行き, その地で2月なかごろに作曲を終えた-「疲労感なしに」, そう彼は強調している。

 この新作品の初演は, 翌年の5月21日, ロベール・ロルタとヘッキング四重奏団の手によって, 国民音楽協会で行われた。 ここでふたたびフィリップ・フォーレ=フレミエの言葉をかりよう。 彼はこの記念すべき夜の思い出を次のような感動的な文章でたどっている。

「コンセルヴァトワールの古いホールで, 〈口説き落とされて〉演奏を承諾し, 曲の素晴らしさに彼ら自身すっかり驚いてしまった音楽家たちによって, この五重奏曲が初めて 演奏されたとき, 聴衆は一瞬にして心を奪われ, 驚き, 眩惑された。美しい作品を期待はしていたものの, こんなに素晴らしい作品だとは……。フォーレが非常に高い境地にあることは知られていた。 しかしそうと気づかぬまに, 彼がこのような高みにまで達しているとは信じられなかったのである。 作品が展開していくにつれて熱狂は増大したが, そこにはある後悔の念が混ざっているように思われた- このような天賦の才を手中に持っていた老人の価値をたぶん十分には知っていなかったという後悔, 最後の和音が響いたとき, 全員が立ち上った。人びとは叫び, 審査員席に向かって手をさしのべた。そこには, もはやまたも聞こえないガブリエル・フォーレが身をひそめていたのである。 彼は頭を振りながら一人で客席の一列目のところまで進んだ。彼はホールを見渡した。そこではベルリオーズやショパン, そしてヴァーグナーなどが熱烈な時間を体験して来たのだ。 そして彼は音楽のみによって魅せられた人びとを見渡した。彼は非常に弱々しそうに, やせこけてみえた。毛皮つきのマントをきてよろめいているようにみえた。彼の顔はすっかりあおざめていた。」 「家に帰って床につくときに, 彼はベッドに坐って私たちにいった, 〈こんな夜は, ほんとうに楽しいものだ。面倒くさいのは, このあとまた下降することが出来ないこと。 もっといいものを作るように心がけなければならないことだ〉。 」

ポール・デュカスに献呈されたこの〈五重奏曲第2番〉は, その優れた, 調和のとれた構築によって, 晩年のフォーレの作品でもきわ立ったものになっている。フォーレはこの作品において, その発想のあらゆる富を豊富に集めえたのであるが, そのことによって彼の主要な特微であるあの偉大な明晰さはいささかも失われていない。後期の作品のなかでは, この曲はあきらかにもっともよく知られているが, しかしこの曲にふさわしい位置を現在の音楽生活のなかで占めてはいない (音楽生活の反映であるレコードにおいても)。 ドビュッシーやラヴェルの四重奏曲と同じくらい頻繁に聞かれるべきだろう。 この曲はフランス音楽一そして世界の音楽―のなかでそれらと同じように高い位置を占めているからだ。 だがそうした事態にほど遠いことを私たちは知っている。しかしながら, 最初の演奏によってかきたてられた聴衆の熱狂に対して, この曲に対する一致した批評は賛意を表している。批評は, 今日に到るまで, この五重奏曲に対してたいへん心強い理解をみせているのだ。エミール・ヴィエルモーズは, この曲の特質をわずかな文章で見事に捉えている。

「この五重奏曲は、 一般には両立しがたい二つの価値を結合するするというパラドクシカルな特徴をもっている。 若さとおだやかさ。この曲は, 新鮮さ, 激しさ, 心の大きさと説得力のある愛情という若さの特権をもっているが, 同時にに叡知という浄化された才能, 理念化された情熱, 官能の平衡と冷静な理性をもっている。」

つけ加えれば, フォーレはこの曲で 〈ピアノ四重奏曲第2番〉 の雄大な広がりとシンフォニックな力強さを再び見出しているが, 和声の書法の信じられぬまでの洗練と表現の深さにおいて, 新たなる段階にまで高まっている。あるときには勇壮にして粗々しく, あるときには感動的でやさしく, この曲はフォーレの器楽曲のなかでもっとも〈ペーネロペイア〉の世界にちかい。

〔第1楽章〕アレグロ・モデラート(4分の3拍子,ハ短調)

圧倒的な力と,衰えを知らぬ息吹きをもったこの楽章は,フォーレのもっとも美しいアレグロというべきだろう。 ソナタ形式を五つの部分に拡大した, 第2展開部の存在は補注1,これ以降,この作曲者の構築上の規範となる。 ここでもピアノのアルペッジョの規則正しい背景が広々とした舞台を作り出し, そのうえにヴィオラが非常に旋律的な主要主題のおだやかな曲線を描きだすが〔譜例44〕, それは二度跳躍しながら上昇するオクターヴによって,またもやペーネロペイアの面影をしのばせる。 最初の楽節が変ホで終ったあとで,第2の,より大きな一種の拡大ともいえる楽節が変イ長調を確立する。 将来の展開をはらんだこの冒頭の抑制された力は,この老いた巨匠につきまとう-〈ペーネロペイア〉から, まだ生れない〈幻想の水平線〉にいたる-あの大いなる船出のイメージを喚起する。 生気に満ちた粗々しい第2楽想〔譜例45b〕は弦による厳格なポリフォニーに託されるが, ピアノが慰めるような調子の小さい旋律的なコメント〔譜例45b〕によってそれに答える。 この呈示部は, 〈五重奏曲第1番 〉の呈示部のプランを正確にふたたび用いたものであることが認められるだろう (譜例25,26参照)。 しかしここでは有機的な統一は〔譜例44〕の第2小節から直接作られた〔譜例45b〕の性質のために,より強められている。 弦によるポリフォニーの抒情的なコメントによって豊かになった対話が展開部を導く。 展開部はト短調での最初の主題の回帰によって始まり緊張感と見事な豊かさをもった第2主題の対位法的な彫啄がそれにつづく。 第1主題にもとづいた結末の部分が再現部に向かって高まっていく。 再現部で主要主題が初めてフォルティッシモの豊かな力のなかに呈示される‐オデュッセウスがそのヴェールをぬいだ! この主題の繰り返しは短いが, それはかえってその衝撃的な力を増加させている。 第二のグループが一種の自由な大きな展開の対象になるが, それは〔譜例45a〕の二度にわたる力強い出現によって枠づけられた〔譜例44と45a〕のポリフォニックな対話である. 末尾の展開部は,やはり〔譜例44と45b〕にもとづいているが,終りに〔譜例45a〕の生気に満ちたリズムが結びつく。 ブルックナーの大きな結末を思わせるような累加的な力をもったハ長調の調性を確立する力強いコーダによってこの楽章は終る。 ソナタ形式の形式上の目じるしが絶えざる展開の波の下に次第次第にかくれて行くのが見られるだろう。 この意味でこの激動的な並外れた楽章は,フォーレがこれまでに書いたもののなかでもっとも「通作的」 (durchkomponiert)なものである。

譜例 44

譜例 45a

譜例 45b

 

形式的シェマ=呈示部,1-82,第1展開部, 83-176,再現部 177-266, 第2展開部,267-306. コーダ,307-330補注2

〔第2楽章〕スケルツォ=アレグロ.ヴイーヴォ(4分の3拍子,変ホ長調)

30年前の〈四重奏曲ト短調〉以降, フォーレは室内楽曲ではスケルツォを放棄していた。 ところが75才になった彼はスケルツォに戻って,彼の手になるスケルツォのなかでも, もっとも自由で,もっとも幻想的で,もっとも軽やかで,もっともまばゆい若さをもったスケルツォを書いたのである。 気ままに飛びまわるような流れ,捕えがたい謎めいた旋回,音の微塵の万華鏡のような動きは,到底分析しえない。 自由な形式をもったこの楽章では,多くのリズム的・旋律的要素が対置され,やがて融合され,統一される。 まず16分音符からなるピアノの上昇する軽快な楽句〔譜例46〕が目につくだろう。 この楽句は〈即興曲第5番〉を想い出させるような, そしてそれと同様に一音ずつ音階の音程に基礎をもった巧妙な戯れをみせながら弦の四重奏による下降する和声的な構造を横切って次つぎに現れる。 二つの要素〔譜例 47 a,b〕からなる旋律なモチーフが現れ, エミール・ヴュイエルモーズが「長く曲がりくねった楽節,繰り返しもなく, シンメトリカルな構造ももたずに24小節を一気に進行する豊かな旋律,繊細でしかも心にしみ通るような, そしてやがて巧みな展開の諸要素を提供する抒情的な大きな楽想」と定義したものへと,大きく拡大される。 〔譜例46〕から作られたリズムがいっとき,あわただしくそれに重ね合わされ,一種の再現部の存在を示す。 楽章の終りでは二つの楽想が交替し,重ね合わされ,分ちだたく結合される。 そして最後の数小節では,無邪気な哄笑によって,70 才の老人の生きる喜びがはっきりと示されるのだ。

譜例 46

譜例 47(上段が 47a, 下段が 47b)

 形式的シェマ=A,1-40. B, 41-90.A+B(繰り返し), 91-106.B,107-145.A+11(総合),146-182.準コーダ(やはりA+B), 183-215。

〔第3楽章〕アンダンテ・モデラート(4分の4拍子,ト長調).

譜例 48

譜例 49

これまでせいぜい三,四人の音楽家が踏んだだけの,あの頂きのひとつに私たちはいま達した。 前の楽章のほとんど快活な喜びのあとで,これは「全体的な不幸,永遠の苦悩」 (フォーレの言葉である)についての,崇高な嘆きだ。 だが耳疾や老齢による氷のような麻痺という残酷な現実を前にしてつねに若く純粋な心をもった老いたる巨匠は, もう一度「現実を超えて出来るかぎり高く高まる」ために,それに逆らおうとするのだ。 この目もくらむばかりの高みは,けっして非人間的なものではない。 むしろその逆だ。 しかし大気はすでに稀薄となり, そこでは「聖なる感謝の歌」やブルックナーの〈第9交響曲〉のアダージョに見出されるような, あの永遠と天空の香が匂うのだ。 このアンダンテの飛翔そのものがさきの2曲を想起させる-前者の,むき出しの上昇する6度の跳躍。 ト長調, 嬰卜短調そしてロ短調の間を動く驚くべき調性の多義性によって一時調性の重みを消し去ってしまう後者の並外れて巧妙な和声の連鎖……。 弦の四重奏のみで提示され,低中音域に限られた第一の楽想〔譜例48〕の苦悩に満ちた重々しさのあとに, 第2主題のやさしい慰めがつづく。 第2主題はピアノで奏されるきわめて単純なカンティレーナであり,諦めと熱い想いのこめられたおだやかな心境を表明する (譜例49)。 壮大な規模をもった楽章全体は,コーダを従えた五つの部分からなる大きな歌謡形式のプランに従って, 二つの楽想を単純に交替させている。 しかし〔譜例49〕の二度目の出現は,最初のそれとはまったく異なっている。 第2ヴァイオリンとヴィオラが,重く強くそして情熱的な熱烈さをこめて旋律を歌う。 ついで音楽は転調しながら長い上昇をつづける。 なにものもそれを留めることが出来ない。 だが,頂上がきわめられると(106-107)その終りに進しかけた」長い生涯の重みを負わされたような, 驚くべき,半音階の使用による重苦しさをみせながら,数小節下降する。 第1主題の最後の登場は,ここでは第2主題と結合されて,ピアノで,次いで弦で行われる。 そして第2主題だけが,最後にト長調で和らげられた結末を支配する。

形式的シェマ=A,1-26, B,27-50.A,51-77.B,78-109.A(Bと),110-129.コーダ(Bによる),130-144.

〔第4楽章〕フィナーレ=アレグロ・モルト(4分の3拍子)

譜例 50 (ヴィオラが 50a, ピアノが 50b)

譜例 50c

譜例 51

譜例 52

曲は冒頭の飾り気のない暗さから, 燃えるようなコーダ=ストレッタの生命の高揚に到るまで, 自由なロンドのさまざまなエピソードを確固たるリズム的な衝動の火床に置きながら,一気に高まっていく。 不思議なことに曲の本体はしばらく現れない。 マルカートと指示された重要な小さいモチーフがピアノの低音部で奏され〔譜例50a〕, 実際のテンポよりは二倍おそい 2 分の 3 拍子の幻想を作り出す。 ヴィオラに与えられる, 上昇する形にもかかわらず, 暗い主要旋律〔譜例50b〕が, 「経過部」の役割を果す転調的な要素〔譜例50c〕 と結びつく。 〔譜例 50c〕の最初の二つの音(レ,ミ)のアクセントは, あきらかに〔譜例45a〕の3小節目の無意識的な想起であるが, 展開の過程で重要な役割を演ずる。 第二の主要主題〔譜例51〕 は, 変卜長調で, ピアノで呈示されるが, そのやさしい明るい動きによって, さきの主題との対照を形作っている。 第1主題は回帰するに際して, まずかなり長い展開を与えられ, ついで簡潔に再現される。軽やかな中間部が第三の楽想を導入するが, その諧謔的な(スケルツァンド)性質は第2楽章の雰囲気を思わせ〔譜例52〕, 〔譜例50b〕の冒頭との対比を形作る。〔譜例50(a,b)〕にもとづく 転調的進行への移行が, へ長調での, 拡大された第2主題 〔譜例51〕の回帰を用意する。次に最初の主題〔譜例50〕 がピアノの低音部に回帰するが, それの有機的な補足とも いうべき〔譜例50b〕はもはや聞かれない。暗い気分のときは終ったからだ。 ポリフォニー全体に浸透し, その渦のなかに〔譜例50c〕をまきこみながら, ハ長調の輝かしい結末を支配するのは, 陽気な〔譜例52〕である。

形式的シェマ=A,1-61.B,62-118.A(展開部,そして 再現部),119-194,C, 195-246.A(変形された。主要旋律を欠く). 247-290. B,291-359.A(最初のモチーフのみ), 360-391.大きなコーダ=ストレッタ(Aの要素とC), 392- 540.


まりんきょ学問所フォーレの部屋ハルプライヒ論文-ピアノ五重奏曲第2番ハ短調 Op.115


MARUYAMA Satosi