関東私鉄ストーリー

お待たせいたしました。ご乗車ありがとうございます。

こんどは関東の方々にも満足頂きましょう。さぁ出発進行!!


 ●レッドアローの謎

西武池袋から秩父方面への特急「ちちぶ」や、西武新宿から本川越方面行きの特急「小江戸」に使われているニューレッドアローはゆったり着席できる電車として人気が高く、特急券はいつも発車直前には売りきれとなってしまうほど好評だ。

今のニューレッドアローの前任者、レッドアローこと西武5000系は昭和44年の秩父線開通とともにデビューしたが当初は4両編成だった。この電車は池袋と秩父を結んだだけでなく、新宿からの系統と池袋からの区間系統も追加され、のちに6両編成に増強されている。

さて全車勇退したと思われている前任者レッドアローだが、実は北陸富山で今でも活躍しているのである。また分身は今だ西武線に生き続けているのはご存知だろうか。

富山県にある「富山地方鉄道」では自社の電車や、名鉄から購入した電車が老朽化し、冷房もついていないという点が問題となっていた。そのころ東京や大阪で活躍してきた電車たちが輸送力増強により電車の規模が合わなくなり、次々と引退しているのも事実であった。それを地方の私鉄が見逃すはずがない。大都市圏でお役御免になったとはいえ、決して老朽化著しいわけではなく、製造後20年程度では地方なら新しい部類。しかも冷房がついているのが多いというのも事実。まだまだ現役で使えるはずだ。

立山黒部アルペンルートという観光地を控える富山地方鉄道(以下地鉄)では、富山・立山・宇奈月温泉を結ぶ特急に自社の電車を使っていたが、いかんせん通勤輸送にも使うために観光地への特急としてのグレードには必ずしもそぐわなかったようだ。そこに西武レッドアローが引退するという「朗報」が伝えられたのは平成7年1月の事であった。

レッドアローは6両編成だが、3両編成に直せば地鉄特急にはもってこい。地鉄職員によるレッドアロー下見の結果、「こりゃあ、いける!」ということに。

しかし、西武の意向は「足回りと付属機器はまだ十分使えるので、それは売るわけにはいきません。車体だけなら売りましょう」との事。だけどレッドアローは魅力のある電車。話が御破算になるのは惜しい。それなら「足回りと付属機器を調達して、車体だけでも買おうじゃないか」ということが決まり、レッドアローは住み慣れた東京を離れ、北陸富山へと移動することになった。

車体だけって、どうやって行くの??という話になる。

通常そのような電車の車体を輸送する場合は、JRに協力してもらって「甲種貨物輸送」という形をとり、仮の台車を履いて機関車で連れて行くのが常識。だけどもここに大きな障害が発生した。
西武での籍がなくなるのは4月。地鉄ではなんとしても夏の行楽シーズンに間に合わせたいので必要なのは7月。両社は直ぐに契約を交わしたものの、それは西武での引退直前の事だった。普通はJRで輸送する場合、6ケ月前に申し込まないとNGだ。それでは足回りと付属機器を取りつける改造は到底間に合わない…と言う事は地鉄でのデビューは不可能なのか?西武線は新秋津でJR武蔵野線とつながっているし、地鉄も富山でJR北陸線とつながっていると言うのに。

そこで地鉄は思いきった策を取った。トレーラーで道路を走っていけばオッケイじゃないか!!。それならすぐにでも車体が手に入るし、改造も突貫作業すれば7月デビューに間に合うはず。輸送方法は決定した。

西武の所沢工場で足回りと付属機器を外されたレッドアローは、道路輸送用の特殊なタイヤを履いて、夕刻にはトレーラーに牽かれて所沢を出発、関越自動車道〜北陸自動車道というルートをかっ飛ばして次の日の早朝、富山入りするという離れ業をやってのけたのだ。

車体は無事手に入った。あとは足回りと付属機器だ。地鉄にブレーキ関係部品を納めている業者の口利きで、足回りはJR九州で廃車になった特急電車から、付属機器は営団(現:東京メトロ)、東京都、京浜急行から余った部品を集めて、とうとう地鉄「レッドアロー」は予定通り7月に地鉄の特急電車としてめでたく再デビューしたのである。

またこういう逸話もある。足回りはJRの特急電車だから、高速性能は折り紙つき。西武時代は最高速度85km/hの性能だったが、こんどは120km/hは楽に出る足回りだ。ただし地鉄の最高速度は95km/hだからその性能は発揮しきれない…のはずなのだが、地鉄本線の魚津付近はちょうどJR北陸本線との平行区間(しかも直線!)で、しかもたまたま地鉄でのデビュー当時、JRの特急とほぼ同時刻に走る地鉄特急のダイヤがあったらしく、本来なら疾走するJR特急にはかなわないはずなんだが、思いも寄らなかったハイスピードで特急同士のデッドヒートを演じた…という話もある。

しかし、その高速性能は加減速の多い地鉄では馴染まなかったようだ。逆に「出足が悪い」という乗務員の声によってギアをローギアードなものに取替えることになった。今度はJR宇都宮線等で不用になったギアに取替えた。高速性能はやや低下したが、それでも地鉄では十分通用する。

西武が「まだまだ使う」と言っていたレッドアローの足回りと付属機器だが、予定どおりニューレッドアローに生き続けているのである。

台車は少々改造し、付属機器はオーバーホールされた。車体こそ「ニューレッドアロー」に生まれ変わったものの、武蔵野を駆け、秩父の山岳地帯を走る伝統の足回りはリフレッシュされてそのまま取りつけられて、今でも健在なのである。

北陸の地に移り、すっかり雪国生活にも馴れてしまったレッドアロー。しかし最近は不景気の影響とクルマ社会化ということもあり、利用者の減少には歯止めが掛からないのは…もはや否めない事実。近年は地鉄特急の運転本数も削減されて力を持て余し気味のレッドアローだが、まだまだ長く活躍して欲しいものである。


西武「レッドアロー」は、こうして北陸富山でその姿のまま元気に特急として活躍しています。内装もそのままです。でもトイレだけは使わないので撤去されてしまいました。
今でもかつて西武のレッドアローだったことを知る観光客が「この電車はね…」という話をしているのを、よく車内で聞くことがあります。

左の写真は、西武池袋線で現役だった頃のレッドアローです。ニューレッドアローの写真と同じ場所で撮ってました。

次は成田空港へのアクセス、京成スカイライナーに関する話です。

【予告】スカイライナーの謎

【参考文献】

鉄道ジャーナル 1995年12月号 レッドアロー 富山へ-!

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