上だけ着てる準
第54話:お泊まり
 「準ちゃん、ちょっと」
 土曜日の夕方、部屋で準が暇そうにしていると、お母さんが呼びました。
 「なあに?」
 「ちょっとお使いに行ってくれない?」
 「うん、いいよ」
 準が返事をすると、お母さんは、ラップをかけたボールを準に渡して言いました。
 「煮豆がおいしくできたの。おじさんのところに持って行って」
 「ええーっ」
 準はうろたえました。以前書きましたが、準はそのおじさんと、従姉のみゆきお姉ちゃんが苦手なのです。
 でも、一度「うん」って言ったために、結局行くことになってしまいました。

 「こんにちはー」
 「あら、準ちゃんいらっしゃい」
 出てきたのがおばさんだったので、準はほっとしました。
 「これ、お母さんが持って行きなさいって」
 「まあ、ありがとう」
 「じゃあ、ぼくはこれで…」
 「ちょっと上がっていきなさいよ」
 準が帰ろうとすると、おばさんが引き止めました。
 「もうすぐお夕食だから、いっしょにどう?。お母さんには電話しておくから」
 「でも…」
 「今夜はオムライスよ」
 「…じゃあ、ちょっとだけ」
 大好きなオムライスと聞いて、準はついうなづいてしまいました。

 「ただいま」
 準がおばさんを手伝ってお皿を並べていると、みゆきお姉ちゃんが帰ってきました。
 「あら、あんた来てたの?」
 「う、うん」
 「すぐごはんにするから、手を洗ってらっしゃい」
 「はーい」

 「あの、おじさんは…」
 オムライスを食べながら、準がおそるおそる訊きました。
 「今日は出張でいないのよ」
 おばさんに言われて、準はほっとしました。

 「ごちそうさまでした。それじゃ、また…」
 「せっかく来たんだから、ちょっと遊びましょうよ」
 準が帰ろうとすると、お姉ちゃんが言いました。
 「でも…」
 「こないだのお正月、あんたうちに来て寝てばっかりだったじゃない」
 「だって、あんまり寝てなかったから…」
 「だから、そのときの分、遊ぶわよ」
 「……」
 お姉ちゃんはそう言うと、準の手を引っ張って、2階の自分の部屋に連れていきました。

 「もう暗いから、外じゃ遊べないわねえ。せっかく今年も羽根突きしようと思ってたのに」
 …よかった。
 「トランプも、あんたどうせ七並べしか知らないし。…まあいいわ。お話でもしましょう」
 「うん」
 「あんた、お年玉どうだった?」
 「いっぱいもらったよ。ほら」
 今年は全部貯金される前に、すこしだけお母さんにもらっていたのです。準は、千円札が1枚だけ入った小さな財布をポケットから出すと、うれしそうにお姉ちゃんに見せびらかしました。
 「そのお札、もう使えないわよ」
 「ど、どうして?」
 「ほら、”大蔵省印刷局製造”って書いてあるでしょ。大蔵省は財務省に変わったから、それは偽札よ(注)」
 「ええーっ。…でも、まだ郵便局に預けてあるのがあるから」
 「バカねえ。その通帳には”郵政大臣”って書いてあると思うけど、郵政大臣ってもういないのよ」
 「どこ行ったの?。帰ってくるの、その人」
 「さあねえ。とにかくあきらめなさい」
 「そんなぁ」
 準は、がっくりと肩を落としました(注)。

 「あら、もうこんな時間」
 おバカな話をしているうちに、すっかり夜遅くなってしまいました。
 「ぼく、帰らなくちゃ」
 「準ちゃん、泊まっていったら?。明日はお休みなんだし」
 玄関で靴をはこうとすると、おばさんが言いました。
 「でも、パジャマ持ってないし…」
 「一晩くらいそのままでも平気でしょ。今晩はおじさんがいないから、男の子の準ちゃんがいてくれたら心強いわ」
 「…でも、お母さんが心配するから」
 「ひとりで帰れるの?外は真っ暗よ」
 お姉ちゃんが、口を挟みました。
 「……」
 「そういえば、あの角のところ、出るらしいわよ」
 「と、泊まります」
 準は、あわてて言いました。

 お姉ちゃんの部屋にふとんを敷いてもらって、準はセーターを脱いで横になりました。お姉ちゃんは、蛍光灯のひもを引っ張りました。
 「電気消すの?」
 「当たり前でしょ、寝るんだから」
 「そうだよね。ははは」
 怖がりの準は、いつも電気をつけたまま寝ているのです。
 …くまちゃんもいないし、どうしよう。
 準は、何も見えないようにぎゅっと目をつぶりました。そうすると、今度は新しい不安が、頭をよぎりました。
 …トイレ、行っておかなきゃ。
 でも、さっき”出る”話を聞いたので、とても行く気になれません。準はちょっと下腹部に力を入れてみました。
 …大丈夫だよね。
 準は、自分言い聞かせました。でも、なんか、あまり大丈夫そうでない気がします。どうしようかと迷っているうちに、そのまま眠ってしまいました。


 「さあ、朝よ。起きなさい」
 みゆきお姉ちゃんが言いました。外はすっかり明るくなっています。
 「ぼ、ぼく、もうちょっと寝てる」
 「何言ってるの、さあ、早く」
 「…でも」
 準には、ふとんを出れない事情があるのです。お姉ちゃんは、お構いなしに準のふとんをめくりました。
 「…ちょっと、あんた、まさか」
 「ご、ごめんなさい」
 そうなのです。準の予感は不幸にも的中し、21世紀最初のおねしょを、こともあろうにみゆきお姉ちゃんの部屋でしてしまったのでした。
 「やったわねえ。あんた、いくつなの?」
 「だって、おねえちゃんがそこでしなさいって言ったから、その…」
 「そんなこと言うわけないでしょ」
 もちろんそれは夢なのは準にはわかっています。今思えば、なんだか出方が変だったのですが、気づいたときはもう遅いというのは、いつものパターンです。
 「さあ、早く脱ぎなさい」
 「こ、ここで?」
 「別に、外で着替えてもいいのよ」
 準は首を横に振ると、濡れたズボンとパンツをいっしょに脱ぎました。
 「もう、おなかの辺までびしょびしょじゃないの」
 「だって、その、上を向いてたんだもん…」
 男の子のおねしょは、被害甚大なのです。上も脱いで、準は丸裸になりました。
 「は、はっくしょん!」
 「ほら、風邪引くわよ。セーターがあったでしょ」
 「でも、直接着たらちくちくするし…」
 「しょうがないわね。ほら」
 お姉ちゃんは、真っ赤なトレーナーを準に渡しました。準は、あわててそれを着ました。
 「…上だけ?」
 準は、すそを下に引っ張りながら言いました。
 「私のはきたいの?」
 「ぼ、ぼく、このままでいる」
 準は、あわてて首を横に振りました。
 お姉ちゃんは、準の汚れ物を持って、下に降りていきました。

 しばらくして、お姉ちゃんが戻ってきました。
 「ほら、洗って乾燥機に入れたから」
 そう言って、準に服を渡しました。ちょっと生乾きですが、着れないことはありません。
 「あ、ありがとう」
 「おふとんは…あとで何とかしましょう」
 「お、お姉ちゃん」
 準が、おそるおそる訊きました。
 「ぼくのおねしょ、誰にもないしょにしてくれる?」
 「言うわけないでしょ」
 「…うっうっ」
 準の目から、涙があふれてきました。
 「どうして泣いてるの?」
 「…だって、お姉ちゃんがやさしいんだもん」
 「バカね、私はいつだってやさしいじゃない」
 お姉ちゃんは、準の鼻をちょんとつつきました。準はこくりとうなづくと、ちょっとだけ笑顔を見せました。
 「準ちゃん、みゆき、朝ご飯できたわよ」
 下から、おばさんの声がしました。
 「はーい」
 ふたりは声を揃えて返事をすると、階段を下りていきました。


(注)もちろん、そんな冗談を本気にするのは準だけとは思いますが、これを聞いて取り付け騒ぎとか起こさないで下さいね(笑)。

初めての方へ : あらかじめ第29話第36話を読んでいただくと、もっと楽しんでいただけると思います(^^)。

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