「準ちゃん、ちょっと」
土曜日の夕方、部屋で準が暇そうにしていると、お母さんが呼びました。
「なあに?」
「ちょっとお使いに行ってくれない?」
「うん、いいよ」
準が返事をすると、お母さんは、ラップをかけたボールを準に渡して言いました。
「煮豆がおいしくできたの。おじさんのところに持って行って」
「ええーっ」
準はうろたえました。以前書きましたが、準はそのおじさんと、従姉のみゆきお姉ちゃんが苦手なのです。
でも、一度「うん」って言ったために、結局行くことになってしまいました。
「こんにちはー」
「あら、準ちゃんいらっしゃい」
出てきたのがおばさんだったので、準はほっとしました。
「これ、お母さんが持って行きなさいって」
「まあ、ありがとう」
「じゃあ、ぼくはこれで…」
「ちょっと上がっていきなさいよ」
準が帰ろうとすると、おばさんが引き止めました。
「もうすぐお夕食だから、いっしょにどう?。お母さんには電話しておくから」
「でも…」
「今夜はオムライスよ」
「…じゃあ、ちょっとだけ」
大好きなオムライスと聞いて、準はついうなづいてしまいました。
「ただいま」
準がおばさんを手伝ってお皿を並べていると、みゆきお姉ちゃんが帰ってきました。
「あら、あんた来てたの?」
「う、うん」
「すぐごはんにするから、手を洗ってらっしゃい」
「はーい」
「あの、おじさんは…」
オムライスを食べながら、準がおそるおそる訊きました。
「今日は出張でいないのよ」
おばさんに言われて、準はほっとしました。
「ごちそうさまでした。それじゃ、また…」
「せっかく来たんだから、ちょっと遊びましょうよ」
準が帰ろうとすると、お姉ちゃんが言いました。
「でも…」
「こないだのお正月、あんたうちに来て寝てばっかりだったじゃない」
「だって、あんまり寝てなかったから…」
「だから、そのときの分、遊ぶわよ」
「……」
お姉ちゃんはそう言うと、準の手を引っ張って、2階の自分の部屋に連れていきました。
「もう暗いから、外じゃ遊べないわねえ。せっかく今年も羽根突きしようと思ってたのに」
…よかった。
「トランプも、あんたどうせ七並べしか知らないし。…まあいいわ。お話でもしましょう」
「うん」
「あんた、お年玉どうだった?」
「いっぱいもらったよ。ほら」
今年は全部貯金される前に、すこしだけお母さんにもらっていたのです。準は、千円札が1枚だけ入った小さな財布をポケットから出すと、うれしそうにお姉ちゃんに見せびらかしました。
「そのお札、もう使えないわよ」
「ど、どうして?」
「ほら、”大蔵省印刷局製造”って書いてあるでしょ。大蔵省は財務省に変わったから、それは偽札よ(注)」
「ええーっ。…でも、まだ郵便局に預けてあるのがあるから」
「バカねえ。その通帳には”郵政大臣”って書いてあると思うけど、郵政大臣ってもういないのよ」
「どこ行ったの?。帰ってくるの、その人」
「さあねえ。とにかくあきらめなさい」
「そんなぁ」
準は、がっくりと肩を落としました(注)。
「あら、もうこんな時間」
おバカな話をしているうちに、すっかり夜遅くなってしまいました。
「ぼく、帰らなくちゃ」
「準ちゃん、泊まっていったら?。明日はお休みなんだし」
玄関で靴をはこうとすると、おばさんが言いました。
「でも、パジャマ持ってないし…」
「一晩くらいそのままでも平気でしょ。今晩はおじさんがいないから、男の子の準ちゃんがいてくれたら心強いわ」
「…でも、お母さんが心配するから」
「ひとりで帰れるの?外は真っ暗よ」
お姉ちゃんが、口を挟みました。
「……」
「そういえば、あの角のところ、出るらしいわよ」
「と、泊まります」
準は、あわてて言いました。
お姉ちゃんの部屋にふとんを敷いてもらって、準はセーターを脱いで横になりました。お姉ちゃんは、蛍光灯のひもを引っ張りました。
「電気消すの?」
「当たり前でしょ、寝るんだから」
「そうだよね。ははは」
怖がりの準は、いつも電気をつけたまま寝ているのです。
…くまちゃんもいないし、どうしよう。
準は、何も見えないようにぎゅっと目をつぶりました。そうすると、今度は新しい不安が、頭をよぎりました。
…トイレ、行っておかなきゃ。
でも、さっき”出る”話を聞いたので、とても行く気になれません。準はちょっと下腹部に力を入れてみました。
…大丈夫だよね。
準は、自分言い聞かせました。でも、なんか、あまり大丈夫そうでない気がします。どうしようかと迷っているうちに、そのまま眠ってしまいました。
「さあ、朝よ。起きなさい」
みゆきお姉ちゃんが言いました。外はすっかり明るくなっています。
「ぼ、ぼく、もうちょっと寝てる」
「何言ってるの、さあ、早く」
「…でも」
準には、ふとんを出れない事情があるのです。お姉ちゃんは、お構いなしに準のふとんをめくりました。
「…ちょっと、あんた、まさか」
「ご、ごめんなさい」
そうなのです。準の予感は不幸にも的中し、21世紀最初のおねしょを、こともあろうにみゆきお姉ちゃんの部屋でしてしまったのでした。
「やったわねえ。あんた、いくつなの?」
「だって、おねえちゃんがそこでしなさいって言ったから、その…」
「そんなこと言うわけないでしょ」
もちろんそれは夢なのは準にはわかっています。今思えば、なんだか出方が変だったのですが、気づいたときはもう遅いというのは、いつものパターンです。
「さあ、早く脱ぎなさい」
「こ、ここで?」
「別に、外で着替えてもいいのよ」
準は首を横に振ると、濡れたズボンとパンツをいっしょに脱ぎました。
「もう、おなかの辺までびしょびしょじゃないの」
「だって、その、上を向いてたんだもん…」
男の子のおねしょは、被害甚大なのです。上も脱いで、準は丸裸になりました。
「は、はっくしょん!」
「ほら、風邪引くわよ。セーターがあったでしょ」
「でも、直接着たらちくちくするし…」
「しょうがないわね。ほら」
お姉ちゃんは、真っ赤なトレーナーを準に渡しました。準は、あわててそれを着ました。
「…上だけ?」
準は、すそを下に引っ張りながら言いました。
「私のはきたいの?」
「ぼ、ぼく、このままでいる」
準は、あわてて首を横に振りました。
お姉ちゃんは、準の汚れ物を持って、下に降りていきました。
しばらくして、お姉ちゃんが戻ってきました。
「ほら、洗って乾燥機に入れたから」
そう言って、準に服を渡しました。ちょっと生乾きですが、着れないことはありません。
「あ、ありがとう」
「おふとんは…あとで何とかしましょう」
「お、お姉ちゃん」
準が、おそるおそる訊きました。
「ぼくのおねしょ、誰にもないしょにしてくれる?」
「言うわけないでしょ」
「…うっうっ」
準の目から、涙があふれてきました。
「どうして泣いてるの?」
「…だって、お姉ちゃんがやさしいんだもん」
「バカね、私はいつだってやさしいじゃない」
お姉ちゃんは、準の鼻をちょんとつつきました。準はこくりとうなづくと、ちょっとだけ笑顔を見せました。
「準ちゃん、みゆき、朝ご飯できたわよ」
下から、おばさんの声がしました。
「はーい」
ふたりは声を揃えて返事をすると、階段を下りていきました。
(注)もちろん、そんな冗談を本気にするのは準だけとは思いますが、これを聞いて取り付け騒ぎとか起こさないで下さいね(笑)。
初めての方へ : あらかじめ第29話、第36話を読んでいただくと、もっと楽しんでいただけると思います(^^)。 |