武蔵野うどん その2

東京都の地図 前回述べたように東京にもうどんはあった、ただ江戸っ子気質にそばが合うようになり、うどんはそば屋でおまけ程度に食べられることが多くなった。原料のコストが違うそばとうどんが同じ値段で提供されたり、、長い茹で時間が嫌われ、作り置きされることも多い等、うどん好きにとっては、不幸な現実がある。こうした中、健闘している東京のうどんを少し食べ歩いてみよう。
 
 さあどこから?だが、一番有名なのはここだと思う。で、おばあちゃんの原宿、巣鴨へ。駅から商店街に入り、にんにく煎餅、塩大福、地蔵煎餅を横目に見ながら(実際は食べ物以外の店が多い感じがする)、とげ抜き地蔵の脇の古奈屋へ。カレーうどんで有名、最近は各地に出店ができてありがたみが薄れたが行列がなければラッキー。盛岡冷麺を細くしたような麺。昔はもっと太く柔らかかった印象があるが違ったっけ?ルーは飲んでもおいしい。1200円(込)の値段が讃岐人には受け入れづらいかも?
 次は立石の真理庵。立石は京成線で柴又の二つ前の駅。柴又は寅さんの帝釈天で有名、江戸川を矢切の渡しで渡った先が野菊の墓の舞台の千葉県松戸市になる。元々両国橋が示すように、隅田川が武蔵国と下総国の境、それが江戸時代に東に移り江戸川が境となったようだ。こんな位置関係である。ここはうどん専門店、何々うどんと後ろにうどんをつけなくてもうどんが出てくる。93歳になる庵主はうどんは若い者に任せたがそばは自ら打っているそうである。量が多いし安い。かけは関東風なので好みが分かれるであろうが、せいろはいい、少し平べったい麺にからむ胡麻汁は絶品。
最初は松翁のうどん  都営地下鉄駅すぐ森下町の京金になるとうどん屋ではなく老舗そば屋になる。外観はそば屋やらしからぬ新しさである。靴を脱いで上がるが、一見客には敷居が高い雰囲気、メニューにごまたれうどんがある、先ほどの真理庵より少し高く、量も少ない。つまみで酒を飲むと数千円になる、そばやとしては普通なのだろうが江戸っ子の金銭感覚は理解しがたいと思ったが、小腹がすく度にこんな贅沢ができたのはある意味しあわせである、日本人の伝統は勤勉と倹約であるべきと庶民を洗脳したのは明治政府だし、緑と水にあふれた江戸を、潤いのない東京に変えたのも明治政府。少し細め、間違いなくうどんである。
 地下鉄神保町駅から少し猿楽町の松翁もそば屋だが、意外にうどんの注文が多いようだ、もっともその日が寒かったからかもしれないが。お世辞にもきれいな店とは言えないが、味はいいし値段もいい。夏場は「むぎざる」(1000円別)、今は懐かしい冷麦が味わえる。
 全国から人が集まる東京には全国各地のうどんも集まっている。稲庭うどんは紹介したとおりだが、東急の旗の台のでら打ちは名古屋うどんの東京進出編。「でら」とは「超」の意味だそうだ。名古屋のうどんってこんなにおいしかったけ?と思うほどの味。カレーうどんところうどんのどちらもおいしい。特に気に入ったのは麺が冷たくカレーが熱い、いわゆる冷やあつのカレーがいい。熱いものは熱く、冷たいものは冷たくが料理の基本だそうだが、ひやあつというメニューは次の世紀に残る発明だと思う。ころセットが1050円(込)でお得。最近でら打ちが閉店したとの、噂が飛びこんできた。冗談だろうと思っていたら、大阪(なんばパークス)に勝負を賭けて本当に乗り込んだらしい(残念ながらころはなくなってカレーで勝負のようだが)。

 2002年秋のめりけんやの恵比寿駅、はなまるの渋谷への出店をきっかけに東京で突如讃岐うどんブームが吹き荒れた。香川県内では、あんなもの讃岐うどんでないとの声も多いが、特徴をそれぞれデフォルメして讃岐うどんの何かは十分に伝えている。固いだけを伝えるまずい店もあるが、めりけんやは立ち食いうどんのグレードアップとして、はなまるは讃岐うどんの「安い」麺を強調している。いまやハンバーガーを扱うチェーン店も讃岐うどんを売りにしており、東京ではもはやブームでなく定番になったようだ。
 次回で武蔵野うどんの完結のつもりだったが予定を変更して、その3として東京の讃岐うどんについて少し蘊蓄を(食べずにしゃべる典型やけど)述べる。(2003秋記す)   

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