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 森ノ宮医療学園附属診療所 院長 田中邦雄
不老長寿について

 二千年ほど昔、中国に始皇帝という人がいました。  広い中国を、
起源前217年に、秦という国名で始めて統一した人です。  

その後にいく度も作られた中国の国家は、現在の中華人民共和国も
含めて、この始皇帝の作った、中国で始めての統一国家である”秦”
という国の範囲を出ませんので、始皇帝は、中国という国の範囲を
決めた人ともいえます。

始皇帝は13歳で即位し、36歳で中国全体を統一し、50歳で死亡するという、
今から考えるとずいぶん早足で、といっても当時としては50歳はかなりの
長命なのですが、一生を送った人です。

 中国で始めての絶対権力者となった始皇帝ですが、晩年は、世の絶対権力者の
悲しい宿命でしょうか、不老長寿の夢を追って、秦の国を滅亡させる原因になるほどの
金をつぎ込み、薬さがしに奔走しました。  

この不老長寿の薬探しを始皇帝にけしかけた人物が徐福とされています。  
徐福は伝説上の人物ではなく、実在の人物です。中国の山東半島にある
徐福の出生地、徐阜村には今でも、徐福から数えて弟70代目の子孫・
徐広法さんが住んでおられるそうです。

 徐福が、始皇帝の命をうけて不老長寿の薬を求めて海を渡って訪れた先が
日本とされています。
しかし、せっかく日本に渡っても、不老長寿の薬なぞあるはずもなく、
かといって、中国にもどれば始皇帝の怒りにふれ死刑にもなるということで、
伝説ですが、徐福はそのまま日本に残り、中国文化を日本に根づかせたと
されています。

当時、日本は縄文分化の時代で、徐福がもってきた
中国文化が弥生文化を作ったのではないかとの説も、縄文文化と
弥生文化の交代時期と徐福が日本に向かって旅だった時期が一致
しますので、真実かどうかは??ですが、あるくらいです。

 徐福が上陸したとされるのは、佐賀県佐賀市、三重県熊野市の
いずれかとされ、いずれの市にも徐福を祭った神社が現存して、
今も信仰されています。また、徐福が不老長寿の薬を探しにいった山は
富士山とされ、静岡県富士吉田市には徐福の墓と呼ばれるものが
遺されています。

 結局、始皇帝は不老長寿の望みを達成できず、50歳で死亡し、その3年後に秦は、
ごぞんじの項羽と劉邦によって滅ぼされ、その後、劉邦は項羽を破り、中国二番目の
統一帝国である前漢を作ることになります。  その後の中国歴代の皇帝も
不老長寿の夢をすてきれなかったようで、不老長寿の薬を色々作らせて
服用したようです。

しかし、記録からしますと、どの薬も水銀や砒素などの猛毒を含んで、
とても服用させられるものではありません。そんな薬を歴代の皇帝は、
不老長寿を夢みてせっせと服用したのです。

ちなみに唐の時代の二十代の皇帝のうち六人もの皇帝が
不老長寿のためとされた薬による中毒で死んだという記録もあります。  

不老長寿は人類の夢ではあっても、実現は不可能です。  もっとも、現在の
日本は世界一の長寿の国です。ひょっとしたら今の日本が人類の夢に
一番近い国なのかもしれません。 薬による不老長寿は不可能としても、
老年になっても元気に活躍された方の生活態度、生き方、養生方法は、
元気に長生きするために大いに参考にしていいと思います。  

最後に90歳を越えても大学教授として現役を通された栄養学者、
川島四郎先生が作られた長寿のための詩で、この項は終わることにします。   
 
  海藻青菜米麦豆      小魚全食不過量      長寿妙道君知否  
  血液微鹸万歩行

                                   文責 田中邦雄







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