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 森ノ宮医療学園附属診療所  院長 田中 邦雄
「わが国の鍼灸の歴史

 
鍼灸治療はわが国にはずいぶん古くから伝わっていたようです。
允恭天皇のころ新羅(今の北朝鮮あたりにあった国)からきた治療家
に脚の治療を受けたのが最初の公式記録では701年に制定された
大宝律令には鍼博士が鍼生(弟子)を教育することが記載されています。
そのころから鍼灸師の教育制度・教育体制があったわけです。

 鎌倉時代には、仏教の普及に伴い僧医が灸を広めました。 吉田
兼好の『徒然草』のなかに「四十以後、身に灸を加えて、三里をかざれば
上気のことあり。必ず灸すべし」との記載があります。その後、素人でも
簡単に治療できるお灸が、病気の治療だけでなく、養生も含めた民間
療法として広く浸透していきました。

松尾芭蕉の『奥の細道』にも「三里に灸して旅だった」とあり、芭蕉の
生きていた当時、そのころは徒歩で旅するしかありませんでしたので、
足の三里にお灸することは、長旅での足の疲れの予防・回復にお灸が
常識だったことが分かります。

 灸の治療に関して、越後守和家惟享は、それまでの民間に流布されて
いる秘法あるいは名灸と賞賛される治療法(この病気・この痛みには
ここに灸すればよいというお灸の場所)の中から、実際に効果のある
ものを集め、文化二年(1895年)に『名家灸選』として刊行しました。

これらは古典の理論体系に基づく系統的な診療というよりも、「こういう
症状の時はここにお灸をすると治る」という、一般の人にもわかりやすく
表現した経験則に基づく診療が中心です。いまでもこの本を参考に
しているお灸による健康法の本は書店で多く見かけます。

 日本の漢方医学は、理論より実際に効くかどうかが重要であるという
考えに基づいて、それまでの理論一辺倒に走りすぎとの批判から、
後世方という考えを排除した古方という考えの一派が江戸時代の半ば
から漢方医学の中心となり、今でもこの考えが漢方医学の中心になって
続いています。

日本人はしちめんどくさい理論より実践が重要と考える傾向があると
いう文化人類学の指摘は漢方・鍼灸に関してはあながち間違いとは
いえないようです。

 といいましても理論を全く無視していたわけではなく、鍼灸理論の方面
では『養生訓』の著者で有名な貝原益軒は「『黄帝内経』を学ばざれば
医術の理、病の本源を知り難し」、と『黄帝内経』という鍼灸医学の古典
から理論を学ぶことと、日本の現状にあわせた臨床を行うことの重要性
を指摘しています。

実際、江戸時代には古典の注釈本などの医学書が多数刊行され、経験則
に基づく診療だけでなく、古典に学んだ上で、それなりの体系に基づく鍼灸
の臨床も江戸時代には行われていました。

 鍼に関して、桃山時代に、それまで使用されていた鉄の鍼の他に金や銀
を使用した鍼が御園意斉(みそのいさい)により創られました。江戸時代
には杉山和一(わいち)により鍼を容易に刺せるように、現在日本の
鍼灸治療で使用されている鍼管が発明されるなど、日本人の体質に
合わせた繊細な鍼灸術への変化がみられます。この鍼管によって、
今の日本で使われている細い鍼が使用しやすくなりました。

現在、日本と中国では鍼の太さ・長さが非常に違います。中国では鍼管
などは使いませんし、鍼の太さも日本に比べてかなり太く、鍼の太さに関して
は日本・中国の間に意見の妥協点はないようです。

 明治になると、西洋医学におされて漢方薬と同様に鍼灸も衰退して
いきましたが、1927年に中山忠直が「漢方医学の新研究」を刊行し、
和田啓十郎の「医界之鐵椎」とともに、痔や食中毒の特効穴を発見し、
「太極療法」を生み出した沢田健の名人芸をも紹介したため漢方薬と
ともに鍼灸も再評価されるようになりました。

また、昭和の初期には、体系的な鍼灸医学の伝統がほぼ途絶える中で
古典を読み返すなかから「経絡治療」という診療体系が生み出されて
きました。

 そういえば、太平洋戦争後の占領下の日本でGHQのマッカーサー
元帥が鍼灸治療のような外人から見ると野蛮で非科学的な治療は
中止させようという方針が打ち出されかけ、鍼灸が医学的に有効な
治療法として日本でいかに評価・実行されているかということを
有識者が厚生省と通じてGHQに陳情にいったこともあったそうです。

そのアメリカで今は鍼灸学校がいくつもでき、アメリカ人の鍼灸師が
生まれ、鍼灸治療が徐々ではありますが普及していること、WHOも
鍼灸治療研究の部門を持っていますし、エイズ・麻薬中毒に関しての
鍼灸治療の評価が高まるなどの現状は占領時代と思うと隔世の感があります。

                               文責 田中邦雄




 


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