跨線橋から上野目駅方面を望む
国道47号線は陸羽東線を跨線橋で越える。ここから上野目駅まではすぐである

県道17号線 (栗駒岩出山線)終点
県道はここで国道とぶつかり終点となる。右に行くと鳴子温泉方面

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

石畳を上りきった辺りに立っている説明板

石畳の登り道

一関から岩出山までのまとめ

私は結局、一関〜岩出山を2日かけて歩くことになってしまったが、私の経験からこのコースのアドバイスをまとめておこう。
ます、主な区間のパソコン地図による距離計測結果を示してみよう。(道がはっきりしないところもあるのであくまで概算である。また、栗駒以降は、県道17号線を忠実にたどり、旧道の探索などは行わないとする)

   一関〜栗駒駅(くりはら田園鉄道線) 約20Km
   栗駒駅〜真山(上図の真山御上バス停付近) 約18Km
   真山〜岩出山(上野目駅)  約12Km
   合計 約50Km

である。この間は効率的に歩いても全体で約50Kmと距離が長いので、途中でいったん切ることが多いようだ。栗駒駅で電車に乗り、新幹線のくりこま高原駅まで出ることが考えられる。次の機会に栗駒駅から再び歩きはじめるというプランである。くりはら田園鉄道は新幹線の近くに駅がないので、くりこま高原駅にどのように行くのかは調べていない。もちろん終点の東北本線石越駅に出てもよい。
私のように1日で歩ききるプランも不可能ではない。この場合には、日の長い時期で、朝6時頃には出発し、コースをよく頭の中に入れて道を間違えないことが大事だ。
全体で約50Kmだから、1時間4Kmのペースで12時間半。朝6時に出れば夕方6時半には岩出山(上野目駅)につくことはできるだろう。ただし、ゆっくりと歴史の道を探索しながらという余裕はないだろう。山道で日が暮れると心細い。

私の希望を言わせてもらえば、私のギブアップした付近(真山御上バス停付近だったのかな)に、素泊まりでよいから宿泊施設があるとよいと思う。実は、私が暗闇の山道を歩いていて、あの辺りで集会施設らしき建物を見たとき、一瞬ここに泊まれないかなと思ったものだった。あの辺りに宿泊できれば、次の日ゆっくりと歴史の道を探索しながら岩出山に下ることができる。

このコースに関して、何か情報があったらご連絡ください。



  


磯良(いそら)神社と古道A

広い千本松長根の終端部からは、右に降りてゆく細い山道が続いている。「磯良神社(オカッパサマ)へ」という案内表示があるので、これにしたがって山道を下る。この標識はその後2回ぐらい現れたのだが、その後見えなくなり、一般の農道に出てしまった。どうも途中で道を間違えてしまったようだ。この道を20分近く歩いて結局県道17号の赤新田バス停付近に出てしまった。この農道は上の地図には載っていないが、間違えやすい道だ。仕方ないので、県道を歩いてゆくと、再び上街道の案内表示が現れた。この道を行くと、すぐ先に小さな石の鳥居と説明板があった。ここに先ほどの「オカッパサマへ」という表示板と同じ形で「千本松長根へ」という案内がたっている。先ほどの千本松長根からの道がここに通じているのだ。
この鳥居の先に小さく見えるのが磯良神社(カッパ明神)で、この鳥居の左手からはじまるのが上図の古道Aである。私は、この古道を進んだ。道としては先ほどの千本松の道と同じ感じだが、長さはずっと短い。ちょうどベンチがあり、時刻も13時近かったので、ここで昼食にした。この少し先で古道は県道17号線にぶつかる。ここは急斜面のため階段になっている。

気持ちのよい「歴史の道」が続く。この道は昔から「千本松長根」といわれているように、道の両側には松の並木が続いていた。その大木の多くは戦争中に松根油をとるために伐採されてしまい、今見られるのはその後植栽されたものだという。途中に松根油採取跡というのがあった。採取した油は主に航空機の燃料として使用されたという。思わぬところで第二次世界大戦の痕跡を見た。
しばらく歩くと、あずまやがあり、休憩できるようになっている。近くには投句ポストが立っていた。やはり、芭蕉ファンが通ることも多いのだろう。また、ほかにも何箇所か木のベンチ(半分朽ちていたが)やゴミいれなどが設置されている。「歴史の道」として整備されているのは、この千本松長根が最も長く、約1.5Km続いている。

次の日、芭蕉は岩出山をたち、江合川に沿って北上し、尿前(しとまえ)の関に向かった。途中、歌枕の小黒崎、美豆(みず)の小島などを見ながら進んだ。鳴子温泉は川の対岸にあり、芭蕉は立ち寄っていない。
私も当初の予定では、岩出山の町を見学した後、この芭蕉の道をたどるはずだった。しかし、昨日のコースは完歩していないし、昨夜送っていただいた車の中で、Oさんから「千本松長根」という古道が残っているというお話を伺っていた。というわけで、今日は当初の予定を変更して、この古道を中心に昨日の続きを歩くことにした。

まず岩出山・有備館(ゆうびかん)へ

さすがに昨日は少々歩きすぎ、いろいろなことがあったたせいか、よく眠れなかった。せっかく鳴子温泉に泊まっているのだし、今日はゆっくりペースで行動するつもりだ。朝風呂に入り朝食をとり、宿を出発したのは9:30頃。今日も同じ宿に宿泊予定なので、ショルダーバッグだけの軽装である。
まず、岩出山の有備館に向かう。鳴子温泉駅から有備館駅までは電車で25分くらい。有備館はこの駅のすぐ目の前にある。観光に便利なように新しくできた駅だという。
有備館は、江戸時代、岩出山の武士の子弟に教育を授けるために開設された学問所で、岩出山伊達家三代敏親が元禄4年(1691)に創設した。当初、建物は岩出山城中にあったが、元禄5年に現在地に移されたという。
岩出山は、仙台藩の藩祖・伊達政宗が、豊臣秀吉の奥州仕置き後、初めて治府を置いた由緒ある土地である。そのときの岩出山城は現在は残っていない。

国道47号線を経て上野目駅へ

県道17号線はやがて国道47号線とぶつかる。この県道の終点である。まっすぐに行くと有備館駅や岩出山駅方面に出る。左は古川方面、右は鳴子温泉方面に出る。ここから陸羽東線の駅に出るには、右に曲がって上野目駅に出るのが一番近いようなので、こちらに進む。ここから上野目駅までは約20分ほどである。駅に着いたのは15:10頃だった。今日はここまで。ここから電車で鳴子温泉まで行き、昨日と同じ宿に泊まることにしている。明日は鳴子温泉から歩きはじめる予定なので、ここから鳴子温泉までは電車旅となるが、時間的にやむをえない。芭蕉だって馬に乗ることもあるんだ。

歴史の道 陸奥上街道探索の旅

有備館見学の後、受付の人に頼んでここまでタクシーを呼んでもらった。ここから昨日聞いた千本松長根までタクシーで行って、そこから岩出山の町まで歩いて戻る予定である。これで昨日のコースは、ほぼ完歩できることになる。
タクシーで10Kmくらい走っただろうか、約20分で真山の千本松長根の入口に着いた。運転手さんの話によれば、ここに着くまでの途中にも上街道の古道は断続的に残っているということで、車の中からも一部見ることができた。今日は時間もあるし、できるだけこれらの道の歩ける部分は歩いてみよう。
入口の付近にコース全体の案内図があったので、これを元に下の地図を作ってみた。現地をよく見ながら歩いたつもりだが、私が実際に歩いたのは図の@ABの部分だけだった。この地図を持って、探しながら歩けば全部歩けたかもしれない。

旧有備館および庭園
昭和8年、今に残る日本最古の学問所として国の史跡・名勝の指定を受けた。
開館時間8:30〜17:00。入館料:一般300円

伊達政宗と岩出山 (有備館のパンフレットより)

伊達政宗は、天正19年(1591)豊臣秀吉の「奥州仕置」により岩出山にやってきた。
それまで岩手沢城と呼ばれていた城は、秀吉の命により東北に来ていた徳川家康によって修復され、政宗の新しい居城にするよう勧められたといわれている。
米沢から岩手沢城に移った政宗は、岩手沢を岩出山と改め、ここに12年間治府を置いた。
関ヶ原の戦い後、家康から新たな領地を与えられた政宗は仙台に城を築き、慶長7年(1602)に居城を移した後は、四男の宗泰を岩出山の領主(1万5千石)とした。

上街道古道Aの様子
先ほどの千本松と同じ感じの道だが、長さはずっと短い。途中のベンチで昼食にした
ベンチは朽ちていたが、座れないことはなかった

磯良神社(カッパ明神)の鳥居付近
まっすぐに行くと磯良神社、右の農道を行くと千本松長根、左に行くと上図Aの古道となる。カッパ明神は、カッパの虎吉を祀ったものと言い伝えられている

古道AからBまでと古道Bの様子

古道Aから県道に出てしばらく行くと、また上街道の標識が見えるので右に曲がる。上図で見るとすぐに古道の入口がありそうだが見つからず、そのまま一般道を進む。途中に雲南崎館跡という表示杭が立っていた。結局、この後30分以上農道を歩き、見つからないまま再び県道17号線に出た。
5分くらい県道を歩くと、古道Bの入口が見えてきた。これまでと違い、道の左側にある。古道が県道と直接ぶつかるところは、たいてい急斜面になっており、階段などが設けられている。新旧の道のレベルがなかなか合わないのだろう。
この道も比較的短い。鬱蒼とした林の続く道でよく整備されて入るが、夕暮れどきなど一人で歩くのは心細いだろう。

天王寺一里塚と天王寺追分

古道Bから再び県道に出る。ここから天王寺一里塚まではすぐである。この一里塚は旧街道の両側に対になって完全な形で残っている。「県道改修の際、上り線、下り線を分離してそのままの形で保存しています」という説明のとおり、県道の真中に塚が中州のように残されている。塚の前はゆったりとしたスペースがあり、ベンチも置いてあるので一休みできる。
一里塚の少し先で、旧道の天王寺追分方面に下ってゆく道があるが、私はそのまま県道を進んだ。

古道Bの様子
道は翼整備されているが、昼なお薄暗い感じだ。夕暮れどきなど一人で歩いたら心細くなるだろう

古道Bの入口
県道17号線に直接ぶつかっている古道。タクシーで通ったときに運転手さんが「このような道が断続的に残っているんですよ」といっていた道だ

千本松長根

タクシーは県道167号線との分岐点を少し過ぎたところで細い道に入った。その少し先に千本松長根の案内標識が立っている。ここでタクシーを降り、歩きはじめる。標識にしたがって少し行くと、石畳の敷かれた登り道になる。この辺りから古道がはじまっている。石畳の道を登りきると、大きな説明板が立てられている。ここに上の地図の元になった案内図と「歴史の道」の説明がある。
「歴史の道」整備事業は、昭和53年から4年間にわたり全国的に行われ、私はこれまでに中山道の和田宿の例などを見てきた。その一環として陸奥上街道のこの辺りが選定され、古道の整備が行われたということだ。上の図でピンクに示した部分がその際に整備されたのだろう。


千本松長根 松並木とベンチ
今見られる松は、比較的若い木が多い。大木は戦時中に松根油を採取するために伐採されてしまった
道にはベンチも置かれている

千本松長根 あずまや
あずまやにはテーブルや木の丸いすなども置かれており、休憩や食事などにちょうどよい。投句ポストも立っている

天王寺一里塚前面の様子
真中の細い部分が道だったのだろうか。前面には説明板やベンチなどが置かれている

県道から見た天王寺一里塚
県道の改修の際、塚を保存するため上り線と下り線に分離され、塚は道の真中に残される形になった

赤新田

B

A

@

県道17号線
(栗駒 岩出山線)

県道167号線
(真山 高清水線)

江合川

天王寺追分

磯良神社

赤新田一里塚

真山小学校

栗駒へ

県道17号線

陸羽東線

有備館駅

上野目駅

岩出山駅

芭蕉1泊の地

岩出山城跡

有備館

天王寺一里塚

歴史の道 陸奥上街道
(ピンクの部分が古道として残っている)

真山御上

千本松長根

国道47号線

「歴史の道 陸奥上街道] (説明板より)

本町(岩出山町)では、上街道が文化庁から「歴史の道」に選定された約9Kmを整備対象とし、昭和53年度から昭和56年度まで4年にわたり事業を実施しました。しかし、上街道の一部は、生活道路と重複しているので実際に整備したのは約4.3Kmです。
事業の内容は、道の保存整備を主体に、あずまや・説明板・一里塚の整備等を行いました。

            
宮城県 岩出山町