栗駒駅前の様子
栗駒山へはここからバスが出ているようだ。栗駒山も登ってみたい山の一つである

くりはら田園鉄道線(栗駒駅付近)
東北本線石越駅から栗駒駅を経て細倉マインパークまで走る電車

古道が県道とぶつかる地点
古道は急斜面となって県道とぶつかる。付近には「芭蕉行脚の道」の大きな説明版も立っている

県道に並行して残された古道
県道に並行して2,3百メートルくらい古道が残されている。道はよく整備されている

県道182号線
矢待沖バス停付近でこの道に出る。これから先栗駒町までこの道を進む

一関駅

東北本線

東北新幹線

東北自動車道

国道4号線

国道457号線

県道17号線

栗駒駅

くりはら
田園鉄道

一関C.C

花泉駅

迫街道
(上街道)

岩ヶ崎

鴬沢

芭蕉腰掛の松

真坂

築館

国道4号線

一関街道

平泉へ

有壁

(奥州街道)

金成

田園地帯を走る「くりはら田園鉄道」
1両の電車がのどかに田園地帯を走る。道を間違えなければ撮れない光景だった

道を間違える元になった道路標識
まっすぐ行くと築館、右に曲がると鳴子方面。この地名だけで判断して右に曲がってしまった。先のイメージがよく頭に入っていなかった。ここで地図を確認すべきだった

上街道古道、芭蕉衣掛の松(志登ヶ森頂上)

先ほどの十字路をまっすぐに行く道は、県道17号線(栗駒 岩出山線)である。この道はほぼ迫街道に沿って岩出山まで続いている。この道をしばらく行くと、途中で県道42号線が分かれて築館まで通じているので、あの道路標識はもちろん間違いではないのだが、「岩出山」の文字も入れてもらいたかったなあ。
築館に向かう道を分け、しばらくすると「奥州上街道入口」という標識があり細い道が続いているので、この道を行く。やがて山道となり、峠の頂上に「奥の細道 芭蕉衣掛の松」の標識が立っていた。近くに説明板が立っている。「・・(芭蕉は一関から上街道を岩出山に向かった。岩ヶ崎を経て真坂への途中、ここ志登ヶ森頂上に着いた二人は、松の枝に衣を掛け、しばし休憩した。ここは昔、藩主の領内巡視の「お遠見場」で眺望絶景の地である。・・・惜しいことに衣掛の松は先年虫害に倒れ、平成4年に2代目の松が移植された・・・」

衣掛松の切り株
松の根元に昭和18年、芭蕉250年祭に建立された碑が建っている。「芭蕉は平泉の古跡を探りて道すがら5月14日ここに立ち寄りてこの松に衣を掛けて息入れければ芭蕉衣掛の松とぞ称しける」と彫られている

「奥の細道 芭蕉衣掛の松」標識
ここは志登ヶ森の頂上で、現在は木々に囲まれて展望はないが、昔は眺望絶景だったという。芭蕉たちもここで一息入れたのだろう

一迫橋で見た夕景
この地点で18:30。日は山の端に沈み、夕闇が迫る

姫松小学校先の道路標識
県道17号線標識。岩出山まであと18Kmとある。この地点での時刻は18時頃。目的地に着くのは22時頃になってしまう!

青春18切符
私は3月に一関から平泉まで歩いた後、8月まで「奥の細道」から遠ざかっていた。この間、外国旅行に出かけたり、「川辺の散歩道」を歩いたりしていたのだが、8月になり再開した。これには経済的な理由もある。
JRに「青春18切符」というのがある。「11500円で日本全国のJR普通列車を5日間(5回分)乗り放題」という切符である。年齢に制限はなく、利用期間は7月20日から9月10日までだが、うまく利用すると大変お得になる。私は、この切符を最大限活用した計画を立てた。

・第1回目:8月23日〜28日、一関〜尾花沢〜山寺
  (東京から一関間はすべて普通列車。山寺から東京も、新幹線の利用は極力抑える)
・第2回目:9月4日〜9月8日、新庄〜羽黒〜鶴岡
  (東京から新庄まではすべて普通列車。鶴岡から東京までも特急、新幹線は極力押さえる)

というものである。時間はたっぷりあるがお金のない学生や年金生活者にお勧めの計画だ。


新宿〜一関各駅停車の旅
お盆も過ぎ、人の移動も一段落した8月23日、私は行動を開始した。この日は一日かけて東京から一関まで移動すればよい。
まず、新宿駅7:24発の湘南新宿ラインで宇都宮に向かう。この後、宇都宮、黒磯、郡山、福島、仙台で乗り換え、終着の一関に到着するのは16:24の予定である。
ひとつの列車に乗っている時間は1時間から長くて2時間。乗換駅での待合わせも10分から30分程度と比較的スムーズである。9時間すべて同じ列車に座りづめというわけではないので、かえって気分が変わってよい。
特に東北本線は、今までずっと歩いてきて懐かしい駅名が多いので、まったく退屈することはなかった。私は、「芭蕉、旅へ」(上野洋三著)という本を読みながら、どっぷりと各駅停車の旅に浸っていた。
私の乗った列車が、一関まであと3駅という花泉駅で、集中豪雨の影響で2時間半立往生し、結局代行バスで一関に到着するというハプニングが起きた。このため、一関のホテルには19:30頃到着した。

やがて、道の前方左側に「迫街道一里塚跡(新山)」という標識が見えてくる。塚としての形は残っていないが古図面などで場所が確認されているのだろう。少し先で国道4号線を渡る。さらに進むと東北自動車道の下をくぐる。この少し先でT字路になるのでこれを右に進むと「芭蕉行脚の道」の標識が道の脇に立っている。さらに道なりに進むと川台部落中央公民館がある。ここで左に曲がり少し行くと、「迫街道一里塚方面入口」の標識が立っている。これを左に曲がり道なりに行けば一里塚があり、さらにアップダウンの道を進むとゴルフ場の駐車場脇に出るようだ。「ようだ」と書いたのは、実は私はこの道を行っていない。私の持っていた詳細地図では、この道の先が切れており行けるかどうかわからなかったからだ。私はここで曲がらずにさらにまっすぐ行き、上川台公民館の先からゴルフ場に入ってゆく道を通った。これでも結果的には同じところに出るが、一里塚跡を見逃してしまった。

奥の細道歩き旅 第2回
奥の細道歩き旅 白石〜槻木

「奥の細道 台町」の標識
祥雲寺というお寺の入口に立っている。道が間違っていないことを確認できる

台町の旧道分岐点
ここで旧迫街道(上街道)は一関街道と別れ、岩出山方面に向かう

芭蕉行脚の道「赤児大橋」標識
先ほどの標識の少し先に立っている。小さな橋だが、当時は立派な橋が架かっていたのだろう

「芭蕉行脚の道」標識(赤児付近)
長い山道の終わり近くに立っている。これまで歩いてきた道が間違っていないことを確認できうれしかった

栗駒町(岩ヶ崎)まで

ゴルフ場から続く道をさらにまっすぐに進む。この辺からは宮城県に入る。やがて登り坂になり、峠を越えてしばらくすると「芭蕉行脚の道」の標識が立っており、道が間違っていないことを確認できる。さらに進むと小さな川が流れており、橋の脇に「芭蕉行脚の道 赤児大橋」の標識が立っている。この辺りまで旧道は比較的よく残されており、標識類も要所要所に立っているので、非常にありがたい。ここから少し先で、広い県道182号線に出る。ここから先は栗駒までこの県道を進む。

「迫街道一里塚方面入口」標識
ここで左に曲がれば一里塚に出、さらに進むとゴルフ場の駐車場脇に出るようだ

「芭蕉行脚の道」の標識
東北自動車道を過ぎ、T字路を右に進むと道の脇に現れる

迫街道一里塚跡(新山)
塚の形ははっきりとは残っていない。道はここから少し先で国道4号線と交差する

岩出山駅

陸羽東線

千本松長根

天王寺一里塚跡

栗駒から先は国道457号線を進む。栗原田町駅を過ぎ、しばらく歩くと大きな十字路に出た。道路標識があり、まっすぐ行くと築館、右に曲がると鳴子、鴬沢とある。私はこの時点で築館の地図上の位置がよくわかっていなかった。ここに、せめて並べて岩出山と書いてあればこちらに進んだのだが、鳴子にひかれてつい右に曲がってしまった。今日の最終地点は鳴子である。私は、この地点での地図の確認を怠った。暑さで少しボーっとしていたかもしれない。
右に曲がって国道をタンタンと進むうち、、遠くで踏切の警報機の音が聞こえるのに気がついた。あれ、こんなところで電車の音がするはずないなと思っているうちに、電車の姿が見えてきた。結局、国道457号線を鴬沢付近まで歩いてしまい、誤った道を3.5Km近くも歩いてしまったことになる。普通はもっと早く気がつくのだが、あの道路標識に惑わされて気がつくのが遅れた。結局、元の地点に戻り、90分以上のロスとなった。

一迫から真坂、真山へ

説明版の立っている前の道をさらに進む。標識も何もないので少し不安だったが、しばらく歩くと元の県道17号線に出た。県道に出てからは歩くピッチを少し早めた。姫松小学校を過ぎて少し先に道路標識が立っていた。岩出山まであと18Kmとある。これはショックだった。まだ4時間はかかる。ちょうどその地点で18時ころだったから、目的地に着くのは22時になってしまう。ようやくここで事態の深刻さを認識した。
いまさら出発時間の遅さや、道を間違えたことを悔やんでも仕方がない。とにかく目的地に急がなければならない。一迫川に架かる一迫橋を渡ったのが18:30.この頃には、山の端に日は沈みますます心細くなる。一迫の町並みを走るがごとく通り抜けると次第に山道になってくる。真坂という地名のとおり、これからはずっと山道が続く。さすがに走るがごとくのペースは続かなくなった。


念願の平泉の旅を終えた芭蕉は、5月14日(陽暦6月30日)、一関を出発。この日、芭蕉の旅は日本海側を目指して新たな段階に入ったことになる。
時期は梅雨の真っ最中でもあり、進めるときに進んでおこうと先を急ぎ、天気のよかったこの日、芭蕉の歩いた距離は50Km以上にもなった。「おくのほそ道」の旅で最も長い距離を動いた一日である。

一関から吉目木坂(一関CC)まで

一関のホテルは、1泊朝食つきで予約していた。今日の行程は長いので、朝食は取りやめて6時には出発しようと思っていたのだが、結局、そのまま朝食つきを注文してしまった。朝食は7時からなので、急いで食事をとっても出発は7:10頃になってしまった。この1時間の差が後々大きくひびいてくることになった。何とかなるだろうという甘さが出てしまった。
今日の行程は、地図上の計測でも50Km以上ある。しかも、元になる地図は基本的には上に示した図(雑誌掲載のもの)しかなく、ほかにはこれを補足する関連地図(パソコンからプリントアウトしたもの)だけである。この二つの地図を見比べながら、現地で判断しながら進むしかない。特に栗駒辺りまでは、国道や主要な県道歩きではないので、行ってみないとわからないところが多いのだ。
一関駅前から国道342号線(一関街道)を仙台方向に少し戻る。10分くらい歩くと台町となり、右に細い道が分かれてゆく。これが旧迫(はざま)街道である。これは奥州上街道ともいわれ、奥州街道の脇往還だった。この道を少し行くと、道の脇に「奥の細道 台町」という大きな木の標識が立っていたので安心した。この辺りからゆるい登り坂になってくる。

栗駒(岩ヶ崎)から一迫(いちはざま)町まで

県道182号線はやがて栗駒町に入ってゆく。平成の大合併により栗原市となり、栗駒町という呼称はなくなったようだが、市の中心であり市役所もある。古くは岩ヶ崎とよばれ、交通の要衝だったようだ。町の中心に「くりはら田園鉄道」が走り、栗駒駅をはじめいくつかの駅がある。県道182号線は、ここで国道457号線と合流する。
栗駒駅には12:30頃到着した。駅の近くに蕎麦屋があったが、休みだったので近くの公園で昼食にした。ここまでは、ほぼ地図どおりに進んでいる。このときの時刻と残りの距離を勘案すると、岩出山駅に遅くとも19:30には到着し、今日の宿泊地・鳴子温泉のホテルには20時頃には到着する目算だった。

これまでの山の中の道と違い、平坦な県道が続いている。車は少ないし、周りの景色ものどかでよいのだが、カンカン照りの日差しがきつい。タンタンと歩いていると、道の近くで農作業をしていた人が、「奥の細道ですか」と声をかけてくれた。ザックを担ぎ、カメラを首からぶら下げた私の格好がいかにもそのように見えたのだろう。この人のいうことには、この県道に並行して、昔の道がそのままの形で残っているという。早速その道を教えてもらい、歩いてみた。畑の中の道を少し登り、古道に取り付くのだが、入口には標識も何もないので、初めての人にはわからない。その古道は夏草も刈り取られ、歩けるように整備されており、2、3百メートルくらい続いていた。先ほどの人が、「私たちが古道の草刈などをしているのですよ」といっていた。この道は最後は急斜面になり、県道にぶつかる。ここには「芭蕉行脚の道」の標識が立っているので、ここに古道が残っていることがわかる。近くには金成町教育委員会の立てた「芭蕉行脚の道」の大きな説明板も立っている。

「吉目木坂」標識
金成方面へ向かう県道と交差する地点に立っている。ゴルフ場への入口で、ゆるい坂になっている

ゴルフ場駐車場脇の旧道
旧迫街道はゴルフ場で中断されるが、ここから道は復活する

一関カントリークラブ内の通路
ゴルフ場内を突っ切っている道路。「前方ティショット中は通行禁止」と立て札があった

上川台公民館を過ぎてしばらくすると、路傍に「上川台遺跡」の標識が立っており、この少し先で左に曲がる。かなり急な坂道を登ってゆくと、やがてゴルフ場の中に入ってゆく。ゴルフ場を突っ切っている道で、途中に「前方ティショット中は通行禁止」という立て札は立っていたが、全面的に通行禁止というわけではないようだ。この道を歩いていると、場内の整備をしている人に声をかけられた。「どちらに行くのですか」というので、「奥の細道を歩いています」というと、いろいろと親切に教えてくれた。昔の「奥の細道(迫街道)」は、このゴルフ場の中を通っていたという。先ほどの一里塚を過ぎた後、このゴルフ場の中を通過していたようだ。現在ゴルフ場の駐車場となっているところから先は、昔の道が残っているという。最後に「まだまだ先は長いから、地図をよく見て間違わないように行ってください」といわれた。後になって考えると、大変重い言葉だった。
ゴルフ場のクラブハウスに出、その先の駐車場脇から旧迫街道が復活する。この道を下ってゆくと、県道と交差するところに「吉目木坂」の標識が立っていた。

鳴子温泉駅

国道47号線

国道457号線

真山でついにギブアップ

そのうち完全に日が暮れた。時折車が通るとライトに照らされ遠くの様子が見えるが、上り坂はいつ果てるともなく続いている。今日は月はなく、満天の星だ。
やがて峠の頂上と思われるところに着いた。少し広くなっており、照明もついている。ここでザックをおろし地図を見たが、現在どの辺にいるのかよくわからない。ここは思案のしどころだ。はじめ、通りかかる車に向かって大きく手を振ってとまってもらおうとしたが、皆、避ける感じで通り過ぎてしまう。3,4回やってみたが、あきらめて再び歩き始める。そのうち、道から少し離れたところに集会施設のような建物が見えてきた。近くまで行ってみたが、鍵がかかっているようで人がいない。仕方なく先に進む。さらに少し行くと道のすぐそばに家の明かりが見えた。どうしようか一瞬考えたが、はじめは通り過ぎた。少し先まで歩いて、下のほうに町の明かりでも見えればとりあえずそこまで歩こうと思ったのだが、暗闇が広がるばかりである。この時点で私はギブアップした。先ほどの家に戻って、事情を話してみよう。
私が庭先に入っていったとき、ご夫婦が居間におり、びっくりしたようだったがすぐに戸を開けてくれた。私が事情を話すと、すぐにわかってくれ、前にも私のような人が立ち寄ったことがあるといわれた。ここは岩出山の真山というところで、ここから岩出山の駅まではまだ15Kmくらいはあるという。話しているうちに、車で駅まで送って下さることになって、あつかましいとは思ったものの、ご厚意に甘えることにした。ここを出たのが19:40くらいだっただろうか。結局、鳴子温泉の予約したホテルまで送っていただいてしまった。元はといえば自分の計画の甘さで、他人にご迷惑をおかけしたことを反省し、このときお世話になったOさんに、ここで深くお礼を申し上げます。ありがとうございました。

それにしても芭蕉は健脚だ。この日、岩出山の町に着いたとき、さらにその先の小黒崎まで進もうとしたが、まだ二里も先と聞いて岩出山に宿をとったというのだ。まさにやる気満々である。一方、私は、あえなくも途中でギブアップしてしまったが、この日歩いた距離は、歩数で約7万歩、距離にして約50Km近くなる。もちろん私の新記録だ。完歩はできなかったが、すばらしい人たちとの出会いもあり、人情味にあふれた長い1日だった。



  


国道398号線

真山