宇宙論が「ビッグバン」に至るまでの、その道のりの長さに驚く。 けれどそれが苦にならない、読むのが楽しい本だ。
読んでいくうちに、科学は理論だけでないという、 当たり前だが忘れそうになることに、改めて気づかされる。一九三一年、 サバティカルでカリフォルニア工科大学(カルテック)に滞在していたとき、 アインシュタインと二度目の妻エルザは、 ハッブルに招かれてウィルソン山天文台を訪れた。 二人はガイド付きで巨大な百インチ・フッカー望遠鏡を見学し、 この巨大な機械が宇宙を探るために非常に重要だという説明を天文学者から受けた。 驚いたことにエルザはあまり感心せず、 「そうかもしれませんけど、 夫は使用済み封筒の裏に走り書きをするような計算だけでそれをやってしまいますのよ」 と言った。
しかしアインシュタインに出来たのは理論を作ることだけで、 理論は間違うことがある。 だからこそ、高価な実験装置や巨大望遠鏡に投資することに大きな価値があるのだ。 なぜなら、よい理論と悪い理論の区別をつけさせてくれるのは、 実験と観測だけだからである。 アインシュタインが封筒の裏に走り書きをして得た結果は、静的な宇宙を支持していたが、 ハッブルが得た観測はどうやらそれに矛盾するらしく、 理論の良し悪しを判定する実験の威力をはっきりと示していた。(本書下巻,pp.16-17)
宇宙論に関わる人々の様々なエピソードもとても面白い。 ハーバード・カレッジ天文台台長エドワード・ピッカリングが、 データ分析チームの男性たちに切れて言った言葉 「うちのスコットランド人のメイドのほうがずっとましな仕事をする」 がきっかけとなって、女性のデータ分析チームが出来、 (低賃金に文句を言わないというところには胸が痛んだが) そのなかから目覚しい成果を上げる女性が出てくる話、 そして、定常宇宙論を唱えたフレッド・ホイルの話。
ホイルが、ヘリウムから重い元素に転換されるしくみを解明した時の、
ウィリアム・アルフレッド・ファウラーとのやりとりには笑ってしまった。
一連のエピソードがあまりに魅力的なので、
ホイルの「定常宇宙論」が正しければよかったのに、と思ってしまったほどだ。
けれど、人柄の素晴らしさだけで何かが決まってしまうのであれば、
それは科学ではない。
本物の科学理論は、観測もしくは測定可能な予測をしなければならない。 そして、実験もしくは観測の結果が理論の予測と一致すれば、その理論を受け入れ、 より大きな科学の枠組みに組み込んでいく根拠となる。 一方、もしも理論の予測が間違っていて、実験や観測の結果と矛盾したなら、 どれほど美しくてシンプルだったとしても、その理論は捨てるか、 あるいは少なくとも修正を加えなければならない。 これは理論にとってきわめて重要かつ過酷な条件だが、 しかし科学理論の名に値するものはすべて、検証可能でなければならず、 現実世界と矛盾してはならないのである。
(本書上巻,pp.19-20)
夏休みは6月の代休で2日取得。それでもまだ半休分が残っている。
休日出勤は全部代休にするようにと言われ、
「もう残業代が出ない人間なので、どうでもいいのでは」
と返答したところ、会社法の変更で色々な組織と色々とあるので、
休むようにと念を押された。
休みたくないわけでは無い。 けれど、毎年年度末に切り捨てられるほど有給休暇があるので、 こちらをまず使いたいのだが、9月からの仕事がかなり面倒そうで、 それに目途をつけてから……などと考えていると結局休みなど取れないのだった。
今すぐシンギュラリティが起きてくれないかなと、現実逃避しております。 フェスティバルに参加したい。 (『シンギュラリティ・スカイ』読了、『ニュートンズ・ウェイク』読み中)
シンギュラリティ(特異点)後の宇宙を舞台に繰り広げられる利権争いの話。
1983年、SF作家にして数学者でもあるヴァーナー・ヴィンジが提唱した<特異点>、 それは科学技術の幾何級数的進歩によって 現在からは理解も予測もできない段階へと世界が変貌する時点を指す。
(「SFマガジン」2006年8月号 p.111)
「最高速で突っ走」(本書 解説(堺三保氏)より)っている。 ただし加速も減速もなし。読んでいて速さが感じられない。なんとも奇妙な感じ。
最初は速くてついていくのに苦労し、 なれてくるとなんだか遅いような気がして、 ページ数がだんだん減っていくのに変わらない速度に不安になり、 全く減速なしで物語を突き抜けていくなにものかの後姿を見送りつつ呆然…… という感じだろうか。 こういう終り方は大好きですが、 半ばでもう少し加速する部分があったら、と思う。
ブレジネフ王子(あのブレジネフ氏)や、 アメリカオフライン(すごい名前)、 何故地球出自のソフトウェアだと判ったか、 主体主義を宗教だと思ってる奴らってとってもいいお客様です (こういうくだりは、USA出身者には書けないのかもしれないが) と笑う愉快な海洋学者のその後などは、面白かった。
ヘルベルト・フォン・カラヤン指揮、 ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、 ウィーン国立歌劇場合唱団(1961年 ウィーン)による演奏を収録したもの。
組曲の構成は以下のとおり。
冥王星外し、惑星数8に 国際天文学連合が新定義
(asahi.com)を読んで、久しぶりに聴いてみた。
好きな曲は「火星」。
2000年に加えられた「冥王星」は、まだ聴いたことがない。
『惑星』(マシューズ作曲『冥王星』付き)(HMV.co.jp) のレビューに、「冥王星」が加えられたいきさつが書かれている。 さよなら冥王星、惑星格下げ波紋 星空ソフトやCDも (asahi.com)によると、「冥王星」を加えた録音は今後行われないだろうとのこと。(本当?)
組曲「惑星」の中で、日本人にとって最も馴染み深いのは「木星」だそうだが、 ホルスト『惑星』 (Sensory Sentence)で、 「木星」を再編した合唱曲「Hymn:I vow to thee, my country」 の歌詞(日本語訳)を読むことが出来る。