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2005年8月4日

夏休み前にWindowsUpdateを。

矢崎存美 『ぶたぶたの食卓』 (光文社文庫)

見た目は、ぶたのぬいぐるみ、中身(?)は大人の、 山崎ぶたぶたが登場するシリーズの最新作。 食べ物をテーマとした話4編がおさめられている。
懐かしい味のチャーハン、アサリをたっぷり使った料理、 キャラメルソースのガレット、カキ氷、などなど。

「十三年目の再会」「嘘の効用」は楽しめたのだが、 「ここにいてくれる人」の最後のやりとり(pp.170-171)は、 少し書きすぎているように感じる。
「最後の夏休み」も、女の子の打ち明け話の内容がなんだか生々しくて、 そこだけ違和感があった。 終り方は好きなんだけど。


2005年8月6日

胡椒を買い忘れました。一味足りない。

チャールズ・ペレグリーノ/ 白石朗 訳 『ダスト』 (ソニー・マガジンズ)

バスの停留所から三十メートルほど離れた場所にあったベンチの残骸のそばで、 エルトンは足をとめた。 エルトンは知らなかったが、かつてこのベンチに高橋昭博(タカハシアキヒロ)という "原爆の語り部"として著名な日本人が腰かけて、 ある晴れた八月の朝、青空に一機の飛行機を見つけた話を、 ポール・ティベッツという男に語ったという。 ティベッツは、高橋が見つけたエノラ・ゲイという飛行機の機長だった。 (p.536)
あなたが興趣つきぬ時代に生きられますように。(p.62)

再読。著者によるリアリティチェックが面白い。
グリセリンの結晶化(pp.346-347、p.642)については、 グリセリンの結晶 (kikulog)を参照。
また、リアリティチェックの11(p.636)は、 本書(ハードカバー版1998年)が出た年に、 確かJRAで似たような事件が起こっている。


2005年8月8日

ムラサキシキブの花が咲いていた。
実がなる頃には涼しくなるのだろうが、今は実感がわかない。ただ暑い。

町山智浩 『底抜け合衆国 アメリカが最もバカだった4年間』 (洋泉社)

「ラムズフェルド国防長官のポエティック・ワールド」 「アフガンに散ったNFL選手」 「イラク兵を虐待したホワイト・トラッシュ娘」と続けて読むと、 暴言ラムちゃん(p.218)に対する笑いが苦くなったりもする、 2000〜20004年のアメリカについてのエッセイ集。
ただ時系列順に並べてあるだけではなく、 その並びかたも含めてひとつずつ読んでいくのがとても楽しかった。

取り上げられている話題の中で、ひとつ、驚いたことがある。 「砕け散ったジャーナリズム」(pp.182-185)の最初に書かれているのだが……

天安門事件を覚えているだろうか? 1989年、北京の天安門広場に集まった民主化を求める学生たちを人民解放軍が虐殺した、 とされる事件だ。
「とされる」としたのはウソだからだ。(p.182)

この話は、 ベイエリア在住町山智浩アメリカ日記(2004年3月13日) で読める。
(日記の中で詳しい資料として上げられている、村田忠禧氏の論文 ( 「天安門広場の虐殺」伝説の創出・伝播とその破綻) は、リンク先が変更になっていた。)

たまたま読んでいた『すべての映画はアニメになる』(押井守 対談集 2004年3月31日出版)の 「天安門事件」の脚注(脚注作成・文責 アニメージュ編集部)は次のとおり。

1989年に、中国・北京の天安門広場で座り込み、 民主化要求運動を行っていた学生たちに人民解放軍が発砲し、 大勢の犠牲者を出した事件。 当時中国共産党の最高実力者だったケ小平の判断だったという。(『すべての映画はアニメになる』p.230 脚注)

色々省略しているのかもと好意的に考えてみた。……無理があるか。 この脚注は「通説」をそのまま書いたのだろう。


2005年8月14日

部屋の片づけをしながら、お茶を飲みつつ本を読んでました。

町山智浩,柳下毅一郎 『ファビュラス・バーカー・ボーイズの映画欠席裁判』 (洋泉社)

1997〜2001年公開の映画についてメッタ斬りの映画漫才(帯より)。
まえがき(町山智浩)の効能1 「バトルフィールド・アース」について(p.4)は確かにそのとおり。 実際に見ると耐えられないらしい(p.199)が。

あとがき(柳下毅一郎)の「映画がヒドイ理由」は、 「思いっきり単純化して言うとすれば」も単純な決め付けではなく、 興味深い。


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