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2005年7月20日

ゲームをやっていても、本を読む時間は減りません。 (家では本は読まないから)
でも感想文を書く時間は減るかな。

森福都 『十八面の骰子』 (光文社文庫)

「最盛期を迎えつつある宋を舞台とした、連作ミステリー」(解説(細谷正充氏)より)。

少年と青年の二人連れが、地方の都市を訪れる。 彼らは何かの調査を目的としているようなのだが……(「十八面の骰子」)
彼ら(加えてもうひとり)を主人公とした5編がおさめられている。 「松籟青の鉢」「黒竹筒の割符」が特に面白かった。


2005年7月30日

だらだらしてます。

テッド・ボサ/ 宇佐和通 訳 『モンゴ ニューヨークのゴミをめぐる冒険』 (筑摩書房)

「道端やゴミ箱に捨てられていてる、まだ使えるもの」(p.5)を 拾う人たちについての話。 一章につき一タイプ、全十章で構成されている。
彼らにも階層があるそうだ。 最下層がブラックバッガー(中身の見えないゴミ袋から拾う人たち)、 その上がキャンナー(飲み物の缶とかビンとかを集める人たち)だとか。

最初にざっと見て興味を持ったのは「プライバシー・コレクター」(第七章) だったのだが、流石にコレクターの口は重かったようだ。 金目当てでなく、単に楽しみで集めている人の話が読めるかなと思っていたので、 ちょっと残念ではあった。
で、この章の半分ほどは、3種類の「集める人たち」について書かれていた。 これはこれで面白い。
屋敷でゴミに埋もれて死んだコリアー兄弟 (柴田元幸『死んでいるかしら』にも出てくる)、 捨て猫を拾っては避妊手術と予防接種を行い飼い主を探すメアリー、 そして、ゴミ拾いを全く別の何かとして捉えているグロリア。
グロリアの話だが、本人はどこまで本気なんだか。 「たおやかな狂える手に」くらいではないかと思ったりもするが……

カートを押しながら道を行き来する毎日の中、 グロリアは自らが練り上げた空想科学小説の中に身を置くようになった。 身近なもの、手に入れられるものはすべて、 新しいキャラクターに生まれ変わる。 セントラルパークの入り口を"ファイブ・サウザンド・ゲート"、 空き缶をたくさん拾える五番街の一角は"ストレッチ"と名付けた。 身に付けているのは、どう見ても道端に落ちていたボロ布としか思えない。 しかし彼女が言うには、将校として働く軍部から支給されたユニフォームなのだという。(p.181)

「ディーラ」(第六章)は、本や雑誌を拾うスティーブンの話。 彼が経験の結果確立した行動規範(pp.138-148)が面白い。

「何でもかんでも、いつまでも手元に置いておくというのは馬鹿げている。 いつまでも全てを持ち続けるなんて、所詮不可能なんだから」(p.145)

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