■G-クレフ「一揆」(アルバム「五右衛門」(1990)収録)
作曲は榊原大。
ヴァイオリンとピアノの掛け合いがめちゃめちゃ格好良い。
止めとはねがしっかりしていて、かつ暴走気味という感じで、最高です。
アルバム「12」がピンと来なくて、いつのまにか聴かなくなったけれど、
「五右衛門」や「キッス・トウ・フェンス」は、今でも気に入ってる。
■ジェラルド・M・ワインバーグ/木村泉・角田博保・久野靖・白濱律雄 訳 『プログラミングの心理学―または、ハイテクノロジーの人間学 25周年記念版』(毎日コミュニケーションズ)
原著の二五周年記念版は、第一版の版面を(ごく少数の誤植を訂正した上で)そのまま残し、 新しいコメントを新しいページに、別系統のページ番号を振ってはさみ込んだ、という体裁になっている。 第一版の一〇〇ページは記念版でも一〇〇ページである。 ただし、ところどころにローマ数字でページを振った別系統の「二五周年ノート」がはさみ込まれている。 この訳書も、大体そのような方針で構成したが、ページだけは新しく振り直した。
(本書「二五周年記念版への訳者まえがき」pp.13-14より引用)
技術評論社版(平成6年11月15日 初版)を持っているのに、買ってしまった。
プログラム(ソースコード)を読むということ、プロとアマチュアの差、プログラミングの学習方法等、
実用的な知識が身につく本なのだが、それ以上にただ読んでいるだけで面白い。たとえばこんな文章。
プロは、アマチュアが次から次へとやってきては彼の目の前で出力結果をひらひらさせ、 コンピュータやオペレータやオペレーティングシステムやキーパンチャーや言語や政府を 非難するのに飽き飽きし、少しばかり腹を立てている。 一方アマチュアは、平均と標準偏差の計算が会議の報告集の締め切りに間に合いそうもなくて いらいらしているのに、プロはそんなことには関心すら持っていないのをまのあたりにする。
(本書、p.206より引用。強調は、原文では強調点)
光景が目に浮かぶようで、笑える。
ざっと見て変わったところというと、
気付いたのは、これくらい。あとは読みなおしながら、気付いたらメモでも取ろうかな。 (読んでいるうちに夢中になって忘れるかもしれないが)
P・K・ディックの小説に『時は乱れて』(原題"Time Out of Joint")というのがある。これも『ハムレット』からだろうか?
■コニー・ウィリス/大森望 訳「からさわぎ」 (「SFマガジン」2005年4月号 掲載)
授業でシェイクスピアの戯曲を取り上げる話。
短くて軽くて楽しい。風刺が効きすぎていないところもいい。
「『ハムレット』?」とウェンディ。 「叔父さんが王様を殺して、王妃と結婚しちゃう話?」(p.244)
風邪(?)引き校長の描写の、繰り返しながら、ふっと外れるところが、読んでいて気持ち良かった。
それにしても彼女、いったい何の病気だったんだろう?
年度末とは関係無く微妙に忙しい。……集中していないだけか。
■奥泉光『新・地底旅行』(朝日新聞社)
発売後すぐに購入して、読んだのは去年の夏あたり。
明治末、富士樹海の洞穴から地底を目指す4人の話。
劇的な部分は少ないが、普通に楽しい。
どこがどう楽しいかは説明しづらいのだが、
文章の切れが良く、さくさくと読める。話も登場人物も面白さもしつこくないところが良かった。
丙三郎をしつこく描写されたらうんざりしそうだ。
ジュール・ヴェルヌ『地底旅行』を読んでいなくても大丈夫。私は読んでいない。
ただ、最後のほうに出てくる急激な場面展開の連続は、夏目漱石の作品を知っていたほうが面白いのかも知れない。
私が判ったのは「倫敦塔」のみ。これも、多分そうだろうと言う程度ですが。
新聞連載時の挿絵は木内達郎氏。
氏のオフィシャルサイトである
Tatsuro Kiuchi Illustration経由で、
挿絵を(掲載順に)見ることが出来る。話の筋も思い出せて、こちらも楽しい。
白の使い方はやっぱり好きだなあ。つい何度も見てしまう。
■ジェフリー・スタイン・ガードナー/柴田京子 訳『すべてを食べつくした男』(文春文庫)
食べ物についてのコラム集。 『美食術』(文芸春秋 1999年)を改題、抜粋、再編集したもの(訳者あとがきより)だとか。
本書の冒頭のコラム「はじめに」を3頁ほど読んで買った。
「はじめに」は、著者が自らの激しい好き嫌い(自称)を克服する為にとった手段の話である。
あまり激しいとも思えないが……それが虫くらいなら。
とはいえ、その後に続くのは、ごく普通の食べ物だった。
つまり、アレルギーだとか信条だとか味覚が鋭敏だとか幼児時代の虐待だとかには関係の無さそうな、
単なる好き嫌いの範疇に入る食べ物である。
そういった好き嫌いをほとんど克服した著者の書く食べ物の話は、 著者が知り得た知識をひたすらこちらに伝えようという熱意と笑いでいっぱいで、楽しめた。
文章でひっかかった箇所は二つほど。
シュークルートのレシピ(pp.194-196)について。
これではザワークラウトが入っていないような気がする。
p.194の最後の行は、「ザワークラウトに」ではなく「ザワークラウトを」では?
p.333「まだ腐っているのではなく」は日本語としては少し変。 「まだ腐ってはいないが」ということだろうか?
3月刊行予定の文庫オリジナル『やっぱり美味しいものが好き』も楽しみ。
お帰りなさい。楽しかったようで何より。
■桜坂洋『All You Need Is Kill』(集英社スーパーダッシュ文庫)
ビートルズ「All You Need Is Love」の、 LoveをKillにかえて歌っていて、思い出したのがこの文。
命令は単純なほうがいい。 「走れ!」「撃て!」「伏せ!」「突撃!」 ――最後にただ一言、「殺せ!」だけが残る。 キル!キル!キル!キル! 上官が繰り出す怒号にやがて兵卒たちが唱和し、自ら喚きはじめる。 事実、ベトナム戦争の中期に徴兵された或る黒人の狙撃手は、 「訓練のことをおもい返してみると彼ら〔歩兵訓練校の教官〕が我々に求めた言葉はただひとつ、 殺せ、だった」と述べている。「『キル!キル!』『銃剣の心とはなんだ?』『殺すことであります!』 まったくろくでもない経験だった」
(生井英考『ジャングル・クルーズにうってつけの日』(ちくま文庫)(pp.305-306)より引用)
発売当初から、神林長平氏の推薦文に惹かれてはいたものの、何となく手を出せないでいた。
最近本屋で一冊だけ見かけたので、何となく買って何となく開いて、(私にしては)あっという間に読み終えた。
20年もの間、人類の敵と戦い続けている世界。
軍に志願した青年は、はじめての戦場で敵に殺される―夢を見た。
目がさめると初陣の前日だった。翌日出撃して「また」死んだ。
目がさめると初陣の前日だった。
こうしてループが始まった。
かれが戦うのは、このループを抜けるため。
敵に対する憎しみはあまり無い。敵は目的を達成する上での障害でしかない。
ゲームで遊んでいる時の気分が、物語に組みこまれている。
読んでいて頷きたくなるような、ちょっとした描写が楽しい。
著者のあとがきを読んで思わず笑ってしまった。
それにしても、まさかこんなところでフローチャートを見ることになろうとは。 それも、ループ端。
物語のなかでは、ループの開始条件が明示されることはなく、
いくつかの入力データ(とその結果)だけが示される。
答えはブラックボックステストのように、仮説としてしか得られない。
問題を出した先生(がいるとして)は、答えを知らない。
でも、こういうのもたまにはいいんじゃないかな。
以下、ややネタバレかなと思うので、一部伏せます。
読み終えて、マイク・レズニック『サンティアゴ』を思い出した。
ほんの少しだけ、似ているところがあるように思えるのだ。
さむい。
■三月の雪
「枝にとまった雪が梅の花のようだ」
と、大昔(本当に昔)の歌人のような事を言ってみる。
当時流行の最先端だった大陸の見立てを真似て、
萬葉集で歌われる梅は白梅、
それも雪にたとえられることが多く、一方で香りはほぼ無視されていた。
昔も今も、とつくにの物に弱いお国柄は同じ。向いている先が違うだけのようだ。
などと書いていて、梅干しを食べたくなる私は、どちらを向いているのだろう。
■携帯ゲーム機(本体)を買いたくなる時
欲しいソフトが出た時。まあ普通だ。据置型(っていうのも変だが)でもそう変わりは無いだろう。
しかし、私の場合だが、携帯ゲーム機(本体)を欲しいソフトとセットで買った後は、以降携帯用のソフトはほとんど買わなくなる。
(たとえば、ゲームボーイはポケモン(赤)専用機と化したままだ)
理由はもちろん、遊ぶ場所が限られているから。年に1週間遊ぶ程度なので、1本で充分に持つ。
携帯ゲームソフトって売れるんだろうか?
ハードとソフトが対で転がっている自分の現状を思うと、苦労ばかりで実入りが少ないように思うのだが。
ゲーム好きな人はそれなりの数を買うのかな?どこでやっているんだろう。家の中で座ってだろうか?
などと書いているが、「Wipeout Pure」(日本版が4月発売予定とか。
公式サイト)
の為だけにPSPを買ってしまいそうだ。
PS2ではついに出なかった(と言ってもいいだろう)Wipeoutシリーズの最新作。
で、ハードがそれ専用になるのは目に見えているので、とりあえずあのボタンをなんとかしてほしい。