メインがブラ3に決まるまで



               
1982年入学  ホルン  牛山 吉彦氏
    




牛山氏
  第44回定期演奏会のプログラムは、スメタナ作曲「わが祖国」より「高い城」「モルダウ」「ボヘミアの牧場と森から」、そしてメインはブラームス作曲交響曲第3番。

 堤さん(私には堤先生ではなく堤さんが呼びやすい)に指導していただいて3回目の演奏会である。2回目の演奏会の打上げの席で「次の演奏会を1つの区切りにしよう」と堤さんから申し出があり、今回は堤さんに指揮をしていただく最後の演奏会なんだ、と団員ひとりひとりの中に様々な思いが渦巻いていたと思う。当時2回生だった私は最初に出会ったプロの指揮者が堤さんであり、彼のあの厳しい風貌と眼鏡の奥に潜む鋭い視線、そして情熱的な指揮ぶりに加え「音楽にプロもアマもない!」とたとえ学生オケであっても決して妥協を許さない厳しい態度、とにかく私には(私だけではないと思うが)コワイ存在であった。
 (練習に)来沢され、彼が練習場に一歩足を踏み入れた瞬間に張り詰める空気の緊張感、練習中に睨まれたり怒られたりした時の恐怖感、そして練習終了後に押し寄せる疲労感と安堵感。カリスマ性の強い人だったという印象が強い。

 堤さんには1981年の第42回定期演奏会から指揮をしていただき、その年はチャイコフスキー作曲交響曲第6番「悲愴」、翌年はマーラー作曲交響曲第1番「巨人」、とお祭り的な大曲ばかりを振っていただいた印象がある。そんな堤さんが区切りの年である3年目に、なぜブラ3のようなメインとして演奏されるのは稀な曲を指揮していただくことになったのか?当時の状況を私なりの解釈で振り返ってみたいと思う。



  1983年の第44回定期演奏会の選曲にあたって、PL会議はメインの候補として3つの曲を挙げてきた。ベルリオーズ作曲「幻想交響曲」、ブラームス作曲交響曲第4番、あと1曲は忘れた。
  選曲総会では、幻想とブラ4の決選投票となり、弦を中心に根強い人気のブラ4が当時充実した布陣を誇っていた金管に人気の幻想を僅差で破った。その結果を団長とPL議長が堤さんに報告すると、堤さんから意外な答えが返ってきたのである。「ブラ4は大変難しく、今の私では満足に振ることは不可能である。もう少し経験を積んでから指揮をしたい曲だ。もしブラームスということであれば、3番の方がまだ振れると思う。」(堤さんは本当は幻想をやりたいんじゃないか? と私は勝手に思った。

 実は後で聞いた話だが、実際堤さんは幻想を振りたかったらしく、いろいろな提案を出してきたらしい。ただし平等性を重視してその事は敢えて公表しなかった。ということだ。)指揮者の意向を汲む形でPL会議は選曲の候補曲を検討し直し、出してきた曲は「幻想」と「ブラ3」。この2曲を選曲総会で再度投票した結果、出てきた数字は?なっなっなんと『同数』!数字までは忘れたが、きれいに真っ二つに分かれてしまったのである。

  私にとっても初めての経験であったが、こんな場合民主主義の原則は中立的な立場である議長による所謂『議長裁決』に持ち込まれる。その総会で議長を務めたFgの石井さんは管楽器奏者であるがゆえに当然「幻想交響曲」に一票を投じるだろうと、大半の団員が思っていたに違いない(少なくとも私はそう思っていた)。みんなが固唾を飲む中、彼が投じた一票は意外にも「ブラ3」。総会を行なっていた大練(懐かしい響き!)は一瞬騒然となり、意外な結果に落胆するもの、歓喜するもの、豆鉄砲を食らわされた鳩のような顔をしているもの、様々であった。
  なぜ石井さんが「ブラ3」を選んだかについていろんな憶測が飛び交ったが、彼はその事について一切口を開くことはなかった。真実は現在も彼の心の中だけにある。


  まさにドラマでも見ているかのような経緯でメインが「ブラ3」に決まったのであった。
「ブラ3」に対する私の印象はあまり良くない。理由は自分自身の演奏が満足できなかったからである。当時私は4番パートを吹いたのだが、Hr2年目の分際でブラームスは難しすぎた。特に4番パートは高音低音跳躍の嵐で、まともに吹けた記憶がない。しかも演奏会本番で、4楽章最後の静かに終わる部分で最後の音が出る前に拍手が来る、という変なオマケまで付いていたように記憶している。何となく気まずいイメージがこの曲にはある。ただし、当時Hrのトップを吹いた増田さんの甘い音色、そして3楽章ソロの名演は今も耳に残っており、「いつか自分も」と強く感じたのであった。

堤氏  堤俊作氏

 (後日談)
  大学を卒業して5年目の夏に、先輩の誘いで「俊友会管弦楽団」に入ることになりました。自分自身にとっても5年ぶりのHrでした。メジャーなコンサートホールで滅多にお目にかかれないような大曲を演奏することができ、ウィーンのムジークフェラインでの演奏旅行まで経験できました。最近ではブラームス・チクルスをやったりフランスものにも挑戦したりと、レパートリーを増やしつつあります。

  私にとって初めてのプロ指揮者である堤さんに、普段の練習から指導してもらうのは大変光栄でありとても勉強になります。私が学生の頃の堤さんと比べると、だいぶまるくなった、音に関する解釈が若干変わった、という印象はありますが、見やすい指揮や音楽に対する熱い想いは当時のままです。今でも堤さんの練習の日には異常なほど緊張してしまいます。

  実はこのエピソードを書いているうちに、意外な事実に気が付きました。最近「俊友会管弦楽団」が演奏した曲の中に「ブラ3」や「幻想」があります。何の因果か、その2曲とも私がトップを吹いたんです。「ブラ3」に対する悪いイメージは払拭されました。「幻想」に対する堤さんのこだわりの一端を垣間見ることができました。学生時代の逸話とともに、今ではいい思い出です。


更新 2000/10/14