![]() 金大フィルは、この87年当時、プログラムメンバ表の登録数から言えば、団員数は150名近くに達してる。間違いなく、金沢大学の中でも、最大級の人数を誇るサークル団体だったはずだ。いつ頃がピークだったのかは、正確に調べなければ分からないが、この辺りで、団員数は1つのピークに達していたものと考えられる。時は、日本経済がバブルに突き進んでいく少し手前だった。 金大フィルの演奏においても、少しずつ、質的な変化が現れてきていたように思う。堤氏をお招きしていた時代がひとまず終わり、まったく異なる個性をもった、金洪才氏を迎えることになった。金氏は、大曲疲れしていた?金大フィルの荒れた一面を少し軌道修正してくれたのかもしれない。この「幻想」の後、金大フィルは、3年間金氏の薫陶を受けることになる。さらに、金氏とは、間を空けて実に6回の共演をすることになった。金大フィルにとって、6回もの共演は、プロ指揮者のなかで最多記録だ。 金大フィルにとって、「幻想交響曲」は、選曲の段階で、幾度も出ては消えていった、不遇の「万年候補曲」だった。特殊楽器(多数の打楽器や、チューバ、コールアングレ等)の必要性もあるので、その点でも、障害があったのかもしれない。しかし、87年、ようやく日の目を見ることになったのだ。もちろん金大フィル初登場だ。実は、その数年前に、最終決戦投票まで行ったこともあるのだが、葬り去られた経緯があり、満を持しての登場となった。この辺りの話は、えぴそーどで知ることができる。 演奏は、金氏らしく、最後まで、決して我を忘れず、乱れず、シンフォニックにまとめている。シャルル・ミュンシュなどとはまったく正反対の方向だが、立派だ。金氏の、面目躍如たる所だ。最後のチューバの難所もちゃんとクリアしている。 しかし、堤氏なら、また全く違う「幻想」が聴けたのだろうか・・・。 ラコッツイ行進曲(佐藤功太郎氏、79年)との比較も、一興だ。同じベルリオーズながら、指揮者の個性の違いが面白い。 本番の金洪才氏(写真:牛山氏提供)
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金大フィルの新局面−幻想交響曲 第47回定期 87/01/24 厚生年金 指揮:金 洪才 コンサートマスター:斎藤文洋 ベルリオーズ/幻想交響曲- ある芸術家の生涯のエピソード 作品14a フィナーレ最終部 ファイルサイズ1.4MB |