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金大フィルは左の表のように、ほとんどのベートーヴェンのシンフォニーに取り組んできた。団の創設期には、中心的なレパートリーだった。団員数が増えてきて選曲に幅が出てきてからも、特に、3番「エロイカ」と5番「運命」は、繰り返し演奏されてきた、メイン・レパートリーだ。 大編成の曲へ取り組み始めた70年代からは、この2大名曲はサマーコンサートの定番であった。「運命」か、「エロイカ」を3、4年ごとに交互に演奏している。サマー・コンサートは、1年前に初めて楽器を持ったばかりの2回生が、主力メンバーとして、シンフォニーの舞台に乗る最初の機会である。1stVnを除くすべての弦楽器で、シンフォニー初体験者がかなりの人数いるわけであるから、選曲も少しばかり慎重になる。定演ほど思い切った難曲、大曲は避けるのが一般的だ。 その点からも、ベートーヴェンの登場が多くなるというわけだ。なんと言っても2曲とも、交響曲の王者だ。初心者の弦楽器奏者にとって、ベートーヴェンの譜面がやさしいのかどうかは、専門家のご意見が必要だが、とにかく、オーケストラプレーヤとして良い勉強になることは確かなのだろう。 しかし、選曲と言う観点から心配になってくるのは、管楽器メンバーのメンツ消化である。「運命」の場合は、ベートーヴェン氏はかなり強烈な音符をTbパートに書いた。素晴らしく演奏しようと思えば、半端な腕前ではだめだ。ただ、「エロイカ」の場合は、演奏しようにもTb,Tubaには全く、音符が存在してないのである。 団が巨大化していった80−90年代は、どのようにして、この難しい状況を克服していったのだろうか。興味あるところだ。 初めて「エロイカ」を金大フィルが演奏したのは、今から30年前、大阪万博の前年、1969年、第30回定期演奏会で、山下成太郎氏の指揮だった。このころの団員数は、わずか40名程度で、OBや教職員、一般市民もかなりの人数参加し、市民オケの性格を持っていたようだ。室内オケから、曲がりなりにも2管編成のフル・オケへの脱皮の時期だったようだ。この演奏をぜひ聴いてみたいものだが、テープの入手はまだ目処が立たない。前後に、「新世界より」や、ブラームスの交響曲の金沢(北陸)初演を次々と行っており、当時の金大フィルにとってはチャレンジの連続だったようだ。 再び「エロイカ」を演奏したのは、1974年、創立25周年記念の第35回定期演奏会だったはずだ。今日の金大フィルの現役世代は、依然としてまだ生まれていないのだ。「第9」と「4番」を除いて既に、ベートーヴェンの一通りのシンフォニーは演奏していたのだが、「エロイカ」が不思議と敬遠されていた。しかし、それも納得ができる。なんと言っても曲自体の規模と重みがベートーヴェンのシンフォニーのなかでも随一のものだからだ。「第9」は別格としても、50分を超える演奏時間と壮大な曲趣からいって、金大フィルの萌芽期の50年代から、青春期?の60年代に演奏するにはかなりの重荷だったのだろう。 1974年は、創立25周年、第35回定演という記念すべき区切りの年に当たっていた。しかも、ウイーン留学帰りの新進気鋭の本多敏郎氏という新しい血を取り込んで迎えた、最初の演奏会だったのである。本多氏は、現在も地元金沢で幅広い活躍されている音楽家で、石川県の肝いりで出来た石川フィルの創立者の一人だ。エキストラを呼ばない自前主義を掲げて2年目の金大フィルが、氏を初の「音楽監督」として迎え入れた。この定演では、金沢、小松の2公演をこなしている。この演奏会に賭けるオケの力の入りようがわかると言うものだ。コンサートの前半は、フランクの「贖罪」というかなり珍しい難解な曲と、グリーグの「十字軍の兵士シグール」だった。この演奏は、近く入手予定だ。(わき道1) エロイカは、ベートーヴェンの3番目の初期の交響曲であるが、そのスケールの巨大さやダイナミックな曲調で、傑作といわれている。運命の息苦しい凝縮よりもむしろおおらかな親しみやすさのため、人気曲である。幾分、最初の2つの楽章が頭でっかちでバランスの悪さはあるが、力強い曲閉めまで、聴きどころ満載である。2楽章の葬送行進曲は、山あり谷ありの壮大でドラマティックな表現の可能性、3楽章の有名なトリオは、ホルンは腕の見せどころである。 3番目の「エロイカ」は、1982年の第7回サマコンであった。これは、長く大学に在籍され、80年代前半に金大フィルのオケの実力アップに寄与された山口泰志氏の指揮だった。演奏は、厚生年金会館で行われていて、録音はかなりデッドで寂しい音だったはずだが、ホールの録音担当者がエコーマシーンを掛けて、マスターテープを作ってくれた。おかげで、かなり良い具合にお化粧をしている。当時は、勝手にエコーなんか掛けて!と憤慨したものだが、今では、想い出が適度に美化されていて、むしろ好ましい。この演奏は、自分も当事者として演奏に関り、個人的に思い入れの強い演奏である。サブ・メインには、珍曲ブリテンの「マチネーミュージカル」を演奏した。 次の4番目の「エロイカ」は1987年の第12回サマコンにやってきた。指揮は、竹田 勉氏。このときは、非常に特徴的なプログラム構成がなされていた。コープランドの「ビリー・ザ・キッド」という金大フィルにとっては非常に珍しいアメリカ音楽である。オープニングはこれもまた金大フィルがほとんどそれまで触れたことの無かった、イタリア・オペラから、ヴェルディ「ナブッコ」序曲。大胆だが、ある意味で多彩でバランスの取れたしゃれた選曲だった。OBとして聴いたが、前半と後半で大きく気分が変わったのを記憶している。 1楽章の繰り返しを行なっているため、演奏時間は長いが、テンポは全体に速めだ。下記の演奏時間の比較でもこれがわかる。2楽章など、93年と比べて2分近くも短い。この演奏会のメンバー表を見ると実にTbが11人となっている。実質引退の人がいたことを考えても、メンツ消化が上手くいったのか心配なところだ。どのように対応したのだろう・・。 ![]()
一方、82年の3楽章など、アンサンブル技術的に慎重さを期したのだろうか、かなり遅めだ。 この後、2回の「運命」を経てから現在に至っている。そろそろ6番目の「エロイカ」が登場しそうな気配である。21世紀最初の金大フィル「エロイカ」楽しみだ。(わき道2) 次の特集は、いよいよ「運命」の出番だ。
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