「エロイカ」 Sidestory

「エロイカ」やベートーヴェン演奏にまつわる、あなたのサイドストーリ募集します! メール



 その1

 自分は、この35回定期の小松公演を中学1年生のときに聴いた。それまで、同じ中学生のブラスバンドのものしか音楽の生演奏は聴いたことが無かった。自分は、初めて聴くオーケストラなるものに、どきどきしながら、心待ちにしていた気がする。細かいところまでは、覚えていないが、ほとんど初めて聴いた生のオーケストラの音に素直に感動したのは確かだ。弦楽器から時々妙な音がするなということを感じたことも覚えているし、ティンパニーの音と演奏する姿がやたら格好良くて、しびれたのも覚えている。驚くべきことに、この時の印象深いティンパニー奏者とここ数年、金沢のアマオケ演奏会でご一緒させて頂いた。このとき、自分はトランペットに触れだしてからまだ半年余り、演奏することの難しさと楽しさを感じ、そして音楽の素晴らしさを海綿のように吸収していた時だった。この時、6年後に、自分がこの金大フィルに入るなどとは、ゆめゆめ考えていなかっただろう。大学っていうのは一体どんなところなんだろう?という程度のお子様だった。
 
 



 その2

 「エロイカ」に纏わる個人的な思い出を一つ。82年にサマーコンサートで、エロイカを演奏したとき、アンコールに金管アンサンブルをやろうと言う動きが起こった。自分にとって、「エロイカ」は、3回生で演奏するのメインシンフォニーであったから、それこそ、大学生活の一番の素晴らしい想い出にしよう!、しなければ成らないという一種の強迫観念があった。20前後の多感な時期でもあり、異様な精神状態だったのかもしれない。TbやTuba吹きにとっては、大学生活の中の出演自体が数限られる演奏会で、何とか、花を咲かせたいというのは良くわかる。しかし、「エロイカ」の演奏を聴いてから、G.ガブリエリの薄っぺらい音楽を聴きたいお客さんがいるとは、とても思えなかった。今でもその考えは変わらない。金管セクションの中で、アンコール選曲総会に向けての水面下の動きが活発であったが、自分はそれをパート集会で一蹴した。彼等は、悲しい顔をしていたが、自分のわがままを受け入れてくれた(と思っている)。そのくらい3回生の意見は当時、尊重されていた。結局、アンコールは、定番曲、カヴァレリア・ルスティカーナ間奏曲であったが、Tb,Tubaのオルガン入りで何とか、みんなの不満を和らげて、コンサートは音楽的に満足の行くものと成った。
 多分このことは、客観的にはフェアでなかったかもしれない。なぜなら、その前年には、「ブラ1」を自分が演奏してその後に「星条旗よ永遠成れ」を演奏したのだから、どこがどう違うのかと言われてしまう。しかし、結果的に「星条旗」はお客さんの反応から見ても大成功だった。「エロイカ」とガブリエリだったら、どうだったろう・・・。

 10数年たって、この疑問を金大フィルがサマコンで偶然にも、実証をしてくれた。シューマンの「春」の後で、ガブリエリの金管8重奏曲を演奏したのだ。そのときは、演奏会自体には個人的な思い入れは全く無い。純粋に聴衆としてであった。ものの感じ方は人により千差万別であるだろう。しかし、自分はやはり生理的に拒否反応が起こった。シューマンの内向きな陰影の深い音楽と、ガブリエリの楽天的な音楽はあまりにもかけ離れていた。高級な懐石料理かなにかのあとに、安物の甘ったるいショートケーキを無理やり食わされたようなものだ。そそくさと、ホールを後にしたのを覚えている。そして、20年近く前に、自分の我を通したのは、それで良かったのだろうと思ったものだ。