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野口晴哉先生語録

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ラポールとテレパシー 

野口晴哉 「潜在意識教育 人間の行動原理としての〈気〉」
『月刊全生』昭和44年2月号 より

   

 ある時、私の所に心理学者が来ました。息子が自殺すると書き置いて家出したというのです。心理学で心の問題などすべて処置できると言いきった人が「何とかできないだろうか」とオロオロしているので、私は「人間にはテレパシーということができる。親子なんだから潜在意識に働きかければ、少なくとも死ぬことだけはないだろう」と言ったらその通りにして、自殺をくい止めたということがありました。実際に心理学を研究していて、それで問題はすべて解決できるつもりの人でも、テレパシーとかラポールとかいう、あるかないか判らない〈気〉の通い合いということを忘れているのです。言われるまで気付かない。

 ラポールというのは心と心が直接通じる現象で、例えば恋愛している人達同士だと、ヒョッと相手の顔を見ただけで相手の心の状態がすぐに感じられる。一生懸命注意を集めている同士では、ちょっとした不安でもすぐ感じあえるのですが、そういう、言わないでも、見せないでも伝わりあう心をラポールと言うのです。また特定のある人に、心が空間を隔てて直接伝わってしまうのがテレパシーで、夢枕に立つとかいうことがあるのがそれです。

 人間にはそういう心の一番下にある心同士で、ひとりでに伝わりあう働きがあるということをともすると無視して、いろいろな理屈で心を使い、いろいろな理由で心が働き、いろいろな理解で心が動いてゆくと思っていると、大きな間違いをすることになる。理解といっても、その前にテレパシーとかラポールとかが行なわれて始めて本当の理解もできるのに、何か頭の中だけの理解で理解できたと思っている人が多いのです。しかし人間の心が、話をしたり行動に示すことによってのみ伝わりあうと思っている人達は、いつでもこの見えない動きの為にマゴマゴさせられる。これこれこう言ったのだから相手にもその通り伝わっているはずだと思っていると、とんだことになることがある。コミュニケーションが片道通行で往復していないからです。言った方は確かに言ったと思い、言われた方は言われた覚えはないということはザラにありますが、最初に注意が集まって、お互いの心が合ってから話し出せば感じられることでも、焦点の合わない状態、例えば「お饅頭が食べたいわ」と言っている時に「煙草は体に害がある」と言うようなことでは感じない。コミュニケーションといえども、心と心がぶつかり合った時でなくては駄目なのです。

 心が合うというのはどういうことかというと、心と心の間にテレパシーとかラポールとかが行われて、心そのものが直接ぶつかりあい通いあった時のことです。そういう時なら言葉も通じ、理解も通じ、話も通じる。心が合わない時には話をしても通じない。いろいろと言いまわしを工夫してみても、心がくい違っている時は、お互い自分の考えしか念頭にない。片方は懐勘定をしている、片方は大義名分を説いているというのではくい違いもはなはだしい。