塾生 水野隆末が語る活元運動

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本物との出会い(本物の活元運動と身体感覚の向上)

       

啓哲塾塾生 水野隆末
(静岡県静岡市在住)

2001年5月30日

      

 私は以前から、野口整体というものに、大変な興味を持っていました。野口晴哉先生の著書や、その関係書物を読みあさり、その思想や世界観に、どんどんと惹かれていきました。活元運動が初めて出た時は、とても感激し、何日間か興奮していたことを覚えています。首や腕、背中や股関節をグルグル、ユラユラと、最初のうちは一人で面白がってやっていましたが、その後、友人や知人に紹介したり、仲間を集めて一緒にするようになりました。しかし、2001年、金井省蒼先生との出会いによって、「本物の活元運動との違い」を実感することになりました。

    

頭の中が真っ白、運動後の心地よさ

 活元運動の誘導として、金井先生に、頭部第二という処に愉気を受けた時、頭の中が真っ白になったような、真空になったような状態になりました。そして、それによって、体の底から揺り動かされる、全身の活元運動というものを、初めて体験することが出来ました。その運動とは、「弛まない体の一部を、全体が弛めようとしている」、そんな動きであり、まさに、身体が躍動するような感じでした。また、運動終了後の全身の脱力による心地よさ、その結果の充実感など、以前のものとは、まったく違うものでした。
 私が以前、活元運動と思っていたものは、腕や肩、首、股関節など、そうしたある部分での、いわゆる「貧乏ゆすり」みたいなものであり、もっとも大きな違いは、「意識」ということでした。「頭の中のポカンとした状態が本当に大事であった」ということです。活元運動というものは、体全体が動く運動であるわけですが、頭が「ポカンとした状態」でなければ、どうしても、ある部分的な運動になりやすいものだということを知りました。
 もちろん、一度体験したからといって、ずっとこのような質の運動が継続されるとは言えませんが、「本物は頭の真空から」というのを体験的に学んだのです。
 以前の私のように、指導者に頼らず、独学で活元運動を行っている方々は多いと思いますが、本当に「ポカンとした状態」になれているのかどうか、自分だけでは難しいものだと思います。現代人は、頭を緊張させることがあまりに多いため、「ポカンとした状態」がどういうものであるか、分かりづらくなっているからです。

     

身体を実感する

 そして、この本物の活元運動は、「身体感覚」をも磨いてくれるものでした。私は初め金井先生に、「今、体をどう感じているか?」と感覚を問われても、何も答えることが出来ませんでした。これは、身体で感じることが出来ないために、どうしても頭で考えてしまう、ということであったわけですが、真の活元運動との出会いにより、徐々に背中や骨盤の感覚が生じてきて、内観的な感覚も、少しづつではありますが、実感できるようになってきました。日本の伝統文化を支えてきたという、この「身体感覚」との出会いは、私にとって、大きな収穫であり、少し大袈裟ですが、私の身体に革命が起きたような出来事です。
 これからも、「身体感覚」の高まりと、溌剌とした日々を目指して、この活元運動を積極的に、楽しんでいきたいと思います。

  

   

水野隆末の活元運動のその後については

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