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『かしゃぐら通信』訪問者カウンター  スリランカ探検隊 No84 2005‐6‐16
 スリランカ探検隊バックナンバー  


クリントンの豊かな援助

 6月13日、ワシントンDCに津波援助国が集まり、スリランカに救援を受け入れる体制を早急に整えるようスリランカ政府に進言する決議を行ったと、コロンボ・ページが伝えている。
 決議は援助の透明性と公平性を訴えている。そして、チャンドリカ政権に対して北と南の勢力との協調を図るよう促したが、こうした進言は津波発生以来何度と無く繰り返されている。ただ、所期の報道と異なるのは津波被害がスリランカ北東部に集中して大きいこと、モスリム居住区に被害が甚大であることを挙げている点で、情報に正確さが現れてきた。
 元米国大統領のクリントン氏が国連の津波被害国復興に関する特使に指名されて半年を迎えようとしているが、今回の決議がクリントン特使のスリランカでの動向・発言と重なるのは彼のスタッフが選択する情報が正確であることをも示しているようだ。

「この人物より他に特使の適任者はいない」としてアナン事務総長が指名したのがビル・クリントン氏。国連津波特使となったクリントン氏は4月13日、ニューヨークの国連本部で「約束の履行と適切な支出」を求める演説をした(国連ニュース)。
 クリントン氏はヒューストンをベースにして同じく元アメリカ大統領ジョージ・H・W・ブッシュと津波復興基金を設け、米国内の各種団体・個人から1000万ドルの寄付金を得た。5月6日、在アメリカ・スリランカ大使館は同基金から100万ドルの寄付を受けたと報じている。これによって13の海岸地域に総数100の児童運動場が建設されるという内容である。寄付団体に米国内の野球などのスポーツ団体が名を連ねていることからして、また、クリントンがスリランカ訪問をしたとき、子供たちとの接触を特に求めたことを思えば、児童運動場の建設設置は辿るべき目標であっただろう。
 5月27日の共同通信は、クリントン特使がモスリムの住むカルムナイ(バティッカロア東部)を訪問した時の様子を報じている。クリントン特使は薄いピンクのTシャツ、クリーム色のスラックス、白の運動靴でカーメル・ファティマ・カレッジのバスケット・コートに現れ、地元の行政担当者と会った。これは2月にジョージH・W・ブッシュとスリランカを訪問して以来2度目だと記事にあるが、ここでも彼は復興事業の速やかな履行と資金の流れの透明性に言及している。
 勿論、クリントン氏等の基金はスリランカだけの津波復興に当てられるだけのものではない。インドネシア、モルディブス諸島を含むスマトラ沖自身の被害地域を網羅する復旧資金である。だが、スリランカでのクリントン特使の行動を追っていると、そこに明白な意志が見えてくる。それは正確な情報によって、必要とする地域と人々とに、必要とされるものを確実に提供するという情景だ。スリランカ北東部、モスリム、子供たち。草の根のNGOが手を差し伸べる津波被害の「弱者」を、クリントンの外交術も同様に目標においている。
 JAICAの協力隊隊員たちが援助の現場で、自らが持たされた専決区分の予算を、あるいは運動用具の購入に当て、あるいは農産物の種子の購入にあてて地域の開発に取り組んでいることと、ヒューストンからの援助の性格は似ているとはいえない。ヒューストンからの援助は箱モノだからだ。しかし、住宅の建設、橋梁の設置、港湾の整備といった援助とは一線を画している。運動場が生むのは経済効果ではない。子供たちの体と心の発達だ。これは協力隊の仕事である。

 日本の外務省は日本のODAが世界で最も額が多いと言い、その割に評価がされないのは自らの広報が未熟なためであるとした報告書を出している。1997年の援助実施評価の中でそう提示しているのだ。そうした未熟を補うために「日本のマスコミを対象としたプレス・ツアーを外務省(大使館)が主催する」という案を記しているが、果たしてそうだろうか。
 日本の専門化はそう評価する。が、スリランカでの評価は援助額の多寡によってその偉大さが評価されるのではない。人々はその中身を評価する。巨大なプロジェクトが手放しでよろこばれる「貧しい」時代は終わっているし、広報周知さえすれば援助プロジェクトが良いと評価されるものでもない。
 女性の自立と開放のために小さな資金の銀行を作った協力隊員がいる。スイカを植えて新しい農産物とした協力隊員がいる。それがどれほど規模の小さなものでも、「豊かな」援助であるという哲学は誰もが抱ける。クリントンの運動場がそのイメージに重なることも明らかだろう。