かしゃぐら通信・表紙へ  索引index  シンハラ語 スリランカ自由自在 南の島のカレーライス  
シンハラ語の過去、現在,未来


シンハラ語の過去

 この過去の事がわかっていない。いろいろな説がある。北印度から来たとか,モルディブの言葉と関係があるだとか。しかし、シンハラ語は何者か。よく分かっていない。
 それは,言いかえればシンハラ人が一体何処から来てこの南の島に住み着くようになったのか,それが本当のところ,分かっていない事にも通じる。ルーツを探る唯一の手掛かりはシンハラ人が持っているシンハラ王国に関する神話にある。あるいはシンハラ人以前の先住民、ウェッダと呼ばれる人々の日常語と古代シンハラ語との関係に焦点が当てられることもある。だが,シンハラ人はウェッダ人と比較されるのを嫌う。
 それは、かつての日本人が縄文人を日本人と見なかったのと同じことで、「低級な」存在を「高級な」人々はルーツとして好まないようだ。
 シンハラ語の中の多くの文化語はパーリ語やサンスクリット語からの借用だ。それは日本語に中国語や朝鮮半島の単語が文化語として多く混入しているのと同じで、日々の生活から自然に生じたものではない。シンハラ語では文法さえ借用が盛んで、書き言葉にはパーリ語の上品さが漂っている。
 大航海時代以降には西欧の三国がこの島を支配したから,そうした国々の単語もシンハラ語には沢山混入している。シャボン、ボンボン、テンプラ。 ビードロ、ベランダ、ライス・カレー。 こうした外来語は日本にもあるが,スリランカでも通じる。

シンハラ語の現在

 「忠告しておくが、決してシンハラ語でなんか話すなよ。誰と話す時でも英語を使え。でないと、程度の低い人間だと思われるからな」
 スリランカでは決してシンハラ語を使ってはいけない、とシンハラ人に親切に教えられたことがある。
 それがシンハラ語の『現在』の有り様。スリランカでは英語が幅を利かせて、偉い人同士は英語、目下のものと話す時はその目下の人が英語を理解する時は英語、でなければシンハラ語、という具合。目下と言ったけれど、これは今だに「生まれと肌の色」で精神的な非差別感を持たされる人が多く、シンハラ社会は自由な反面,厳しい側面を持っている。そこではシンハラ語は負の側面を負わされている。
 スリランカへ行っても英語でしか生活しない日本人には、この現実が理解できない。日本人自身が英語に高級感を懐いているし、また、スリランカで自らの英語が通じて幸福になっているためだと思う。大部分のシンハラ人は日本人の英語レベルなので日本人の英語がよく通じるというわけだ。しかし,英語で理解するスリランカは英語で理解できるだけの世界しか見せてくれない。


シンハラ語の未来
 
 スリランカ政府がシンハラ語に力を入れる時がある。それはタミル人との関係、特に民族的な鍔迫り合いをその狭い島の中で繰り広げている時だ。タミル語は世界的にはシンハラ語に較べて圧倒的に有利だし、そこに対抗するにもシンハラ語で民族意識を固める必要が生まれるのだ。
 シンハラ語とタミル語で言えば,シンハラ語は圧倒的に弱い。その使用者は東京都の人口ぐらいでしかなく、それもスリランカの島の中だけに限られている。タミル語は億の単位の人々がアジアの複数の国で話している。
 シンハラ人はシンハラ語に自信を持っていない。このままではシンハラ語は潰れてしまうかもしれない。
 でも、日本人がシンハラ語に興味を持ったなら,その負の傾向が変わるかもしれない。
 不思議な事にシンハラ語は日本語とよく似ている。
 言語が似ていると言う事は、そうした言語を使う二つの民族の心や考え方も似てくる事に繋がる。その事例を多くまとめたのが、このホームページ『かしゃぐら通信』の中の『シンハラ語の世界』だ。
 シンハラ語の世界を探る事は日本語の過去と現在と未来の展望に繋がる。突っ込んで言えば、日本人の姿をシンハラ語が映し出す。アジアの南の島の言葉に耳をそばだてれば、日本人もそれほどにさびしい民族ではないということが分かる。日本語が消して孤独な言語ではないという事さえも。


索引index カレーライス  スリランカ百科 E-mail ・ かしゃぐら通信表紙