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名所編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所)
【し】※◯は欠字、◎は表示不能文字
名所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
しいのきやしき
椎の木屋敷
「(墨田川に船遊山)しいの木やしきと首尾の松とを船よりながめ侍りて
 しいの木のしいつけられし酒もりや不首尾の松のもとひなるらん」
巴人集②407天明3年
1783/05/
しおみざか
潮見坂 (遠江)
「観潮坂 行上観潮坂 一層高一層 遠江七十里 遥指一孤燈」改元紀行附録
南畝集12
漢詩番号1943
⑧137
④158
享和1年
1801/03/03
しかんじま
四貫島 (大坂)
「四貫島大悲庵を過りて句を聯ぬ【馬田国瑞】
 隣荘霜樹隔墻紅 覃 午寂禅扃鳥叫風 小憩思詩茶未熟 国瑞 浮生閑在半窓中 覃」
南畝集12
漢詩番号2062
蘆の若葉
④190
⑧252
享和1年
1801/10/25
しちめんざん
七面山 (長崎)
「人日、鎮北の諸山に遊ぶ 其の五 披榛踰嶺踏煙雲 七面山高海色分 一自征韓伝奏捷 至今猶奉鬼将軍
【七面山。山に鬼将軍加藤清正の祠有り】
南畝集15
漢詩番号2627
④369文化2年
1805/01/07
しちめんざん
七面山 (身延)
「西窓に七面山を望む 芙蓉雪外一青螺 云是延山七面阿 識得此山真面目 思親閣上白雲多」南畝集17
漢詩番号3365
⑤162文化7年
1810/05/
しちりがはま
七里浜
「七里灘に風に阻まる。覃韻を得たり 風涛桑海上 客舎駐帰驂 応有驪竜窟 溟濛不可探」南畝集4
漢詩番号0617
③215安永7年
1778/12/
しちりのわたし
七里の渡し
「海路 桑名から七里のわたしつつがなく宮へつき/\祝ふめでたさ」めでた百首
夷歌
①83天明3年刊
1783/01/
しながわ
品川
 品川 (別資料)
しのばずのいけ
不忍池
 不忍池 (別資料)
しばい
芝居 (劇場)
 芝居(別資料)
しばさき
柴崎村
「柴崎村にやどりて 春雨の夜すがらふると思ひしはせいきる水の音にぞありける」
〈名主の中島次郎兵衛に投宿〉
「多摩郡立川領芝崎村の鎮守八幡宮の御本地仏長四寸八分の黄金の弥陀如来、しば/\白波のさはぎありしが、もとのごとく立帰らせ給ひふ。そのゆゑよしをしるせしものをみて、うたよみて奉りける
 岩清水むすぶ心のまことよりほとけのみなもたち川の里
 みほとけのこがねの光やはらげて塵にまじはる神心かも
 神といひ仏といふも立川の水と波とのへだてならずや
 黄金にまされる宝ありとしもいさしら波のたちさはぎつゝ
 みほとけのしばしばさきにうせにしはたちかへります後の世のため」

〈白波の騒ぎとは盗難騒動。「そのゆゑよしをしるせしもの」とは、神主の宮本信濃が安永五年に書いた「略縁起」「遺訓」「覚書」をいう。『調布日記』にあり〉
玉川余波
調布日記
②131
⑨191
文化6年
1809/02/19・20
しぶや
渋谷
「秋日、菊池博甫の児阿定と同じく郊行す
 一日倫閑城市辺 青山渋谷入疎煙 林間直指金王廟 落落長松蔭半天」
「其の二 蕎花如雪稲如雲 十畝平田望自分 流憩一軒茶屋下 飄飄已似出塵気」
「渋谷
 七郷称渋谷 双表入嗣門 苔厚金王廟 榛荒長者園 鉢山斜隔水 羽沢曲通村 三十六松樹 于今猶幾存」
南畝集9
漢詩番号1869-70
1883
④131
④136
寛政5年
1793/09/
しまのぼう
嶋之坊宿(八王子)
「嶋坊宿の堤に笈牛をたてん事をねがふ 嶋坊の宿の堤に山伏の笈牛こそはたつべかりけれ」玉川余波②117文化6年
1809/01/05
「(嶋之坊宿にて陣貝(ほらがい)をいれた箱の蓋に)御陣具(ママ)と書、裏に、関原大坂両度之御陣、小田原玉滝房柚井山嶋の坊御陣具、御供嶋の坊所持御陣具と書付、箱の裏に文化六年己巳春三月南畝大田覃と記せり」調布日記⑨265文化6年
1809/03/27
しみずだに
清水谷 (大坂)
「清水谷に梅を賞す【二月五日】 千樹梅花接圃深 坐来香霧夜沈々 簷前不辨駒山色 却月低空照積陰」南畝集12
漢詩番号2097
④200享和2年
1802/02/05
しゅくがわら
宿河原 (橘樹郡)
「宿河原といふ所にやどりとる。庭に梅の一ふさ咲出たるを見る。けふは節分なれば
 鴬の宿河原とて春よりも先に立枝の梅の早咲」
玉川余波②112文化5年
1808/12/20
「宿河原に茗を喫す 閑坐一炉下 更嘗三椀茶 向丘連玉水 春入古農家」②114文化5年
1808/12/27
しゅびのまつ
首尾の松
「(墨田川に船遊山)しいの木やしきと首尾の松とを船よりながめ侍りて
 しいの木のしいつけられし酒もりや不首尾の松のもとひなるらん」
巴人集②407天明3年
1783/05/
しょうへいばし
昌平橋
「七月廿日夜、昌平橋の西の古柳、風雨の為に折らるるの嘆 日暮烈風雷雨迷 数囲枯柳臥長堤 盤根自失虺蛇窟 恐使神竜一委泥」南畝集19
漢詩番号4290
⑤426文化14年
1817/07/20
しらすが
白須賀 (三河)
「白須賀の宿は去年のやどりし所なり 去年の秋やどりし人の家ゐともいざしら菅のむまやぢの旅」
〈宿の主人は脇本陣の桐屋惣二郎〉
小春紀行附録⑨98文化2年
1805/11/11
しらみね
白峰 (讃岐)
「郭公の玉章といふものさぬきの国しら峯にあり。うたよめと人のいふに
 しら峰の山ほととぎすはま千鳥あとはなしともかよふ玉章」
あやめ草
千紅万紫
②70
234
文化7年
1810/03/
しろいし
白石 (備中)
「白石の夜泊 (詩なし)」
「八月廿三日、雨晴れて舟白石を発す (詩なし)」〈『革令紀行』⑧423参照〉
南畝集14
漢詩番号2508
④330文化1年
1804/08/22・3
しんかわ
新川
「此比新川の船便なくて酒少なしときヽて 菊の酒白衣はおろか入船のこもかぶりさへみへぬ此比」をみなへし②34文化5年
1808/09/
「新川の酒家一樽を寄す。樽に山濤の字有り 璞玉渾金山巨源 春涛瀉雪入盃樽 此中自有青州物 従事何如啓事存」〈新川は下り酒の問屋が集中〉南畝集19
漢詩番号3998
⑤347文化12年
1815/02/
しんかん
清館 (長崎)
「二月二日、清館に福徳正神の前庭に双貴図の戯を演ずるを見る。清の水陳国・胡振兆新・訳司柳屋生、坐に在り。卒かに賦して柳屋生に示す
 山館春風対玉壷 相逢目撃尽歓娯 人間世上長看戯 何異一場双貴図」
南畝集15
漢詩番号2637
瓊浦雑綴中
④371
⑧514
文化2年
1805/02/02
「清館の孫瑞章の清遠閣に過る 風薫清遠閣 杯澹鬱金香 疑与晃卿輩 恍然在大唐」
〈孫瑞章は丑五蕃船の船頭(書簡92⑲129)〉
南畝集15
漢詩番号2663
④379文化2年
1805/04/
しんば
新場
「下町稲荷社三十三番御詠歌 十六番 新馬 祐いなり
 新しい新場の肴さゝぐるもけふこのしろの幸いなり」
序跋等拾遺医⑱576安永3年
1774/02/11
しんせんえん
神泉苑 (京都)
「神泉苑 旧苑神泉長緑蘋 迎風猶憶昔時春 唯余善女竜王廟 不見乾臨閣」改元紀行附録
南畝集12
漢詩番号1954
⑧140
④161
享和1年
1801/03/10
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