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名所編大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔名所編〕大田南畝関係
(江戸・長崎・大坂・東海道・木曾街道等の名所)
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名所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
ばいけいじょう
梅鶏場
「梅鶏場荘に過る 未問誰家荘 下舟卒意入 一株金木蘭 花向階前立」南畝集19
漢詩番号4291
⑤426文化14年
1817/07/
はいじま
拝島村 (多摩郡)
「拝島のもの、用水といるヽ口に、弁慶といへる枠をしきりに乞けるもおかしく
 弁慶を弁慶をとていつまでも立往生にたつて拝島」
玉川余波②116文化6年
1809/01/03
はぎでら
萩寺 (本所)
「葛飾の竜眼寺に萩を見侍りて 萩見んとむれつつ来るに藍さびのかすりの衣着ぬ人ぞなき」万載狂歌集①8天明三年
1783/01/
「(七月)廿七日 萩寺は本所押上村竜眼寺なり。萩のにしき、目もあやなり
 いもが手をとりつゝゆけば真萩原まそでに露のふる寺の庭」
細推物理⑧385享和3年
1803/07/27
はくさんやくえん
白山薬園 (小石川)
 白山薬園 (別資料) (小石川薬園)
はくばだい
白馬台 (目白)
 白馬台 (別資料)
はくひえん
白賁園 (渋谷)
「春日、徐徳卿・井子卿・鈴一貫と同じく西郊に遊。五首
 赤羽先生白賁園 茅茨欹側鎖柴門 牀頭画古余棲鶴 帳裏人空叫暁猿 西嶽芙蓉廻望出 東隣松樹至今存
 傷情不但山陽笛 伐木丁丁処処村」

 右、白賁墅【南郭服子遷先生の墅、渋谷羽沢に在り。壁上、猿鶴を画く。先生の詩に云ふ。東隣幸ひに借る青松の色、西嶽何来の白雪の光と】」〈墅は下屋敷〉
南畝集8
漢詩番号1588
④33寛政2年
1790/02/
ばくろちょう
馬喰町
「馬食町旅館 夢むすぶ浅草まくら柳こり花のお江戸に旅寐せしかな」万載狂歌集
巴人集
①12
②448
天明3年刊
1783/01/
はこね (相模)「函嶺を過ぐ
 雨霽函山紫翠疑 苺苔路滑石崚嶒 関門百二応須固 天険尋常不可升
 臨水毎縁青壁下 攀林又入白雲層 怪来笑語聞村落 勧酒胡姫媚自矜

其の二
 天正神兵下此城 徒伝五世北条名 崖余二鼎祠壇古 影落双峯鏡水清
 猿狖已愁蛇倒退 煙霞無尽鳥哀鳴 鬱紆高岫過関去 紫気遙生富士平
 ふるさとをふた夜へだてゝ玉笥はこねの山の明ぼのゝ空」
改元紀行附録
南畝集12
漢詩番号1931
1932
⑧134
④154
享和1年
1801/02/29
はちおうじ
八王寺宿(多摩郡)
「八沢嶺を踰ゆ 八沢樵橋九折途 松陰榛曲鬱相紆 行度玉川纔出谷 人烟多処是桑都
 【八王子邑一名桑郡】 」
玉川余波②117文化6年
1809/01/05
はちまんづか
八幡塚村(荏原郡)
「八幡冢村看福寿草 緑葉苞金盞 幽葩発瓦盆 願将福兼寿 老此海浜村」玉川余波②113文化5年
1808/12/25
「むつき十一日のあした八幡塚村のやどりに鴬のなく
 春たつと弓矢八まんつかの間もわすれぬ鳥の初音をぞきく」
玉川余波②118文化6年
1809/01/11
はっけい
八景
「八景
 日の宮晴嵐 さしのぼる朝日の宮の朝あらしはれてまばゆき床の山風
 高橋夕照 山にいる日も高橋と思ふまに田づら一面てるわたるかげ
 鹿野山暮雪 棹鹿の山にはやつの御耳のふりたてを見る雪の夕ぐれ
 花下落(ゲゲラ)秋月 上々もげゝらも秋の月一つながむるこゝろ千差万別
 歓喜晩鐘 二またの大根を時の撞木にて入相のかねくわん/\喜天
 坂戸夜雨 夜もすがらしきりふる木の松の雨あすの坂戸の道やぬからん
 原田落雁 ひらふべき人さへみえず目の下の原田にちかく落るかり金
 畦洲帰帆 入船は一ばん二ばん洲の上に浦賀の切手帰る帆のあし」
七々集②289文化12/12/
はなやしき
花屋敷(向島)
「花やしきの秋の七草をみにまかりけるに、歌妓おかつも来りければ
 七くさの花はあれどもをみなへしたゞ一もとにかつものはなし」
七々集②248文化12年
1815/08/
ばにゅうがわ
馬入川 (相模)
「馬入河 馬入河辺水 蕭々枯葦多 善騎者一堕 其奈覇図何」
〈源頼朝の落馬伝説を踏まえる〉
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2840
⑨101
④431
文化2年
1805/11/17
はねだ
羽田村
 羽田村(別資料)
はまなのはし
浜名の橋 (遠江)
「はま名のはしのあとをたづねて いにしへの浜名のはしのあとゝへば風ふきわたる松の一むら」改元紀行附録
巴人集
⑧137
②445
享和1年
1801/03/04
はままつ
浜松 (遠江)
「浜松駅に宿す 遠江征客度天竜 洛水蘭亭不易逢 旅館残燈思昨日 長風吹断海浜松
 やよひ四日の朝、とく浜松の宿をたちいづるに、ゆくてに桜の木多くたてり
 はま松のえださしかはす真木のはに霧たつ秋を思ひこそやれ」
改元紀行附録
南畝集12
漢詩番号1941
⑧136
④158
享和1年
1801/03/03
「浜松駅より見付駅に至る途中の策
 颯々浜海風 鬱々両行松 細江控馬野 三原接犀峰 維昔普教公 東欲観芙蓉 自有浜松篇 至今佐歌雍
 十月崎陽回 途遠已仲冬 再見芙蓉雪 爽然盪人胸 星言駆駅馬 日昳度天竜 正知東海上 江漢日朝宗」
小春紀行附録
南畝集15
漢詩番号2830
⑨99
④428
文化2年
1805/11/12
はむら
羽村 (多摩郡)
「むつきよか、羽村にてよめる 千金の春の日かげをせなにおひ鶴の羽むらにのるかとぞ思ふ
 羽村道中
 行過野店渡渓橋 更探寒梅伴牧樵 猶有春発城市気 隔村吹起売餳簫
 処々堤防猶未修 堰声澎湃羽村頭 水江激上陽溝裏 八百閭閻仰下流」
玉川余波②116文化6年
1809/01/04
ばんちょう
番町
「一時五首 其の五 表裏番軍十二街 昔年天下作模楷 士風一自移名利 家有猪奴路有豺」
〈「樗蒱者牧猪奴戲」「豺狼当路」番町の旗本の中に博打打ちや要路をふさぐ悪人がいるという意味か〉
南畝集13
漢詩番号2335
④275享和3年
1803/08/
Top浮世絵師総覧名所編大田南畝関係