Top          浮世絵文献資料館    浮世絵師総覧
 
   寺社編  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【か】
寺社名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
かいあんじ
海晏寺 (品川)
「海晏寺観楓
 海晏丹楓蔭白沙 行攀一径夕陽斜 泔園近映千帆影 色界渾如二月花 誰把霜毫題木葉 還疑雲錦製袈裟
 上方何必迷昏黒 留得紅霞照客車」
南畝集2
漢詩番号0308
③106安永3年
1774/10/
「海晏寺観楓 東林一磬寒煙散 南浦千帆落日斜 忽見霜楓飄宝地 偏疑雲錦灑晴沙」南畝集4
漢詩番号0749
③257安永8年
1779/10/
「冬初、遥かに海曇寺を想ふ。肴韻を得たり
 海寺丹楓映白茅 小春風色暖南郊 不堪遥想徒回首 短景難偸十月交」
南畝集16
漢詩番号2959
⑤38文化3年
1806/10/
「(紅葉)海晏寺 西明寺どのゝ墓ある林間にもみぢをたきてあたり給へや」紅梅集②378文政2年
1819/10/
かいぜんじ
海禅寺 (浅草)
「冬日、曽我伊州・松平作州二騎将に陪して海禅寺の鰲輩亭に集ふ
 海禅蘭若出塵埃 自有元戎小隊来 咿軋肩輿迎我去 似乗鰲背入蓬莱」
南畝集18
漢詩番号3841
⑤300文化10年
1813ウ11/
かいぞうじ
海蔵寺 (駒込)
「好花坊糸桜歌三十首 五番 駒込 海蔵寺 はるこそは人もきてとへいと桜花にひかるゝこま込のさと」花見の日記⑧47寛政4年
1792/03/
かいふくじ
梅福寺 (深川)
「夏日、井子瓊・滕伯慶を携へて海福寺に遊ぶ。吉子衛・鷲尾山人と同じく賦す
 石門高鎖大江東 白日玄談興未窮 左席猶虚詞客坐 清樽敢許梵王宮
 塔標雁影斜含霧 松老竜鱗自擁風 別有滄池無熱色 蒹葭深処暮潮通」
〈現在は目黒区〉
南畝集5
漢詩番号0803
③276安永9年
1780/05/
かいちょう
開帳
 開帳 (別資料)
かきのもとしゃ
柿本祠
「柿本神祠に題す 千載遺編有国風 長将詞筆代天工 古祠秋色丹青落 猶自園林柿葉紅
 又 暁霧纔分赤石流 柿公祠上望悠々 当時風色長如此 万古空悲蔵壑舟」
南畝集1
漢詩番号0044・5
杏園詩集
③17・18
⑥27
明和9年
1772/03/18
かさもりいなり
笠森稲荷(谷中)
「日ぐらしのにき
 こゝは過し明和の比、おせんといへるいらつめの、茶をすゝめて人の心をうからかせしふるき跡なり。かつしかのまゝの手古奈のたぐひにして、なら坂や児手柏のふたおもて、ひともとの陰とたのしみしが、とにもかくにもねぢ錠の、鍵屋の錠もぴんとおりて、またもふたゝびあひかぎなく、こしかけし床几の足さへ跡かたなく、児手柏の根つこをも、いづこの里へほりうつしけん。とんだ茶がまが薬罐とばけて、松風のみぞ音たかき、人間万事早馬のごとし。かたゞた油断すべからず
 笠森稲荷大明神 鍵屋の阿仙美人と称す 土器(カワラケ)砕けて土団子と為る 只今唯だ煮花の新なる有り
 又   面楫ノ似足
 笠守の神の祠日暮らしの辺 酔中相伴ふ例の諸賢
 殊に拙者をして頻に古を懐はしむ 曾て識る高名阿仙有ることを識る」
四方のあか①135安永7年
1779/10/15
「笠森の懐古
 笠森稲荷大明神 茶屋の阿仙美人と称す 土器砕けて土の団子と為る 只今惟煮花の新なる有り」
壇那山人藝舎集①468天明4年刊
1784/03/
「瘡守いなりのやしろの前にしだれ桜あり ひもろぎの団子のくしをさしかざせしだれ桜の花のかさもり」あやめ草②66文化7年
1810/03/
かしまいなり
鹿島稲荷
「新川、鹿島稲荷奉納歌」“名にしおはゞ稲をになへる豆腐にもかへてささげんかしまこんにやく」巴人集甲辰②434天明4年
1784/02/09
かなわじ
金輪寺 (王子)
「金輪寺に花を看る
 丹青剥落淑光新 王子祠壇澗水浜 万朶圧枝欺白雪 三山罷霧鬱青春 折花僧侶時供仏 拾翠佳人幾賽神
 林外午鐘知有寺 何年此地転金輪」
南畝集8
漢詩番号1526
④13寛政1年
1789/03/
「暮春、十千亭主人と同じく金輪寺に遊んで花を看る
 熊野峰前王子宮 飛来一託百花叢 丹青剥落空堦色 紅白霏微満地風」
南畝集8
漢詩番号1609
④42寛政2年
1790/03/
かみだな
神棚
「ちいさくひきゝ家に神棚のありけるに、ともすれば人のかしら打つに心づけんと、この歌かきておし置ける
 土一升金ふき町のなたちんも高まが原に神とゞまりまします」
狂歌才蔵集①49天明7年
1787/01/
かめいどてんじん
亀戸天神
「奉納夷曲 観音の化身の梅のかんさりぬ普門品第二十五日に」細推物理⑧352享和3年
1803/02/01
「亀戸神会【九月廿七日雨降る、改めて二十九日を卜す】
 東荘士女賽天神 遊舫看棚一水浜 社鼓断時村笛続 芦花風雪戯車塵
 其の二 漁歌響圧糸兼竹 綵勝花開背与襟 誰謂比年無利市 々中醵得幾多金
 其の三 升平楽事未闌珊 呉社余風此地看 菅相有霊応冷笑 昔時延喜甚寒酸」
南畝集16
漢詩番号2942-3
⑤33文化3年
1806/09/29
「亀井戸の藤 本院のおとどの氏のふぢのはななど菅原の広前にさく」千紅万紫①257文化5年
1808/05/
「亀戸天神開帳に天国の太刀ありときヽて、みに行しに雨にあふ
 天国の御太刀のしるしみせんとや一ふりふつてはるる夕立」
をみなへし
千紅万紫
②34
①258
文化5年
1808/05/
「亀戸天神奉納、梅桜松の画【焉馬勧進】 あまつみる神のみこころつくしよりこち吹かへせ梅さくら松」紅梅集②364文政2年
1819/04/
「亀戸の菅祠 満天新樹蔭菅祠 藤蔓花開臥碧池 此地曾称東宰府 泉分一脈吐霊亀」南畝集20
漢詩番号4462
⑤481文政2年
1819/04/
「亀戸菅祠
 藤架松棚蔭碧池 々為心字遶菅祠 過橋童子争投餌 一面游魚出水時」
南畝集19
漢詩番号4679
⑤541文政5年
1822/12/
かやでら
榧寺
「水無月廿六日、浅草榧寺にて萩水茶寮朝顔合ありし日たけゝれば
 老らくのこころは何やかや寺ももう昼過の朝顔の会
  昼過とはまだ慾目にして日もはや七つさがりなるべし」
紅梅集②369文政2年
1819/06/26
かやばやくし
茅場薬師
「四月八日、蘐洲の薬師堂に過る 灌仏薫風蘐葉洲 医王香閣競浮游 不須更入名園去 万紫千紅満担頭」南畝集19
漢詩番号4167
⑤393文化13年
1816/04/
「さつき八日、茅場町のやくし仏にまうでしに、雨にわかにふりければ
 此天気やうかやうかと思ひしにふりかかりたる雨のさいなん」
紅梅集②340文政1年
1818/05/08
かんえいじ
寛永寺 (上野)
 寛永寺 (別資料)(東叡山)
がんおういん
願王院 (上野)
「好花坊糸桜歌三十首 十八番 東叡山 願王院 法の師のこゝろにかけて祈れはやいとも桜の色はへて見ゆ花見の日記⑧49寛政4年
1792/03/
がんさんだいしどう
元三大師堂(上野)
「大師は下寺なる何がしの院にやどらせ給ふ。男女ともにむらがり来りて、道もさりあへず
 元三令節大師堂 士女紛々来進香 (下の二句はわすれたり)」
細推物理⑧339享和3年
1803/01/03
かんしょういん
寒松院 (上野)
「好花坊糸桜歌三十首 廿五番 東叡山 寒松院 風さみし松のした寺春くればいとものどかに桜咲けり」花見の日記⑧50寛政4年
1792/03/
かんじょうじ
観乗寺(八幡塚村)
「寿量偈を書写することば (天明八年六月、六郷付近に流れて来た菩薩の木像を、村の子供が引き上げた。それを筏屋・丸太屋の二人が力を合わせて同寺に安置する。南畝この奇特を聞き、寿量偈を書写するとともに祖父・父母の法号を記して奉納した)
 玉川のやがれにやどる月影もみさごの山や出てきぬらむ」
玉川余波②128文化6年
1809/02/08
かんだまつり
神田祭
 神田祭 (別資料)
かんだみょうじん
神田明神
「文月つゐたち神田明神にまうでゝ 水無月の名越のちのわ文月のついたちいりてくゞるおかしさ」紅梅集②344文政元年
1818/07/01
かんのうじ
感応寺 (谷中)
「春夜、感応寺の花下の作 【寺、長耀山と名づく】
 気氳花気遶花宮 日入千花色不空 自使春光長照耀 恍疑身在玉山中」
南畝集8
漢詩番号1613
④43寛政2年
1790/03/
「早春郊行  耀山春色湧浮図 突兀高標望自孤 莫以上春梅一樹 不如三月桜千株
 右長輝山【感応寺に五層の浮図有り】」
南畝集16
漢詩番号2859
⑤8文化3年
1806/01/04
「感応寺の牡丹の花みにまかりしに、ふかみくさといふ五文字を上におきて歌よみける
 ふる寺の庭の木陰のふかみ草春の光をのがれてやさく
 かしこしな千ぐさの花のおほきみの名におふ花や法の大君
 みしや夢きゝしやうつつ花鳥の色音の後にさく廿日草
 くさぐさの草の中にも一枝のぼたにの花の色ぞゑならぬ
 さくらのみ花と思ひし目うつしにたぐひもなつの色ふかみ草」
をみなへし②24文化4年
1807/04/
「感応寺に牡丹を看る
 台山西北篠池潯 流眄新荷歩緑陰 孤塔影随昏黒隠 一庭閑入牡丹深 睡猫無蝶纔開眼 栖鳥窺人已会心
 何必天香兼国色 幽姿愛爾託祇林」
南畝集16
漢詩番号3059
⑤69
「感応寺花 入相のかねこころせよ感応じはなのあたりに富はつくとも」万紫千紅>①268文化年間
かんろもん
甘露門
 甘露門 (別資料)(浄栄寺)