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     寺社編【か】   大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 〔寺社編〕    大田南畝関係
  【開帳】(かいちょう)
開帳・場所詞書・詩歌出典巻・頁年月日
嵯峨釈尊如来(京都)
回向院 (両国)
「天明五ッのとし水無月より嵯峨の釈迦本所回向院にて開帳ありし比、日数を経るといへども雨降ざりければ
 都から三国一の客が来てけふもふるまいあすもふるまい」〈京都、清凉寺〉
巴人集拾遺②479天明5年
1785/06/
嵯峨釈尊如来(京都)
回向院 (両国)
「嵯峨釈尊、回向院にて開帳のとき
 両国に三国一のみほとけのとばりひらけばこがね花ふる」
あやめ草
千紅万紫
②75
①237
文化7年
1810/06/16
善光寺釈迦如来(信濃)
護国寺 (音羽)
「元善光寺如来、護国寺にて開帳。霊宝に寐釈迦あり
 釈迦はちとねるがそこ元善光寺おたのみだ仏たすけておくれ」
あやめ草②79文化7年
1810/08/01
開帳「此比の雨に所々の開帳へまいるものもなければ
 開帳の山ほととぎす雨ふれば国へかへるにしかじとやなく」
放歌集
千紅万紫
②152
①243
文化8年
1811/04/
清水観音(京都)
長谷寺 (麻布)
「麻布長谷寺に清水観音の開帳あり。梅窓院のうしろより田の中の溝をこへて参るとて
 蛙飛ぶ田道あぜ道清水のお開帳へと心はせ寺」
放歌集②185文化9年
1812/03/
蚕養権現 (筑波山)
回向院 (両国)
「はつき四日、本所廻向院に筑波山蚕養権現の開帳にまかりしに、きのふ三日に事おはれりときくもほいなし」〈『武江年表』文化十年六月二日より開帳とあり〉万紫千紅②273文化10年
1813/08/04
善光寺如来(甲州)
回向院 (両国)
「善光寺奉納 なには江のあしとてすてしみほとけも今は本田のよしみつの寺」
〈『武江年表』文化12年7月1日より甲州善光寺如来、回向院にて開帳とあり〉
六々集
万紫千紅
②240
①287
文化12年
1815/07/
円覚寺 (鎌倉)
済松寺 (牛込)
「鎌倉円覚寺什宝仏牙の舎利、牛込済松寺にて内拝ありし時
 おがむなら楽に沈む事こあらじ仏の骨が舎利になるとも
 儒者として此宝物をみる事はこれ仏骨の表裏の侍」
七々集
万紫千紅
②262
①292
文化12年
1815/10/03
道成寺 (紀州)
回向院 (両国)
「文月五日、きのくに道成寺の開帳、江戸回向院に来らせ給ふとて、むかひにゆく人多し
 建立のかねの供養にまいらんと道成寺をやいでゝきぬらん」
紅梅集②350文政1年
1818/07/05
嵯峨釈迦如来(京都)
回向院 (両国)
「嵯峨釈尊、廻向院にて開帳の時
 名にしおふ三国一のみほとけも両国橋にわたらせ給ふ
 御身ぬぐふ仏のみぐみあつけれど清涼寺ぞときけばすゞしき」
紅梅集②368文政2年
1819/05/
龍江寺祖師(鎌倉)
浄心寺 (深川)
「鎌倉腰越の祖師の開帳、深川浄心寺に、佐渡阿仏房のみてらの開帳、下谷稲荷町東国寺にありしときく 十三里さきのこしごえこしがたしましてや四十五里波の上」
〈『武江年表』文政5年の項に鎌倉片瀬龍江寺祖師の開帳記事あり〉
をみなへし②47文政5年
1822/03/
歯吹阿弥陀如来(上総)
回向院 (両国)
「上総国歯吹阿弥陀、回向院にて開帳あり
 願だてにたつ蛤の口あいて歯吹の弥陀の影ぞたうとき」
あやめ草②102文政5年
1822/04/
聖徳太子像(摂津)
浅草八幡 (浅草)
「津の国舎利尊勝寺の聖徳太子、浅くさ八幡にて開帳
 天王寺一舎利二舎利尊勝寺南無仏舎利の数の一粒」
あやめ草②102文政5年
1822/04/