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     寺社編【か】大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔寺社編〕  大田南畝関係
  【神田祭】(かんだまつり)
詞書・詩歌出典巻・頁年月日
「ことしはよねのあたえたうとければ、市人もいとなみにくるしみて、例の神田の神事もよろづ事そぎてをこなひければ、いつも屋たい、万度、はやし方など引つゞきけるに、たゞむさし野のだしばかりみへ侍りければ
 むさし野ゝ一本ゆへに明神の祭見ながらあはれとぞ見る
 と心のうちに思ひつゞけ侍りしが、又例の江戸自慢を
 田楽のだしでも酒のかん田でもまけるな京の祇園豆腐に」
「いつも神輿は跡よりわたり給ふが、ことしはだしの十番の次にわたり給ひければ
 おみこしも十番切にわたるとはふじの裾野歟むさしのゝだし」
「旅籠町とかやの花だしの車に牛をかけず、二人は前にあり、一人はしりへにありて車をおすかたてに上なる太鼓をたゝき侍るもをかしくて
 花だしに木ちんとまり歟はたご町同行三人おしてくるま坐」
巴人集②417天明3年
1783/09/15
「蒸籠の曲
 白馬金鞍頼光に従ふ 童児十五衣裳を競ふ 棧敷少婦花を飾つて坐す 遥に見る塵を飛ばす上覧場
 せいろうはつみ物しん上のせいらうなり。詩の心は神田祭をみへたり。「風土記」に韓田神社とあり。「江戸砂子」神田明神は平親王将門の霊をまつり祭礼九月十五日と云々。頼光「神田御祭礼番付」七番すだ町一丁目の条下に云、鬼のかしらの万度附祭頼光山入、がいぢんむしや六き、らい光、ほうせう、さだみつ、すへたけ、つな、きんとき、馬上はなぞのひめ、くにたかひめはなかごにのり、六尺六人づゝおきなのだし云々。按又唐来参和があらはす所の「頼光邪魔入」菱川春童が「大通山入」喜三二丈の「鬼窟大通話」など少々異同あり、一決しがたし。童児十五「同書番付」に出たる十五童子のねりこのことをいふ歟。八木高直が本に見へず、猶たづぬべし」
通詩選諺解①491天明7年刊
1787/01/
「神田祭みんとて、飯田町墨田中汲がもとにあそびて
 千早振神田まつりの宵なればみなよをふかす強飯田まち」
狂歌才蔵集①49天明7年
1787/01/
「韓田神会、雨に遇ふ
 韓田神会雨蕭々 越陌度阡歌吹遥 濘止戯車難改轍 花残戴勝不終朝 看棚霤滴愁巾墊 舞隊風回怯蓋飄
 天意似申奢侈禁 綵衣沾湿出官橋」
南畝集13
漢詩番号2341
④277享和3年
1803/09/13
「神田の神会 (詩なし)」南畝集16
漢詩番号3099
⑤82文化4年
1807/09/14
「神田神会 山車鰲背象蓬瀛 女隊一行邪許声 不譲胡元天魔舞 高標御用字分明」南畝集19
漢詩番号4082
⑤370文化12年
1815/09/
「神田祭
 九月明神の祭礼前 外(ソト)神田より内(ウチ)神田に至る 棧敷両側花の如く並び 蝋燭金屏光氈を照らす」
七々集
万紫千紅
②257
①290
文化12年
1815/09/14
「神田祭 神田の祭礼高名を列す 江戸節の声富本の声 焉馬鯉藤一九と 董堂敬義老先生」紅梅集
巴人集拾遺
②312
②494
文化14年
1817/09/14
「神田祭 らふそくの油町からこはめしの塩町かけておゆとひまつり
      かんかんの神田祭に唐人の踊もいでんとしま町より
      拍子木の音なかりせばたをやめのいつまで踊るうすものゝ袖」

「神田まつりの日雨ふりければ 笛太鼓神田ばやしの曲撥の音もどんどゝふりしきる雨」
あやめ草②90
②91
文政4年
1821/09/14-15
「神会雨に遇ふ 韓田神会飯田西 一雨滂沱九級堤 懸箔看棚人不御 徒令錦綺汙塗泥」南畝集20
漢詩番号4620
⑤524文政4年
1821/09/15