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   人物編Ⅰ 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
 (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【さ】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
さいこうじいんきょ
西向寺 隠居
「寺の隠居の菊をみて この花を東まがきにうる人は西に向へる寺の隠居か」をみなへし②4未詳
さかい ほういつ
酒井 抱一
 酒井抱一(屠龍)(別資料)
さかづきのこめんど
酒月 米人
 酒月米人(狂歌房・五十歩楼)(別資料)
さかのうえの
たけやぶ
坂上 竹藪
「竹薮梅【已下三首、酒上竹藪会】 くれ竹のふしぎに花のさきがけは薮の中にもかうのものなり
 猫恋 猫の目の針ほどな事棒ほどにいはれてはぢをさらす真昼」
巴人集②394天明3年
1783/02/
さけのうえの
じゅくね
酒上 熟寐
「天明よつのとし五月雨の比、市谷のまちのおさ嶋田氏身まかりしときゝてよみてつかはしける。この嶋田氏、安永二のとし宝合となんいへるたはぶれをなせしとき、酒上熟寐とたはれ名をつき侍りき。新撰狂歌集などにみえたる昔はしらず、今の狂名はその比よりよび侍し
 島田ならせめて三日もとまれかし涙の雨のふる大井川」
〈『諸家人名江戸方角分』「市ヶ谷住。熟寝 瓢から酒、酒上。名主、嶌田左内」〉
狂歌才蔵集①43天明4年
1784/05/19/
さけのうえのふらち
酒上 不埒
「花【已下三首、酒上不埒、日暮里大会】 しら雲と見る人丸で無理ならず花はよしのゝ山のてつぺん
 乞食恋 乞食を三日してよりわすられ姿は小屋に落ぬ君かな
 寄生酔祝 生酔の行たふれても辻番のよく世話をする御代ぞめでたき」
巴人集②396天明3年
1783/03/19/
「酒上不埒・地口有武などゝ、むかふ島むさしやのもとにてさゝげをよめる
 初物をささげし膳にむかふ島是も十六むさしやが見せ」
巴人集②410天明3年
1783/06/
さけのみ の おやじ
酒呑 親父
「小川町住・沢辺帆足・ふしわらの中貫・酒呑親文などゝ墨田川に逍遙し侍りて
 酒をのみ肴をくへばすみ田川たとひ狂歌はありやなしやと」
巴人集②407天明3年
1783/05/
さるでらぜんじ
猿寺禅師
「猿寺禅師七十賀詞
 人生七十古来稀なりといひし詩人も、五十九歳で食傷してうせ、七十にして心の欲する所に従ふとの給ふ聖人も、たった三年矩をこえず。八十年胎内にゐられた老子のお袋も迷惑なるべく、たしか七十九とやらで跋提河の泡ときえし仏は、常在霊鷲山とていつまでもまめ息災ときくも、片便にて心もとなし。こゝにさる寺の大和尚の七十の寿の文をつくれと、さる人のもとめいなみがたく、千年の鶴万年の色、松竹のときはもふるめかしければ、かの仏説の那由陀阿僧祇、五百塵点劫、四十六億七千万載、弥勒仏のせり出しにさし出しの蝋燭てら/\とはなのさきへ出るまでは、高野六十四年の少年、蜀山人の請合なるべし。文化九のとしみづのえさるの尻も大晦口にちかき比しるす」
千紅万紫①247文化9年
1812/12/
されん
左簾
「誹諧師左簾の七十を寿す 君遊方外我寰中 出処由来本不同 拍手呵々須大笑 両人相対白頭翁」南畝集20
漢詩番号4371
⑤453文政1年
1818/05/
さわだ とうこう
沢田 東江
「春日、諸子と東江源文竜宅に集ふ
 知君草聖晋時伝 更見群賢会此筵 採筆縦横称古絶 春風灑出墨池辺」
杏園詩集⑥23明和5年
1768/01/
さわべ の おもだか
沢辺 沢瀉
「お玉が池沢辺沢潟のもとに酒たうべて 酒もりのあひの山々もてなしはお杉お玉が池とこそ見れ」巴人集②395天明3年
1783/03/
「お玉が池の沢辺沢瀉のもとにて初めて瀬川路考にあひて
 露むすぶお玉が池であふ人は外にたぐひもなつ菊の花」
巴人集②401天明3年
1783/04/14
さわべ の ほたる
沢辺 帆足
「小川町住・沢辺帆足・ふしわらの中貫・酒呑親文などゝ墨田川に逍遙し侍りて
 酒をのみ肴をくへばすみ田川たとひ狂歌はありやなしやと」
巴人集②407天明3年
1783/05/
「赤松連中狂歌会に沢辺帆足・呉竹ふしみ来りける折から、雪ふりければ
 雪の日にほたるの来るもことはりやさるおやしきの儒者もみゆれば」
巴人集②433
②449
天明4年
1784/02/02?
さわむら
そうじゅうろう
沢村宗十郎 四世
 沢村宗十郎(沢村訥子)(別資料)
さわむらげんのすけ
沢村 源之助 初代
(四代目宗十郎)
「俳優沢村源之助、表徳を曙山といふ。観世水と蝶のかたある染ゆかたをきたるをみてうたよめと人のいふに
 観世水ながるゝ沢にむらむらとこてふの夢や曙の山」
をみなへし②27文化4年?
1807/?
「中村座の狂言に沢村源之助梅のよし兵衛をなせし時
 見物も八重さく花の大入の比は弥生の梅の由兵衛」
〈「隅田春芸者容性」〉
あやめ草②66文化7年
1810/03/
「松有子のもとに沢村曙山来る約束ありしが、伝法院の僧来るきゝて来らず
 でんぼうといふ名をきいて芝居ものおそれをなして来ぬもことわり
 芝居の放言、あたへなくしてたゞ見に来るものをでんぼうとはいふとなん。ふるくは油むしといひしなり」
放歌集②153文化8年
1811/04/
「文月五日、小田原町の人々とともに角田川に舟逍遙しけるとき、十七年さきに故訥子のもてる塩や判官の短刀を、その子源之助にゆづり遣すとて
 鉛刀一割活人刀 手沢猶存沢子毫 附子勾欄歌吹海 当場喝采起波濤
 つるぎ太刀身にそふ父の玉くしげふたゝび帰すゑんや判官」
放歌集②160文化8年
1811/07/05
さわむらげんのすけ
沢村源之助二世?
「沢村源平が名を源之助と改るを祝して、文晁の寒菊の画にかきて贈る
 寒菊の花のかほみせ霜月の春まつ曽我の源之介成」
紅梅集②315文化14年
1817/11/
「瀬川路孝によみてつかはしける なには津のなにおふ梅もあづまなる一本菊をきてもみよかし」
〈中村座「鎌倉三代記」時姫役〉
紅梅集②325文化15年
1818/02/08
さわむら たのすけ
沢村 田之助 二世
「沢村曙山が政岡の局のわざおぎに 曙の山と入来る大入のあたりはまさに政岡の藝」
〈市村座「姿花江戸伊達染」政岡、田之助〉
放歌集②184文化9年
1812/03/20
「中村座に沢村田之助下りければ 男湯も入込の湯になりにけり衛士のたく火の松江田之助」
〈男湯とは中村座。立役の出演が多いのでこう呼んだ。衛士役は二番目「極彩色山路の曙」〉
七々集②274文化12年
1815/11/
さんぎ の ありまさ
算木 有政
「もくあみ初会の日、算木有政が扇にあみひく所のかたかきたるの狂歌せよといへば
 これやこのあこぎがうらでは網をひくすきやがしでは木あみをひく」
〈元木阿弥(嵩松)の狂歌会〉
巴人集②429天明4年
1784閏01/03
さんしゅんろう
山春楼主人
「ひとつきの酒力さめ茶烟やみ巫山の雨ふり風間にもこのめる道のすてがたきぞおかしきや
 いまだ目に見ぬ世の本をかりて見む腹のうちにはともし火の本
 右は山春文主人の珍蔵自画賛」
巴人集②440文化1年
1804/06/
さんとう
きょうでん
山東 京伝
「京伝生新たに煙袋舗を開くと聞き賦して贈る
 児童走卒識京伝 更掲高標列百鄽 煙火神仙製煙袋 風流不譲薛濤牋」
南畝集9
漢詩番号1898
④141寛政5年
1793/09/
「五月望、馬蘭亭・狂歌堂・山東窟・鳥亭と同じく竹柳塘の亀沢の別業に集ふ。瞽八重川勾当箏を鼓す
 (詩は省略、交遊編の「交遊」参照)
「亀沢別業の会。烏亭焉馬・狂歌堂真顔・山東京伝・馬蘭亭高彦来、八重川勾当来弾箏(中略)帰路(中略)月清く風すゞし。柳橋より舟にのりて神田川の月みんと、高彦・八重川とともに舟にのる。酔心地にふしぬ。月はいかゞなりけん、しらず」
南畝集13
漢詩番号2286
細推物理
④263
⑧364
享和3年
1803/05/15
「十一月六日の暁、山東京伝を夢る
 暁霜応歩洛陽橋 楓樹山東葉已凋 小説虞初称九百 分明談笑慰清朝」
南畝集20
漢詩番号4625
⑤526文政4年
1821/11/06
さんとうきょうでん
山東 京伝 二世
「二代目山東京伝を祝して 万歳のつゞみも二代うちつゞく昔の京伝今の京伝」紅梅集②350文政1年
1818/07/