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(浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物) |
人名 | 詞書・詩歌 | 出典 | 巻・頁 | 年月日 | |
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さいこうじいんきょ 西向寺 隠居 | 「寺の隠居の菊をみて | をみなへし | ②4 | 未詳 | |
さかい ほういつ 酒井 抱一 | | ||||
さかづきのこめんど 酒月 米人 | | ||||
さかのうえの たけやぶ 坂上 竹藪 | 「竹薮梅【已下三首、酒上竹藪会】 猫恋 | 巴人集 | ②394 | 天明3年 1783/02/ | |
さけのうえの じゅくね 酒上 熟寐 | 「天明よつのとし五月雨の比、市谷のまちのおさ嶋田氏身まかりしときゝてよみてつかはしける。この嶋田氏、安永二のとし宝合となんいへるたはぶれをなせしとき、酒上熟寐とたはれ名をつき侍りき。新撰狂歌集などにみえたる昔はしらず、今の狂名はその比よりよび侍し | 狂歌才蔵集 | ①43 | 天明4年 1784/05/19/ | |
さけのうえのふらち 酒上 不埒 | 「花【已下三首、酒上不埒、日暮里大会】 乞食恋 寄生酔祝 | 巴人集 | ②396 | 天明3年 1783/03/19/ | |
「酒上不埒・地口有武などゝ、むかふ島むさしやのもとにてさゝげをよめる | 巴人集 | ②410 | 天明3年 1783/06/ | ||
さけのみ の おやじ 酒呑 親父 | 「小川町住・沢辺帆足・ふしわらの中貫・酒呑親文などゝ墨田川に逍遙し侍りて | 巴人集 | ②407 | 天明3年 1783/05/ | |
さるでらぜんじ 猿寺禅師 | 「猿寺禅師七十賀詞 人生七十古来稀なりといひし詩人も、五十九歳で食傷してうせ、七十にして心の欲する所に従ふとの給ふ聖人も、たった三年矩をこえず。八十年胎内にゐられた老子のお袋も迷惑なるべく、たしか七十九とやらで跋提河の泡ときえし仏は、常在霊鷲山とていつまでもまめ息災ときくも、片便にて心もとなし。こゝにさる寺の大和尚の七十の寿の文をつくれと、さる人のもとめいなみがたく、千年の鶴万年の色、松竹のときはもふるめかしければ、かの仏説の那由陀阿僧祇、五百塵点劫、四十六億七千万載、弥勒仏のせり出しにさし出しの蝋燭てら/\とはなのさきへ出るまでは、高野六十四年の少年、蜀山人の請合なるべし。文化九のとしみづのえさるの尻も大晦口にちかき比しるす」 | 千紅万紫 | ①247 | 文化9年 1812/12/ | |
されん 左簾 | 「誹諧師左簾の七十を寿す | 南畝集20 漢詩番号4371 | ⑤453 | 文政1年 1818/05/ | |
さわだ とうこう 沢田 東江 | 「春日、諸子と東江源文竜宅に集ふ | 杏園詩集 | ⑥23 | 明和5年 1768/01/ | |
さわべ の おもだか 沢辺 沢瀉 | 「お玉が池沢辺沢潟のもとに酒たうべて | 巴人集 | ②395 | 天明3年 1783/03/ | |
「お玉が池の沢辺沢瀉のもとにて初めて瀬川路考にあひて | 巴人集 | ②401 | 天明3年 1783/04/14 | ||
さわべ の ほたる 沢辺 帆足 | 「小川町住・沢辺帆足・ふしわらの中貫・酒呑親文などゝ墨田川に逍遙し侍りて | 巴人集 | ②407 | 天明3年 1783/05/ | |
「赤松連中狂歌会に沢辺帆足・呉竹ふしみ来りける折から、雪ふりければ | 巴人集 | ②433 ②449 | 天明4年 1784/02/02? | ||
さわむら そうじゅうろう 沢村宗十郎 四世 | | ||||
さわむらげんのすけ 沢村 源之助 初代 (四代目宗十郎) | 「俳優沢村源之助、表徳を曙山といふ。観世水と蝶のかたある染ゆかたをきたるをみてうたよめと人のいふに | をみなへし | ②27 | 文化4年? 1807/? | |
「中村座の狂言に沢村源之助梅のよし兵衛をなせし時 | あやめ草 | ②66 | 文化7年 1810/03/ | ||
「松有子のもとに沢村曙山来る約束ありしが、伝法院の僧来るきゝて来らず 芝居の放言、あたへなくしてたゞ見に来るものをでんぼうとはいふとなん。ふるくは油むしといひしなり」 | 放歌集 | ②153 | 文化8年 1811/04/ | ||
「文月五日、小田原町の人々とともに角田川に舟逍遙しけるとき、十七年さきに故訥子のもてる塩や判官の短刀を、その子源之助にゆづり遣すとて つるぎ太刀身にそふ父の玉くしげふたゝび帰すゑんや判官」 | 放歌集 | ②160 | 文化8年 1811/07/05 | ||
さわむらげんのすけ 沢村源之助二世? | 「沢村源平が名を源之助と改るを祝して、文晁の寒菊の画にかきて贈る | 紅梅集 | ②315 | 文化14年 1817/11/ | |
「瀬川路孝によみてつかはしける | 紅梅集 | ②325 | 文化15年 1818/02/08 | ||
さわむら たのすけ 沢村 田之助 二世 | 「沢村曙山が政岡の局のわざおぎに | 放歌集 | ②184 | 文化9年 1812/03/20 | |
「中村座に沢村田之助下りければ | 七々集 | ②274 | 文化12年 1815/11/ | ||
さんぎ の ありまさ 算木 有政 | 「もくあみ初会の日、算木有政が扇にあみひく所のかたかきたるの狂歌せよといへば | 巴人集 | ②429 | 天明4年 1784閏01/03 | |
さんしゅんろう 山春楼主人 | 「ひとつきの酒力さめ茶烟やみ巫山の雨ふり風間にもこのめる道のすてがたきぞおかしきや 右は山春文主人の珍蔵自画賛」 | 巴人集 | ②440 | 文化1年 1804/06/ | |
さんとう きょうでん 山東 京伝 | 「京伝生新たに煙袋舗を開くと聞き賦して贈る | 南畝集9 漢詩番号1898 | ④141 | 寛政5年 1793/09/ | |
「五月望、馬蘭亭・狂歌堂・山東窟・鳥亭と同じく竹柳塘の亀沢の別業に集ふ。瞽八重川勾当箏を鼓す 「亀沢別業の会。烏亭焉馬・狂歌堂真顔・山東京伝・馬蘭亭高彦来、八重川勾当来弾箏(中略)帰路(中略)月清く風すゞし。柳橋より舟にのりて神田川の月みんと、高彦・八重川とともに舟にのる。酔心地にふしぬ。月はいかゞなりけん、しらず」 | 南畝集13 漢詩番号2286 細推物理 | ④263 ⑧364 | 享和3年 1803/05/15 | ||
「十一月六日の暁、山東京伝を夢る | 南畝集20 漢詩番号4625 | ⑤526 | 文政4年 1821/11/06 | ||
さんとうきょうでん 山東 京伝 二世 | 「二代目山東京伝を祝して | 紅梅集 | ②350 | 文政1年 1818/07/ |