| 浮世絵文献資料館 | |
| 大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌 |
「松に月の蒔絵したる額に沢村訥子がたゝへごとすとて | 放歌集 | ②171 | 文化8年 1811/07/ |
「小田原町柳屋のもとに沢村訥子・尾上三朝来りければ、此ほどの狂言を思ひいでゝ | 放歌集 | ②164 | 文化8年 1811/08/ | 「聞沢村宗十郎改名 沢むらの紋のいの字に浜むらのろの字をつれてこそよめ」 | 放歌集 千紅万紫 | ②169 ①245 | 文化8年 1811/10/ |
「沢村宗十郎を祝して その位大政入道清盛を源翁和尚などゝおもふな 活鯛の目出度一寸しめましやう尾ひれのつきし花のかほみせ」 | 放歌集 | ②171 | 文化8年 1811/10/ |
「沢村訥子によみて贈る | |||
「板東秀佳は鳴神、沢村訥子は雷といふ角力のわざおぎに 沢村曙山が政岡の局のわざおぎに | 放歌集 | ②184 | 文化9年 1812/03/20 |
「二優を悼む【路考、仲冬念九を以て死し、訥子、臘八を以て亡す】 | 南畝集18 漢詩番号3718 | ⑤266 | 文化9年 1812/12/08 |
「ことしいかなるとしにや。瀬川路考霜月の末の露ときえ、沢村訥子おことおさめのをはりをとりぬ。鳥がなく吾妻に今を日の出のわざおぎ人、春狂言の花をもまたで、よもつ国の旅芝居におもむきし事、思へばことしいかなるとしにや 今さらに悔みていふてもいはいでもはれやくたいもなくばかり也」 | 放歌集 | ②184 | |
「壬申歳暮 | 南畝集18 漢詩番号3723 | ⑤268 | 文化9年 1812/12/ |