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   人物編Ⅰ  大田南畝(四方赤良・蜀山人)の詩・狂歌〔人物編Ⅰ〕   大田南畝関係
  (浮世絵師・狂歌師・役者・遊女・芸者等、当世の人物)
  【こ】※浮世絵師は名前別。◯は欠字、◎は表示不能文字
人名詞書・詩歌出典巻・頁年月日
ごえい
五英
「庸軒流生花の師五英女一周忌に いつまでも猶いけ花と思ひしにはや一めぐり水ぎはぞたつ」あやめ草②71文化7年
1810/04/
こうぼう
今弘法
「三宝曲 小田原表今弘法 日本橋辺大盗房 欲合南無三宝 流觴墨水部羅坊
【小田原観正上人俗称今弘法、己卯二月十四日、日本橋榑正町魚店安五郎見捕、十九日、富沢町柳屋鯉市郎携妓六十人、乗万斛舟、小舟五十艘従之泛舟墨水、流觴、未流觴而止】」
紅梅集②363文政2年
1819/04/
こうらいの
しゃれびと
高麗 洒連人
松本幸四郎 五世
「松本幸四郎たはれうたの名をこひ侍りければ、高麗洒連人と名づけ侍るとて
 しやれ人のしやれをきくから高麗や又ざれ歌のざれを松本」
巴人集②413天明3年
1783/07/
 松本幸四郎(五世) (別資料)
こてん
壺天
「東叡山に花を看て、文宝・壺天二生に遇ふ
 雨後東山暮景斜 軽陰淡靄好看花 々間細草松間路 逢著幽人玩物華」
南畝集18
漢詩番号3758
⑤278文化10年
1813/03/
こと
琴 (芸者)
「春日、大橋・田中二子と同じく深川の養老亭に宴す。石橋生・狩探信・木芙蓉坐に在り。歌妓阿勝・阿琴酒を佐く」 (詩は「養老亭」参照)南畝集19
漢詩番号3959
3960・3961
⑤337文化12年
1815/01/
ことば の あやち
言葉 綾知(杜芳)
「品川のむまやちに天野屋といへるあらたなるたかどのゝ、たはれ歌よめと言葉のあやちのもとめければ 高縄のよりくる客は品川のひろい座敷にあまる天野屋」巴人集②410天明3年
1783/06/
ごふう
五風
「淀橋のほとりにすめる五風子、狂歌の巻に点せよとおこせしかば
 淀橋の狂歌に点をかけてみんたがおまけやらおかち町やら」
をみなへし②6明和?
このこの まごひこ
子子 孫彦(狂歌)
「子子孫彦、はながみをみつにたちて、狂歌かくべき料紙とせしを、みよし野の名づけ侍るとて
 はながみをたてるやいくつみよし野の山の霞をはらふひとふで
 小川町霞【已下 二首 子子孫彦会】
 水ぬるむ小川まちまち家々に錦のきれの霞たつらむ
 寄新宅祝【子子孫彦のもとにて新宅によする祝といふことを】
 かんな屑つきぬ言葉もあたらしくたてし柱のかぞいろはづけ」
「子子孫彦のもとにて新宅によする祝といふことを
 かんな屑つきぬ言葉もあたらしくたてし柱のかぞいろはづけ」
巴人集
徳和歌後万載
②391
①29
天明3年
1783/01/
「屋敷初午【子子孫彦会】 このしろもつばめもござれいなり宮けふ魚鳥はとらぬ門番」巴人集②393天明3年
1783/02/12
「曾我祭雨【五月十二日、孫彦会】 曾我祭いりくる人も俄雨なんだ/\と声のしきり場
 茶屋逢恋【同】 夕日かげさして人目にもるゝともよしやよしずの茶屋の色事」
巴人集②404天明3年
1783/05/12
「寄節季候祝【孫彦結会】 おもしろくさつさとこせや言のはの青山かさる年にせき候」
〈子子孫彦主催の狂歌会の納め会〉
巴人集②424天明3年
1783/12/12
「をはぎの露 (中略)
 こゝに子子孫彦なん、おやのおやよりよくつかへし君の、十三の斎をとぶらはんとて(後略)
 十あまり三とせの秋の黒豆もほとびにkりな法(ノリ)のこは飯
 子子孫彦  つきぬ恩ながく法事のくるたびにかぞへてとはん百年忌まで
 多田人成  あづさ弓はるかにかぞふ年の矢の十三ぞくにあたる命日
 紀定丸   めしをもりてたてにし年をかぞふれば十といひつゝみつはすぎはし」
四方のあか①148天明4年詠
1784/08/
天明8年刊
こまつ ひゃっき
小松 百亀(戯作)
 小松百亀 (別資料)
こんやちょう
いちまる
紺屋町一丸(狂歌)
 紺屋町一丸 (別資料)