京大合演特集 |
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このHPをごらんいただ居ている方々は、おそらく大部分が金大フィルOBしかも、何らかの形で金沢駅前の「鹿島屋旅館」さんにお世話に成っている方々なのではないかと思います。HP制作者としては、これだけでなく、すべての金大フィルOBの皆さん、より幅広い年代の方々に見ていただきたいのが、心からの希望です。 しかし、一方で、何故金大フィルOBのHPが旅館HPの中に間借りしているか・・?について不思議に思っている方もいらっしゃるかもしれません。現役団員の皆さんの中にも、何で?鹿島屋旅館?・・・・という方が居るかもしれません。 ここで、この3者をつなぐ点と線をお話してみたいと思います。実のところ、京都大学音楽部交響楽団と第1回目の合演をきっかけとして、金大フィルと鹿島屋旅館の関係が始まったのです。
このような経緯から、たまたま合演打上の酔っ払いとして旅館にころがりこんだ、当時の金大フィル伊代田氏(後に団長)が、間もなく当旅館でバイトをするようになりました。やがて、多くの金大フィルの団員が旅館専属バイトとして、旅館のお手伝いをすることになりました。学生は、バイト代とビール付き夕食、朝の牛乳(牛乳とコーヒー牛乳を割ったもの)とパン、風呂付き、夜中にこっそり厨房で入手する夜食つき!・・・破格の好待遇条件で関係を深めていったのです。 1978年当時は、鹿島屋旅館も、3代目として御主人が経営改革?を進めて、近代化経営を図っていた頃だったようです。この少し前までは、女中さんたちが住み込みで働いていたそうですが、ちょうど、学生バイトを導入されていた頃で、金大フィルとの関係は鹿島屋さんにとっても渡りに船といったところだったのでしょう。しかし、もちろん鹿島屋さんが単に経営上のパートナーとしてだけ金大フィルを見ていたのではないことは、何方もご存知でしょう。 当時は、ご主人も若々しくて、自転車で、城内の練習場までやってきて、「明日バイトせんか?」と人買いに来れられていたのを思い出します。もちろん、そのような時は手ぶらであるはずがなく、何がしかの練習後の学生達の食料を携えて、練習場を訪れてくれたのです。ご主人は、通常の金大フィル演奏会は、商売柄、宿泊客に夕食を出す時間と重なり、聴きに行けない場合が多かったらしいのですが、それでも夜のお寺コンパには必ず参加されていました。ビールケースと一緒だったのは言うまでもありません。金大フィルの新歓、各パートのコンパを鹿島屋旅館で行なうことも数多くあり、あるパートのコンパを別のパートの学生バイトが準備して、ゲロの始末までしていたことを思い出します。 ![]() 第1回目の合演時(1978年)は、まだ、日本がまだ右肩上がりの経済成長を信じていた時代。金沢の観光客数も増加の一途を辿り、旅館としてもダイナミックな時代をすごしていました。このときに鹿島屋旅館に泊まった京大オケの皆さんも、もう40代を迎えているですね。その後、第2回目の合演(1985年)でも、京大オケの皆さんは鹿島屋に泊まられました。時は、さらに流れ、バブル時代を通り過ぎて、今では金沢の観光ビジネスも残念ながら芳しい状況ではないようです。それでも鹿島屋旅館は、まだ、変わることなく、しっかりとここにたっているのです。そして、22年を経た2000年夏、再び、同じ京大オケの皆さんをお迎えできたのは、鹿島屋さんとしても感慨深いものがあるのではないでしょうか。 さらに、旅館の娘さんが、京大オケに在籍しチェロを弾いていたことも有り(最近、卒業された)、京大オケと鹿島屋旅館の関係も続いていったのです。京大オケの定演には、旅館を閉めて、京都まで聴きにいかれていると聞きます。従って、京大オケからもいろんな方々が、観光に金沢を訪れ、鹿島屋旅館に泊まっていくという関係が続いているのですね。
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