これは、金大フィルOBが合演を京大側から見たレポートである。
京大は、8月3日に金沢に到着した。7月後半よりスタートした演奏旅行の全日程を終え、最後のイヴェントである「合演」のために金沢入りした。金沢での宿は、言わずと知れた鹿島屋旅館である。鹿島屋旅館は、先にも述べたように22年前の第一回合演から利用されてきた京大オケの金沢での定宿である。100人あまりの学生たちが旅館を占拠した。
鹿島屋旅館のことは知らないわけではない。むしろ、自分は学生時代の社会体験学習として、旅館での修行を好んで行っていた。さすがに住み込みまでは行かなかったが、番頭と呼ばれた。その自分をしても、このような形で旅館全体が一定の集団に完全に占拠されたのを初めて目撃した。旅館内の一部のプライヴェート空間を除いて、京大の学生があちこちにまんべんなくいた。鹿島屋旅館の定員は70人くらいと聞いてはいたが、広間の空間を有効に駆使することで、なんとか消防法に違反しないような形で、話がついたようだ。京大の連中は、食事は一切取らなかったので、その点でも、旅館営業上は手がかからないはずだが、実際はそうでもないらしい。なんと言っても、最後のイヴェントの気分を盛り上げる為に、夜毎、館内では宴が朝まで行われた。このような状況下で、鹿島屋の年季の入った設備をクリーンに維持する為には、大変な努力が必要なのだ。練習を終えた京大の連中を気持ちよく迎えるためには大変な努力が払われたのだろう。まず、合演を影で支えた旅館の御夫妻とスタッフに感謝。
鹿島屋旅館ご主人の担当業務は、宿泊者の食事の準備である。しかし、今回の場合は、様子が違った。食事は一切必要ないので、本来ならご主人は失業状態となる。このため、気まずい立場を紛らわす為に、パチンコなどの副業に精を出すのが常であるが、今回は違った。京大の学生たち、そして、夜毎に尋ねてくる、金大の一部の連中のために、奉仕活動が待っていた。ご主人のミッションは、この合演を成功に導く為に、京大の面々に夜のアルコール燃料を補給して、演奏会当日に爆発させることが至上命題だったようだ。
このため、3日の晩から6日の演奏会後の打ち上げに至るまで、延べ4晩に渡って、ご主人はホスト役を勤めたのである。実際には、京大本体到着前夜の2日から、京大OBが多数鹿島屋を訪ねてきたため、5夜連続の宴となったようだ。この間、ご主人は、ビールのコップを片手に、旅館内の方々で始まる宴会のすべてに満遍なく、顔を出して彼ら、彼女らグラスを満たし続けたのである。厨房の冷蔵庫の一角はビールで占められ、京大の連中による自主的なピストン輸送により、250本のビールが旅館内部隅々にに行き渡り、若者の喉を潤した。

実際には、ご主人、女将さんともここ数年の間に、それぞれお二人とも入院を伴うよな大病を患っていた後にもかかわらず、命を削って合演の成功を祈念して、毎朝4時まで京大の学生達のお世話をしたのである。しかし、御本人たちにとっては、趣味でやっているとのこと。実際に、青春を謳歌しているという感じさえしたのである。御主人曰く、これが一生で最期の合演だから、命をけずっても楽しみたいとのこと。しかし、5,6年もすれば、また、この占拠状態が再び訪れるのは必定であろう。そうあってほしいものだ。
この演奏旅行では、京大の演奏だけではなく、見事なマネージメントとその手際のよさに、感心することしきりである。彼ら、彼女らの今回の旅程を見てみると、下のようになる。
★2000年度中部北陸地方演奏旅行(京大オケHPより転載)
7月25日
岐阜県丹生川村 丹生川文化ホール 09:30開場 10:00開演
岐阜県高山市 高山市民文化会館大ホール 18:30開場 19:00開演
7月26日富山県高岡市 高岡商工会議所ビル 2階 大ホール 18:00開場
18:30開演
7月28日新潟県赤泊村 赤泊村中学校体育館 13:00開場 13:30開演
7月29日長野県飯山市 飯山小学校体育館 18:00開場 18:30開演
7月30日長野県豊丘村 豊丘村民体育館 18:30開場 19:00開演
7月31日長野県山口村 神坂小学校体育館 14:45開場 13:15開演
8月2日岐阜県伊自良村 伊自良中学校体育館 9:30開場 10:00開演
延べ7日間に渡り、4県にまたがって8公演をこなすハードスケジュールである。これだけのものを交鈔を含めて計画、実行するためには相当の準備と労力を要したことだろう。このような行事を100人もの人間でこなすことはそれだけで驚くべきことで、立派なことである。金大にも、演奏のみならず、このあたりのバイタリティ、行動力を見習ってほしいものだ。金大フィルも、過去には音楽教室や、演奏旅行を多数こなしていたが、現在は、オーケストラアンサンブル金沢にすべてこのような行事を持っていかれて、出るチャンスがないようである。これは、実に残念なことである、このような演奏会以外の行事でで団員間の交流が深まり、チームワークが形成されるのだ。オーケストラは一種の社会であるから、このような体験は、団の運営や音楽面においてもメリットが大きいはずである。是非、金大フィルにももう一度、外に出るチャンスを自ら求めてほしいものである。このような意味で、「合演」は団の成長のために絶対に逃してはならないチャンスなのだ。

今回の合演の練習は金大キャンパス内部で行なわれたようである。京大の連中は、貸切のバスを其の地、其の地で準備をして移動をしていたようだ。100人もの移動はそれだけで大変な苦労であったろう。このあたりは、本当にマネージメントの苦労がしのばれる。旅館内は、先にも言ったように4日間占拠状態であった。練習中の昼間においても、降り番の団員が練習をしたり、飲みすぎで寝ていたり、京大のOBが素晴らしい弦楽四重奏を奏でたりと、にぎやかであった。実際に、京大の面々が鹿島屋に到着してから、玄関が一度たりと締められたたことはなかったはずだ。なぜならば、京大の連中の靴やスニーカで、玄関が埋め尽くされていたからだ。実際、玄関より外にはみ出て靴が多数脱いであった。玄関を閉められる筈がない。旅館の外から見る通行人にはさぞかし不思議な光景に写っただろう。そして、夜も9時を過ぎれば、玄関から、ロビー、食堂で、宴会が始まる。心地よい、ざわめき。
今回の合演では、何もオーケストラ演奏に限らず、金大フィルとの交流がもたれたようだ。サッカー・チーム、パープルヨンガとの試合は実現しなかったが、dengyo'sという、本格的な京大ソフトボールチームとの交流試合が行なわれたようだ。このチームにはユニフォームはもちろん顧問までいる本格的なもののようで、金大フィルチームはあえなく敗退したとか。
合演前夜には、トランペット奏者でもある旅館御主人が京大トランペットチームを引き連れて、焼肉による最期のパワーアップが図られた。旅館裏の「ほがらかや」という焼肉屋だった。ここで、初めて京大のラッパの連中と顔合わせを行なった。屈託のない面々だった。焼肉の皿をいっせいにつつく様は、子犬達が一つのドッグフードの皿に群がるような、子供の頃の情景を思い出させた。旅館御主人は、いつもの調子で冷やかし半分で、翌日の演奏会の健闘を祈り、鼓舞した。休業日前で焼肉はあまりなかったが、キムチとライスでつないだ。途中で、ちょっと頼りなさそうな、小柄の団員が参加してきた。よくよく訊けば、学生指揮者とのこと。翌日の颯爽たる指揮振りは想像もつかないような、物静かなやつだった。
前夜の遅く、京大オケの金管トレーナである、山崎氏が到着した。山崎氏は1978年の第一回の合演で、あのトランペットを吹いた。22年前からの鹿島屋との長い付き合いである。22年前は、旅館ご主人も若く、山崎氏を片町のピ○○ロまで連れて行ったとのこと。今、再び合演のバンダトランペット奏者として登場する。山崎氏を迎えて、当然のように、ラッパパートの宴会は始まった。金大フィルからも乱入者が来た。すぐ裸になる金大フィルOBも入ってきた。そして、前夜にもかかわらづ、宴は確実に盛り上がっていった。
さあ、いよいよ、明日は、本番だ!
つづく
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