これは、金大フィルOBが合演を京大側から見たレポートである。
前夜の賑わい振りにも関らず、合演当日の朝はいつものこの旅館のように、静かで平安な雰囲気でやってきた。朝6時。玄関は靴やサンダルであふれかえっていた。玄関の外にはみだして勝手気ままに向いている靴が、夏の黄色い朝焼けの太陽に照らされてまだ暗い旅館内の雰囲気とコントラストしていた。ロビーに目をやれば、絨毯の上で一人ころがっている。昨日、ラッパコンパをやっていた辺りだ。こんな状態で、今日は大丈夫だろうか?ちょっと不安になった。しかし、もう、朝風呂を浴びているものも何人か行き来する。最近の学生は朝風呂が好きだ。鹿島屋自慢の24時間風呂が大活躍。
朝8時過ぎ、もう京大の連中は動き出していた。やはり演奏会当日の緊張感を感じる。鹿島屋バイト定番の朝食、トーストと牛乳&コーヒー牛乳をご馳走になる。女将さんがサラダを特別に用意してくれた。やがて、見覚えのある女性が眠そうな顔で、食堂に下りてきた。ラッパの首席奏者だ。昨日は焼肉に続いて、相当飲んでいるらしい。牛乳を勧めた。うれしそうにグイッと一息にいった。元気である。なんと言う回復力の強さ。これは、若さだけがもつ特権である。
先ほどのロビーの死人が、動いた。何の事はない。金大フィルのラッパOBだった。なんでも、前夜に自家製のマリモ酒なるものを振舞ったらしい。合演をこれから控えたラッパ吹きがロビーに転がっているはずがない。納得。
やがて、バスの会場への出発を知らせる館内アナウンスの中、団員が次々と階段を降りてくる。心なしか、みな緊張の表情を湛えていた。玄関の靴やサンダルは、いつのまにか綺麗になくなっていた。旅館は、一時的に占拠状態が解けたわけだが、旅館としてはこれからが本当の戦争である。全室の掃除、整理整頓と準備。今日の合演が終われば、最後の夜を過ごしてくれる部屋の準備に、力が入らぬわけがない。旅館は、もう一度、心地よい疲労と満足感に満たされているはずの音楽家たちを気持ちよく迎えるために、お化粧をしなければならないのだ。
京大の?回生の国分くんが旅館バイトとして、参加していた。体力、精神力、知力もう一人前の鹿島屋バイト人だった。
午後、ゲネプロを覗いて見ようと、会場に向う。今回は会場が金沢市内で上手く確保出来なくて、少し離れた野々市町の「フォルテホール」で開催された。旅館近くのバス停で、周りを見回せば、あちこちで工事中である。金沢駅から武蔵が辻までを結ぶ直線大道路が完成まで50年かかったという石川の土地柄。それでも、少しづつ21世紀の装いを整えつつある。駅前の音楽専用ホールや駅前のロータリーなど、鹿島屋旅館の周りにも大きな変化がジワリと迫ってきている。しかし、鹿島屋は当分このままだろう。変わる必要もない。
暦の上では、もう秋だが依然として夏は盛りだった。山側では、積乱雲がもくもくと立ち上っている。夕立が来そうな雲行きだった。バスで、久しぶりに市内を通り過ぎて20分あまり。会場の野々市フォルテに到着した。もう既に、会場では、合演スタッフが忙しそうに動きまわっている。ホールに滑り込んだ。「運命」の第4楽章が響いていた。
このとき、オーケストラの演奏を聴くために自分は金沢に帰ってきたのだということを、体で思い出した。焼肉屋で、調子の良いことを言っていた面々がステージ上で神妙な顔つきをして演奏していた。
京大オケの指揮は、前日に焼肉屋でちょっと頼りなげな様子だった、彼だった。エネルギッシュに振って、テキパキと練習を進めていた。アマチュアオケを聴いていると言う気が全くしない。京大オケはあいかわらず健在であった。執拗に4楽章コーダへのアッチェレランドを繰り返しさらっていた。オケ全員が寸分も違わぬアンサンブルをしていた。ホール客席中央では、前日金沢入りしていた、金管トレーナの山崎氏が、難しい顔をしていた。そして、曰く、「4楽章のコードが聴こえてこない!」。かくして、ハ長調の音あわせが始まった。数分後、京大の音は確実に変わった。左右の広がりだけではなく、上下に立体的に広がった、コードに成った証拠だ。指揮者も満足しているようだった。大したオケ・ビルダーだ。
この後、交代して金大フィルのドヴォ8が始まる。ファースト・ヴァイオリンが3プルト半しかいないのに驚く。かつては、入団制限までしていたことを思い出すと、隔世の感がある。チューニングの音が、なんかおっかなびっくりだ。今度は、客席で聞く側の方に回った京大の連中のほうが確実に多い。どういうわけか、自分がだんだんと緊張してきて、心臓がどきどきした。
金大の学生指揮者が幾分もったいぶって出てきた。大丈夫なのか・・・・。しかし、練習は団員の爆笑で始まった。指揮者がなんかジョークを飛ばしたようだ。演奏が、やがて始まり、こちらも緊張が解けた。自分の緊張は杞憂に終わった。客観的に見れば、オケの力量は比べるべくもない。しかし、上手ではないなりにしっかりとノスタルジックなドヴォルザークを聴かせてくれていた。偶然だろうが、古典派の曲を選ばなかったのは、金大にとってラッキーだったろう。一安心して、ゲネプロを聴き終えた。合演はもうリハーサルが終わっていた。本番までお預けだ。
開演は、その後の(一番大切な)打ち上げなども考慮して、6時と早かった。残念ながら、客席は寂しい入りだった。金沢市内であれば、もう少し状況は違っていたかもしれない。金大側のマネージが十分だったかは、大反省材料だろう。やはり聴衆に来てもらってなんぼの演奏会である。金大OBの来聴も決して多いとはいえなかった。OBも反省しなければならない。
22年前の第1回合演を導いた、伊代田氏が名古屋から駆けつけていた。さらに、17年前にドヴォ8を振った花本氏、そして、鹿島屋御夫妻がおめかしをしてやってきた。旅館での格闘を終えてきたようには見えなかった。
演奏は順調に進んでいた。京大の指揮者は、ゆっくりと穏やかにお辞儀をしていると思ってると、振り返り様、タクトを下ろした。冒頭より、見事観客から一本取った。カラヤン張りのテンポで、前へ前へたたみ込んでゆく。前から後ろのプルトに至るまで克明にこつこつとベートーヴェンの音符を弾ききる弦楽器群、何の夾雑物もない、澄み切った木管の響き。ただただ感心する。実は、彼等、彼女らは今だにオケマンの端くれの自分にとって、良いライバルであった。
金大の演奏もよく健闘していたと思う。京大を前に物怖じもせづ、のびのびと演奏していた。ヴァイオリンソロや、難所のフルートソロも無難にこなした。2楽章の後半、ホルンの叫びに至るまでのppの緊張感は見事だった。3楽章を1つ振りで振って、冒頭のVnが見事に揃ったのには感心した。クラリネットのちょっと原色的な音色には、抵抗を覚えたが、大柄な表情は気に入った。全体に、この金大の学指揮の功績は大きいと思う。ちゃんとドヴォルザークの音楽のノスタルジーを感じさせたのだから。
さて、最後のメイン・イヴェント。合同演奏のマイスタージンガー前奏曲。そして、アンコールの「アッピア街道の松」。マイスタージンガーは最後まで決してわめき散らすことなく、しかし十分に満足できる演奏で、立派の一言。そして、「アッピア街道の松」。これも、京大の学生指揮者は巧みだった。かなり遅めのテンポ。会場の温度が、2,3度あがっていくのが良くわかった。しかし、決して音が汚くなるような演奏をしない。「音の暴力」と言われた22年前の合演では、こうは行かなかっただろう。その意味で、現代の学生オケは、なぜか一種覚めているように思った。自分たちの時代よりも大人になっているのかも知れない。単なるお祭りに終わらせなかった、実に高水準の音楽的な演奏だった。 これを金沢市民に聴かせたい、と思ったのは自分だけではないだろう。2人のシンバル奏者の余韻の処理行動が、ピッタリ揃っていて、変に感心した。
観客は少なかったけれども、惜しみない拍手を贈った。みんなの顔が、晴れ晴れとしているのがわかる。さあ、ビールだ!

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