米化学会 C&EN 2007年9月3日
ビスフェノールAの悩み
二つの政府諮問委員会が健康リスクに関し
ほとんど正反対の結論


情報源:Chemical & Engineering News, September 3, 2007 Volume 85, Number 36
Bisphenol A Vexations
Two government-convened panels reach nearly opposite conclusions on compound's health risks
Bette Hileman
http://pubs.acs.org/cen/government/85/8536gov1.html

訳:安間 武 (化学物質問題市民研究会
掲載日:2007年10月7日

 安全性の問題となると、ポリカーボネート製の食品・飲料容器の製造に使用され、プラスチック樹脂中に見いだされる高生産量化学物質ビスフェノールA(BPA)は激しい議論を引き起こしてきた。この議論は過去数ヶ月間、二つの政府諮問委員会がBPAのヒトへの潜在的な健康リスクに関し、ほとんど劇的に反対の評価をしたことにより白熱した。

 一方のグループは、国立環境健康科学研究所(NIEHS)によって主催されたBPAに関するワークショップのために2006年11月にノースカロライナ州チャペルヒル集まった38人の科学者集団であり、その研究結果は『Reproductive Toxicology 生殖毒性』に先月、発表された。最も重要なことは、この研究者らのグループは、げっ歯類では低用量BPAが、乳がん、前立腺肥大、尿道下裂(ペニスの異常)、精子数の減少、女性の早熟、タイプ2糖尿病、注意欠陥多動症(ADHD)に類似した神経系影響を引き起こすということを結論付けた合意声を明発表したことである(訳注1)。このグループはヒトのBPAへの暴露は、実験動物にこれらの有害影響を引き起こす範囲に入っていると指摘した。

 チャペルヒル グループは、動物で広く見られる問題は”ヒトにも同様な有害影響を引き起こす可能性があることについて大きな懸念”であると警告した。その懸念の一部は、実験動物で観察された生理学上の影響はヒトの集団においても増加しているという事実から生じている。例えば、ADHD のような神経系障害の発症やタイプ2糖尿病は、最近数十年間で子ども達の間で急激に増えている。

 これとは対照的に、米国国家毒性計画(NTP)の一部であるヒト生殖リスク評価センター(CERHR)によって指名された第二の委員会(訳注2)は8月8日、胎児期と初期の小児期にBPAに暴露すると脳の発達を妨げ神経系及び行動系影響を引き起こすかもしれないという”幾分かの懸念(some concern)”と結論付けた。この委員会は、子宮内でのBPA暴露は甲状腺肥大又は早熟を引き起こすという”最小の懸念(minimal concern)”を述べ、出生前にBPAに暴露したヒトが生殖器官の異常又はその他のいかなる先天性異常を持つということは”無視できる懸念(negligible concern)”であるとした。同委員会は検討結果を、無視できる、最小、幾分、中程度、深刻という5段階の懸念に分類した。米国国家毒性計画(NTP)は、国立環境健康科学研究所(NIEHS)の中の関連機関のひとつに位置づけられており、主にNIEHS、国立労働安全衛生研究所(OSH)及び食品医薬品局(FDA)によって支援されている。

 懸念の対象であるBPAは、ポリカーボネートを作るために用いられるモノマー原材料であり、結合が弱く、最終プラスチックから少量が溶出する。人々に分りやすいBPA製品としては、ポリカーボネート製の哺乳瓶や幼児用カップ(sippy cups)、ポリカーボネート製の食品容器、及びBPAベースの樹脂ライニングされた食品缶詰等がある。哺乳瓶が加熱されると相当な量のBPAが溶け出す。テストした95%のアメリカ人はppbレベルのBPAを血中に持っている。

 環境活動家らはチャペルヒル合意グループの結論を喜び、一方、全米プラスチック協議会(APC)のような産業組織は CERHR 委員会の結果を賞賛した。実際、産業側関係者らは、CERHR の結論はビスフェノールAはヒトの健康にほとんどリスクを及ぼさないことを示していると述べている。

 なぜこのように二つの委員会の結論は異なるのか? ひとつの理由は、CERHR 委員会はヒト生殖系へのリスクだけを検討するよう求められていたということである。例えば、BPA暴露の結果、後の人生に発症するかもしれないがんリスクを評価することは求められていなかった。

 矛盾する結果のもうひとつの理由は、CERHR 委員会は狭い範囲の研究しか検討していないということである。”検証した主要文献が異なっていた”と NIEHS の分子毒性研究室ディレクター、レサ R. ニューボールドは述べている。チャペルヒルグループは、発表されているBPA文献の全体、700以上の研究について検証した。そこでは、経口、注射、皮下など異なる投与方法を用いた実験動物の研究が検討された。これとは対照的に CERHR 委員会は、注射や皮膚吸収によりBPA投与を行った全ての研究を除外した。同委員会は実験動物による研究では経口投与だけが暴露経路として有効であると決定した。

 ニューボールドは、その考えは間違っていると考えている。経口暴露だけがヒトへの経路ではないと彼女は述べている。あるBPAは皮膚を通じて吸収されるし、ある場合には埃として吸入される。”我々は異なる経路でそれぞれどの位吸収するのかすら分っていない”と彼女は説明する。”重要なことは、我々は血中に自由非代謝BPA(free unmetabolized BPA)を見いだしているということであり、このBPAに胎児は暴露しているが、胎児は食べない”。我々は実験動物に問題を引き起こすレベルに等しい血中BPAレベルを見いだしていると彼女は述べている。”私にとっては、暴露経路は、目標素組織に到達する用量ほどには重要ではない。また胎児と新生児は成人と同じような方法ではBPAを代謝しない”と彼女は説明する。

 しかし、CERHR 委員会の委員長であり、ファイザー社の治験発達毒性学研究室長であるロバート E. チャピンは、有効な結論を出すために、BPAが動物の血流に直接注射されたり、皮膚の下又は皮膚を通じて投与された研究は拒絶されなくてはならなかったと主張する。経口暴露を使用しなかった研究には、相対的用量について大きな不確実性があったと彼は述べている。

 経口暴露を使用しなかったほとんど全ての研究を拒絶するという選択は、非常に低用量で有害影響を示すほとんどの研究を排除した。主要なピアレビュー科学ジャーナルに発表されたそのような研究ですら検討されなかった。そしてCERHR 委員会は、ノースカロライナに拠点を置くリサーチ・トラアングル研究所の発達生殖毒性部門の上席研究員ロシェル W. ティルによる未発表の研究に大きく依存した。プラスチック産業協会によって資金提供されたティルの研究訳注3)では、マウスが5つの異なるレベルでBPAを経口投与された結果、ヒトが経験するであろうどのような暴露よりも有毒で高いレベルである最大レベルを除いて有害影響がないことを示した。

 ティルの研究では大量のマウス−6レベルのBPA用量に対応したグループ、コントロールグループ、各グループ28匹、が使用された。そのような大規模な研究におけるひとつの問題は、解剖を行うために複数の技術者が必要なことであると非営利団体エンバイロンメンタル・ヘルス科学の主席科学者ジョン・ピータソン・マイヤーズは述べている。これらは、観察者間の差異を受けやすい高い技量を要する行為であると彼は述べている。解剖するやり方の些細な相異が、BPA暴露によって引き起こされる前立腺の重量の相異を不明確なものにするとマイヤーズは述べている。

 CERHR 報告書の更なる問題は、検討対象として含めるために委員会によって確立された基準が”報告書を通じて一様に適用されていない”ことであるとタフツ大学医学校の研究助教授マリセル V.マッフィニは述べている。ひとつの例は、CERHR 委員会は、”ひとつの実験に含まれるべき動物の数は7が適切であると勝手に考えている”ことであると彼女は述べている。しかし、7 匹が最低数としてなぜ適切であるかの説明がないと彼女は付け加えた。さらに、マッフィニは同委員会の報告書で引用された多くの研究は 7 匹より少ない動物を使用していると指摘した。

 矛盾した結論に対するもうひとつの可能性ある説明は、CERHR とチャペルヒルの両委員会の委員の資格基準が異なるということである。CERHR 委員会の科学者らは、BPAに関する研究をかつてしたことがないという理由で選ばれたことが明確にされている。それとは対照的に、NIEHSにより指名されたチャペルヒル グループの科学者38人は全て、広範なBPA研究を発表している。例えば、他のどの科学者よりもBPAに関する研究を多く行っているコロンビア州ミズーリ大学の生物学教授フレデリック S.ボンサールは CERHR によって除外されている。対照的に、全米研究協議会(National Research Council-NRC)はひとつのトピックにひとつのレポートを作成する時には、そのトピックに広範な論文を発表している委員会の科学者をいつも指定する。しかし、CERHR の一般的な方針は、化学物質に関しレビューを受けた研究にかかわったことがない科学者を採用することである。

 チャピンはこの方式を擁護する。”我々は、公平なやり方で多くの異なるデータを見ることができる人々を望む”と彼は述べている。”もし我々がこの分野で発表を行っている人々を採用すれば、大声でのどなり合いになってしまうであろう”。

 NIEHS の化学的発がん部門の副部長であるジェームス・ハフは異なる意見を持っている。CERHR 委員会の委員は当該化学物質について経験を持っているべきであると主張し、”私はボンサールがその委員会にいないことに衝撃を受けた”とハフは述べている。

 この議論にもかかわらず、最近のBPAに関する判決が影響を与えている。ワシントンD.C. に拠点を置く訴訟弁護士ロバートH. ヴァイスは、3月12日にポリカーボネート製哺乳瓶の大手メーカー5社を相手に10億ドル(1,000億円)集団訴訟を行った。この訴訟は、5社のポリカーボネート製プラスチック哺乳瓶を使用して飲んだことにより被害を受けたかもしれないカリフォルニア州の全ての赤ちゃんの代理としてロサンゼルス最高裁に訴えられたものであると訴状は述べている。

 訴訟の結果は、ビジネス及び消費者の法律に違反するかどうかにより決まり、BPAの健康影響の科学的な評価によるものではないとヴァイスは述べている。カリフォルニアの法律は、製造者及び小売業者が潜在的に有害な製品をそのリスクを開示せずに売ることを禁じていると彼は説明する。製造者らはBPAが初めて合成された時からエストロゲン様作用が認められているBPAが製品から溶出することを長年、知っていたと彼は指摘する。”現在、製造者はBPAをひとつの成分として製品ラベルにリストすることを求めらられていない”と彼は述べている。”我々はそれを変えようとしている”。

 もうひとつの展開は、赤ちゃん製品のガイドブックとしてベストセラーとなった”Baby Bargains(赤ちゃん用特価品)”の著者らが、ポリカーボネート・プラスチック製の哺乳びんの使用を止めるよう両親に忠告していることである。最近までこのガイドブックは、市場で90%を占めるポリカーボネート哺乳瓶を推奨していた。”もしあなたが哺乳瓶を買おうと思っているなら、BPAを使用してないプラスチックかガラスでできた代替品選びなさい”と8月のニュースレターに著者であるデニス・フィールズは書いた。”もし、ポリカーボネート哺乳瓶を持っているなら、捨ててしまいなさい”。

 彼女の決定の根拠として、フィールズは特にチャペルヒル グループの合意声明と CERHR 委員会によって述べられた穏やかな懸念を引用した。

 彼女の勧告の中で、フィールズは予防原則を適用しているが、これは、CERHR 委員会の会議の終わり近くに、同委員会の結論から公衆はどのような忠告を得ることができるのかという質問を受けた時に、実際にチャピンによって示唆されたひとつの対応である。化学物質の脈絡において、予防原則は、科学的合意がなくても有害である可能性のある物質は実際に有害であるものとして行動することが賢明であるとしている。”今は予防原則を適用すべき時かもしれない”とチャピンは述べた。”大人は多分BPAの影響にもっと免疫があるが、幼児や子どもにはもっとリスクがあるかもしれない”。

 二つの委員会の結論は、幼い子ども用に意図された哺乳瓶やその他の食品や飲料容器中でのBPAの使用を禁止する法案を再導入する状況を促すように見える。カリフォルニア、ミネソタ、及びメリーランドの各州は過去数年間、そのような法案を検討してきた。

 食品医薬品局(FDA)は、政府によって諮問された二つの委員会の結果を評価すると約束した。”FDAは、食品容器での使用でBPAは安全であるとまだ完全に考えている”とFDAの食品添加物安全室(Office of Food Additive Safety)の副室長ミチェル・チーズマンは述べている。”我々は、独立してこの情報を見ている。もし我々の考えを変えさせることになれば、我々は適切な措置をとる”。

 米国国家毒性計画(NTP)によるBPAハザード評価の最終段階では、これら二つの報告書には入らなかった新たな科学的研究と共に、CERHR 報告書とチャペルヒル合意声明からのデータが統合されるであろうとNTPの副局長ジョーン R. ・ブッチャーは述べた。ハザード評価はパブリック・コメントとピアレビューにかけられるであろう。もし、最終評価がBPAによる健康影響について懸念を示すなら、がん又は生殖毒系へのリスクを及ぼすと州政府が決めた場合には、消費者製品に警告を表示することを求める法律であるプロポジション65(訳注4)の下で、カリフォルニア当局による見直しを促すことになるであろう。その評価はまた、他の州の、そして最終的には連邦政府のこの成分(BPA)の規制のベースとなるであろう。



訳注1
訳注2
訳注3
訳注4:プロポジション 65
正式名称:Proposition 65 Safe Drinking Water and Toxic Enforcement Act of 1986
http://www.oehha.ca.gov/prop65.html
目的は、がん、先天性障害又は生殖障害を引き起こすと知れれている化学物質からカリフォルニア州の市民と州の飲料水源を保護すること、及び市民にそのような化学物質の曝露について知らせることである。
プロポジション 65 は州政府が少なくとも毎年、発がん性又は生殖毒性が知られている化学物質のリストを公表することを求めている。(list of chemicals known to the state to cause cancer or reproductive toxicity)
http://www.oehha.ca.gov/prop65/prop65_list/Newlist.html
Frequently Asked Questions about Proposition 65:
http://www.oehha.ca.gov/prop65/p65faq.html



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