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パユとアランコのCDにみる 原典版事情

97513掲載)


 1989年の神戸国際フルートコンクールで1位を分け合った二人の名手、フィンランドのヴィルトゥオーゾ、ペトリ・アランコと、今やベルリン・フィルの首席としてすっかり有名になったエマニュエル・パユが、それぞれバッハ、モーツァルトという定番を録音したCDが相次いでリリースされました。
 (アランコのCDについてはこちらをご覧下さい。)
アランコ−バッハ1 アランコ−バッハ2 J.S.バッハ/フルートソナタ集Vol.1・Vol.2
ペトリ・アランコ(Fl
アンシ・マッティラ(Cemb
9512月録音(NAXOS 8.553754,8.553755
パユ−モーツァルトの協奏曲 モーツァルト/フルート協奏曲第1番、第2番、フルートとハープのための協奏曲
エマニュエル・バユ(Fl
マリー=ピエール・ラングラメ(Hp)、クラウディオ・アバド指揮/ベルリン・フィル
969月録音(EMI 7243 5 56365 2 2

 今回は、この2種類のCDをネタにして、「原典版」の諸相を俯瞰してみることにしましょう。
 最近の演奏の傾向としては、作曲者が意図した通りの形で音楽を再現しようというオーセンティックな方向が主流を占めるようになってきています。一見あたりまえのようなことですが、実際にこれを厳密に実現させるには大きな困難が伴います。
 ひとつは楽譜の問題です。今までブルックナーベートーヴェンフォーレについて検証してきたように、同じ「原典版」といっても、細部で異なる複数のものが存在することはよくあります。そして、版の選び方によっては演奏家の資質すらも問われてしまうのです。
 さらに、演奏で用いる楽器についても考えてみなければなりません。ご存知のようにバッハやモーツァルト、そしてベートーヴェンでさえ、その時代に使われていた楽器(ピリオド楽器)は、今私たちが使っている楽器(モダン楽器)とはかなり違っていました。特にフルートなどの管楽器では楽器の構造自体が違っており、全く別の楽器と考えても良いぐらいです。当然音色も奏法も違ったものになり、たとえばヴィブラートやロングトーン、アタックといったモダン楽器の得意技は、ピリオド楽器では極端に難しいのです。したがって、同じ譜面を演奏してもモダン楽器とピリオド楽器では全く異なった表現になってしまいます。

 アランコがここでやっているのは、モダン楽器を使ってピリオド楽器の音色、表現を再現しようということです。実はこういうことを始めたのはアランコが最初ではなく、1989年に録音されたパトリック・ガロワのバッハ全集でも同じようなアプローチが試みられていましたが、そこではまだモダン楽器の“クセ”は抜けきれず、あくまでピリオド楽器の奏法を参考にした程度に終わっていました。アランコは普通の意味とは逆のベクトルのとてつもないテクニックを駆使して、ひたすらピリオド楽器になりきっています。そして、制約された表現力の中から、逆説的になりますが、とても豊かなバッハの世界を再現しているのです。
 ただ、ここまで奏法で徹底したのであれば、楽譜の方ももっと吟味して欲しかったという思いは残ります。彼は、例えば有名なロ短調(
BWV1030) のソナタでは、現在3種類出版されている「原典版」の中では最も問題が多いとされているハンス・ペーター・シュミッツ校訂のベーレンライター版(1963)を使って演奏していますが、ここはやはりピリオド楽器奏者であれば必ず採用しているハンス・エプシュタイン校訂のヘンレ版(1978)もしくはバルトルト・クイケン校訂のブライトコップフ版(1995)を使ってほしかったところです。チェンバロパートだけがなぜかヘンレ版というのも納得いきません。この辺の詳細は、譜面を用意しましたのでこちらを見てください。

 ところで、CD市場で世界最大のシェアをほこるメジャー中のメジャー、EMIからリリースされたエマニュエル・パユのモーツァルト協奏曲集は、ベルリン・フィルの首席フルート奏者が在籍時のシェフに全曲バッキングしてもらった最初の記念すべき録音です(カラヤン時代にゴールウェイとブラウがそれぞれ1曲ずつだけなら録音しています)。
 そして、さらに記念すべき点は、これはモダン楽器のフルーティストが原典版通りの音符で演奏をした初めてのCDだということです。最も権威のある新モーツァルト全集によるフランツ・ギークリング校訂のベーレンライター版(
1981)によって、現行版との違いを見てみましょう。

 さて、ここからは私の勘なのですが、このような演奏はパユよりはむしろ指揮者のアバドの方がやりたがったことなのではないでしょうか。〔譜例1〕のCなどは、これが元の音とわかっていても、普通の感性を持っているフルーティストであれば、まずC♯を吹きたくなるものです。これはやはり、あの「第9」でホルンの不規則なシンコペーション([譜例3])を堂々と演奏してしまうアバドならではの、ちょっとみえすいたオーセンティック指向のあらわれだと思ってしまっても間違いはないのでは。


エマニュエル・パユについては、
パユのファンのフルーティストの方が作られたこちらのページもご覧になってみて下さい。



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