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[作曲・出版の経過] [第2稿の復元] [「ラッター版」と「ネクトゥー/ドラージュ版」との違い] [ディスコグラフィー]


 フォーレの弟子のジャン・ロジェ・デュカスの手によってオーケストレーションが施されたとされる「コンサート用の」レクイエムのスコアは、パリの楽譜出版社Hamelle(アメル)から、1901年に出版されました。(アメル版のオリジナルは現在はもう絶版でしょうが、幸いDover社から1992年にリプリント版が出版されましたので、容易に入手できます。)
 ところで、このアメル版のフルスコアというのは非常にミスプリントが多く、オーケストラのパート譜(1901)やヴォーカルスコア(1900、第2版は1901)と比較すると、数多くの相違点が見いだされます。それで、そのあたりを整理して校訂を施されたとされるスコアが、1978年にオイレンブルクから出版されました。ロジャー・フィスケとポール・インウッドという2人が校訂をしています。
 さらに、1998年には、版元のアメルから1901年版を徹底的に洗いなおした新版が出版されました。この版の校訂に携わったのは、第2稿の復元に尽力のあった、あのジャン=ミシェル・ネクトゥーです。(そういえば、ネクトゥー・ドラージュ版も版元はアメル。)
 間違いが多かったアメル旧版を、作曲者(編曲者)が意図した通りのものにきちんと訂正しようという作業の結果、オイレンブルク版とアメル新版という2種類の原典版が出版されたことになるわけですね。ところが、原典版の常として、もとの資料の読み取りかたから校訂者の主観を完全に排するのは困難なため、複数の出版社から原典版が出た場合、それらが全く同じものになることはありえないのです。これは、ベートーヴェンの交響曲の場合に痛感されたことなのですが、このレクイエム第3稿についてもそのような事態は変わってはいません。
 ここでは、この2種類の原典版を比較するとともに、第2稿との関連についても調べてみましょう。

Introït et Kyrie 22小節のテノール
アメル旧版は
"e-is"という歌詞のリズムが四分音符2つですが、アメル新版では付点四分音符と八分音符になっています。第2稿では、ラッター版もネクトゥー・ドラージュ版も付点四分音符+八分音符ですから、ネクトゥーはそれを参考にしたのでしょう。ところが、オイレンブルク版では四分音符のままです。
アメル旧版
アメル新版
ラッター版
ネクトゥー・ドラージュ版
オイレンブルク版

Introït et Kyrie
81-82小節の合唱の歌詞
アメル旧版は
"eleison"ですが、アメル新版、2つの第2稿では"Kyrie" に変更されています。確かに、"Kyrie eleison, Christe eleison, Kyrie eleison" というテキストにのっとれば、"Kyrie"の方が正解でしょう。それに対して、オイレンブルク版は"eleison" のままです。

Offertoire 42小節の2nd Vcとオルガン
アメル旧版は2つめの音が
Dですが、アメル新版とネクトゥー・ドラージュ版ではD#に変わって、次のD#とタイでつながっています。オイレンブルク版とラッター版はそのまま。ネクトゥーは、すぐ上の1st Vcのタイが気になったのでしょうね。しかし、これはDから始まる半音進行のほうがより美しいのではないかと、私あたりは思いますが。
アメル旧版・オイレンブルク版・
ラッター版
アメル新版・
ネクトゥー・ドラージュ版

Agnus Dei 68小節のテノール
ここは有名なミスプリント。アメル旧版のスコアでは付点二分音符の
F ですが、ヴォーカルスコアでは二分音符のFに四分音符のDが続くようになっています。ですから、おそらく世界中の合唱団が、スコアの間違いなど気にしないで、このヴォーカルスコアのように歌っているはずです。私も、スコアがこんな風になっているなんて、初めて知りました。当然、アメル新版もラッター版もネクトゥー・ドラージュ版もこのかたち。ところが、なんとオイレンブルク版ではFのままなのですね。
アメル旧版・オイレンブルク版
ヴォーカルスコア・アメル新版
ラッター版・ネクトゥー・ドラージュ版

 このように見てくると、アメル新版とオイレンブルク版との校訂にあたっての基本的な姿勢の違いが明らかになりますね。オイレンブルク版の校訂が、スラーやダイナミックスなどの明白なミスプリントを取り除くことに主眼を置いた(Agnus Deiのテノールはミスプリントではない!?)ものであるのに対して、アメル新版には、もっと踏み込んでオリジナルのかたちを明らかにしようという意気込みさえも感じられるような気がするのですが。
 アメル新版は、スコアと同時にヴォーカルスコアやパート譜も刊行されましたから、これから第3稿を演奏したり録音しようとするときには、この新しい楽譜が使われる機会が多くなることでしょう。仙台でも、
99922日に行われた仙台フィル合唱団の演奏会で、指揮者の梅田俊明さんがこの楽譜を使っていました。上に述べた最初の2つのチェックポイントですぐ違いがわかりますから、これから新録音をしようという演奏家は、使用楽譜に十分注意を払わなければいけません。間違いだらけの楽譜をそのまま使っているのか、それとも新しいきちんとした楽譜を使っているのかということだけで、その演奏の志の高さが評価されてしまうのですから。(本当に志が高ければ、第3稿ではなく第2稿を採用するはずだという議論は、ひとまずおいといて)
 ちなみに、現在リリースされているCDの中では最も新しい録音であるチョン・ミョン・フン盤(
986月録音)では、まだアメル新版は使われてはいません。もっとも、この演奏では、前に述べたように、ネクトゥー・ドラージュ版からの引用がありますがね。

註1:
フォーレのレクイエムの第3稿の原典版としては、1995年に出版されたペータース版(校訂はジャン=ミシェル・ネクトゥーとレイナー・ツィンマーマン)もあるのですが、現物が入手できないため、どのような内容かはわかりませんでした。
註202/3/14追記)
アメル新版を使った録音が、フィリップ・ヘレヴェッヘによって行われ、近々CDがリリースされます。

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