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作曲・出版の経過

[第2稿の復元] [「ラッター版」と「ネクトゥー/ドラージュ版」との違い] [第3稿の校訂]


 ガブリエル・フォーレの「レクイエム」で、現在普通に使われている楽譜は、「第3稿」あるいは「1900年版」と呼ばれるものですが、そこに至るまでの作曲の経過は次の通りです。(J.-M.Nectouxによる) 
第1稿 1887年秋〜 Pie Jesu, Introït et Kyrie, In Paradisum 作曲 
188816 Agnus Dei 作曲
188819 Sanctus 作曲
1888116 5曲版初演
第2稿 18885 5曲版再演(2Hr 2Tpを追加)
1889年春 Offertoire( A B A′)のうち B(バリトン・ソロ)を追加
1891 Libera Me1877年のバリトンとオルガンの曲を改作)を追加
1893121 7曲版初演
1894 Offertoire の A A′(コーラス)を追加
第3稿 19007 フル・オーケストラ版初演
1901 フル・スコア出版
 ところが、この「第3稿」のオーケストレーションには、フォーレ自身は全くかかわっていないということが、最近の研究で明らかになっているのです。フォーレはこの曲をもっぱら“個人的な喜び”のために書いたため、もともと出版する意志はありませんでした。ところが、彼の作品をこれまで出版してきたパリのアメル社は、この曲も出版しようと考えます。そして、ヴァイオリンと木管が無いというきわめて特殊な楽器編成である「第2稿」を、もっと需要があって売れそうな「普通の」編成に書き直すようにフォーレに進言します。しかし、フォーレは最初から乗り気ではありませんから、実際のオーケストレーション作業は彼の弟子のジャン・ロジェ=デュカスが行ったのです。この、フォーレが望んだものとは程遠い形で出版されてしまった第3稿、いわゆる1900年版が、以後1世紀近くにわたって、この曲の唯一の出版稿として流布することになるわけです。(このフレーズ、どこかで見たことがありません?そう、1年以上前の本紙Nr75ブルックナーの版の話のときに使った文そ のままなのですね。この曲の出版にあたっては、ブルックナーの交響曲の場合と同じことが起こっていたわけです。)

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