ヘドロの否認。

(24/12/16-25/1/7)

Blog Version

1月7日

BACH/Magnificat BWV 243.1 (243a)
HANDEL/Te Deum for the Peace of Utrecht HWV 278
Núria Rial , Marie-Sophie Pollak (Sop)
Alex Potter(CT)
Kieran Carrel(Ten)
Roderick Williams(Bas)
Justin Doyle/
RIAS Kammerchor Berlin Akademie für Alte Musik Berlin
HARMONIA MUNDI/HMM902730


RIAS室内合唱団と言えば、第二次世界大戦後の1948年にベルリンに設立された、由緒あるプロフェッショナルな合唱団ですね。最近ではマーカス・クリード(1987-2003)、ダニエル・ロイス(2003-2006)、ハンス=クリストフ・ラーデマン(2007-20015)に続いて、2017年からはイギリス人のジャスティン・ドイルが首席指揮者を務めています。この方は1975年生まれ、ウェストミンスター大聖堂の聖歌隊で最初の音楽教育を受け、さらにケンブリッジのキングズ・カレッジで学んでいます。彼のレパートリーは、ルネサンスから現代まで幅広く、RIAS室内合唱団のために委嘱された多くの作品の世界初演を行っています。
このチームは、これまでにHARMONIA MUNDIレーベルにはブリテン、ブラームス、ハイドン、そして2枚のヘンデル、さらにPENTATONEレーベルにもヘンデルの「メサイア」のアルバムを作っていますが、今回は、おそらく初めてとなるバッハと、ヘンデルとのカップリングになっています。
そのバッハは、「マニフィカト変ホ長調」という、普通に演奏されるニ長調の同名曲の初期バージョンが演奏されています。以前は「BWV 243a」と表記されていましたが、ここでは、最近全面的に改訂されて2022年に刊行されたBWVの第3版に従い「BWV 243.1」という表記に変わっていましたね。
これは、バッハがライプツィヒに赴任した1723年のクリスマスために作られたもので、正規の「Magnificat」の歌詞によるものの間に、4曲のクリスマス用の合唱曲が挿入されています(ただ、実際にその時に演奏されたかは、わからないのだそうです)。そして、現行のニ長調のバージョンは、1732年か1735年に作られたと言われています。こちらでは、キーが半音低くなっているほかに、もちろん追加の曲は削除されていますし、本体の方も細かいところでフレーズの形が変わっていたりしますね。
楽器編成も異なっていて、初稿には、改訂稿には入っているフルートがありませんでした。つまり、木管楽器は2本のオーボエしかなかったのです。ですから、現行版の9曲目、アルトのアリアの「Esurientes implevit bonis」では、2本のフルートによるオブリガートがあるのですが、その楽器指定は「Flauto dolce」とあります。それは「リコーダー」のことです。そして、そこは2人のオーボエ奏者が「持ち替え」て演奏していたのですね。現行版では、きちんと「Flauto traverso」と指定されていますから、オーボエとは別の「横笛」のフルートが吹ける人が参加するようになっていたのです。この録音でも、フルート奏者はもう1曲のヘンデルのために1人いるだけで、バッハではオーボエ奏者がリコーダーを演奏しています。
もちろん、現行版ではこの楽器は最初のトゥッティの「Magnificato」でも登場していて、華やかな十六分音符のフレーズを、オーボエやトランペットと競い合って、華やかなサウンドを作り出しています。
その、ちょっと物足りないサウンドで曲が始まった時に、その十六分音符がほんの少しスウィングしているように聴こえました。この曲を聴いてそんな風に思ったのは初めてのこと、なんだか、ほんわかとした感じが伝わってきましたね。
そして、合唱が入ってくると、その音色の温かさに引き付けられます。それは、まさに大人でしか出せないような高貴ともいえる合唱でした。最近はバッハの音楽をかなりギスギスした感じで歌っている団体によく出会いますが、これはその正反対のベクトルを追及している人たちのようですね。
ソリストたちも、それぞれに柔和な雰囲気を持っているように感じられました。そして、最後の曲の1つ前の「Sicut locutus est」という合唱だけのフーガも、過度にのあるフーガではなく、もっと滑らかさを前面に出したもののように思えました。そのテイストのまま、終曲の「Gloria」に入ると、華やかさよりはもっと包み込むようなソフトな音楽になっていましたね。
カップリングのヘンデルの「ユトレヒト・テ・デウム」が、そもそもそんな「軟弱」な音楽だったので、ここではバッハもヘンデル寄りに演奏されていたのかもしれませんね。

CD Artwork © harmonia mundi musique s.a.s.


1月4日

Journey to the Orient
Silvia Schiaffino(Fl)
Renato Procopio(Guit)
DYNAMIC/CDS8046


これまでに、フルーティストのアルバムを数多くリリースしてきたこのDYNAMICレーベルですが、そのいずれもがなにか満たされない思いになってしまう、という、ちょっと残念なアルバムばかりだったような気がします。ただ、今回はギターとの共演で「東方への旅」などというタイトル、さらに、曲の中には「Haiku」という、日本人だと反応してしまうようなタイトルのものもあったので、とりあえず聴いてみることにしました。
まずは、スペインの作曲家グラナドスの、その名も「オリエンタル」という曲から。確かに、そんな感じのする、とてもメロディアスな作品で、ギターの淡々としたバッキングに乗って、フルートはのびのびと歌っています。ただ、ちょっとリズムがだらしないのと、低音がそれほど響かないのが気になります。
次は、なんとサティの「ジムノペディ第1番」。確かに、ここではオリエンタルなモードが使われていますが、その「ファ#ラ/ソファ#ド#/シド#レ/ラ/ファ#」という8小節のテーマ(後半の4小節はファ#のロングトーン)を、朗々とノンブレスで吹ききっていたのには、ちょっと引いてしまいました。そんな曲ではなかったような気がするのですが。
その後のモンティの「チャールダーシュ」という超有名なヴァイオリン曲のフルート版では、前半のゆったりとしたところはともかく、後半に細かい音符の部分になると、彼女のメカニックに問題があることがばれてしまいます。
その後は、フルート・ソロの名曲、フェルーの「3つの小品」の真ん中の曲「Jade」です。日本のわらべ歌みたいなテーマが出てきますね。真ん中辺と最後にグリッサンドの指示があって、普通はそれらしい「フリ」をするものですが、ここではスルーしてましたね。
どうやら、曲順はほぼ西から東に向かっているようで、次はチェコのドヴォルジャークの名曲「ユモレスク」です。
そして、ハンガリーのバルトークの「6つのルーマニア民謡」という、フルーティストのレパートリーとなっている「ハンガリー農民組曲」とは別の素材が使われている曲です。前半はゆっくりした曲、後半は技巧的な曲という配置ですが、やはり後半がボロボロでした。
次はポーランドのショパンの曲。その有名な「ノクターン」をギター・ソロで聴かせます。いつも思うことですが、ギターの場合、フレットを押さえる都合で、どうしても音楽が一瞬止まってしまうことがあるのですが、それはどうにかならないものなのでしょうか。今回も、そんな思いに駆られてしまいました。
続いては、チャイコフスキーの「懐かしい土地の想い出」とショスタコーヴィチの「ジャズ組曲のワルツ」というロシア勢の名曲。まあ、フルートとギターで演奏すればこんなものなのでしょう。敢えてそれ以上の言及はしません。
そして、お待ちかね、ここでのギタリストのレナート・プロコーピオは作曲家でもあるのですが、彼が作った「Haiku」です。3つの曲から出来ています。1曲目は5拍子、2曲目は7拍子、3曲目は5拍子。だから「俳句」なんですって。ふざけるな、と言いたくなりませんか? 曲そのものは、なんとも甘ったるいメロディの世界、俳句に込められた幽玄さなど、微塵もありません。
次も日本由来の「さくら」です。こちらは横尾幸弘という日本人が作った、ギター・ソロのための変奏曲です。お琴で弾いているかのような雰囲気がありますが、最後の変奏は「アルハンブラ宮殿の思い出」そのもののトレモロとアルペジオを使った安直なものでした。
そして、韓国の民謡も登場します。1曲目と2曲目は全然知らない曲ですが、まるでそのまま韓国ドラマのBGMにでもなりそうなキャッチーさ満載です。3曲目になって、良く知られた「アリラン」が出てきます。
最後の曲は、またしてもプロコーピオの作品。重厚なコラール風のテーマの部分と、いかにも民族的な舞曲のテーマの部分に分かれています。予想通り、舞曲の部分ではフルートのリズムがめちゃくちゃ、ギターとずれまくってます。
というわけで、このレーベルでの今回のフルーティスト、シルヴィア・スキアフィーノも、やっぱりクズでした。

CD Artwork © Dynamic Srl


1月2日

VAAGE
Works for Flute
Ingela Øien(Fl)
Hanne Bramness(Narrator)
BIT20 Ensemble
Thorolf Thuestad(Live Electronics)
Ingar Bergby/
Bergen Philharmonic Orchestra
LAWO/LWC1378


1961年生まれのノルウェーの作曲家、クヌート・ヴォーゲが作ったフルートのための作品を聴くことができるアルバムです。
ヴォーゲという人は、即興演奏とか、前衛的な音楽を主に追及しているようで、ここで取り上げられている作品も、ほとんど、まさに20世紀の後半に隆盛を極めた「現代音楽」のテイストを持った、はっきり言って「難解」な曲ばかりです。でも、何回か聴いているうちに、あくまで音楽の可能性を追求した作曲家の熱意がそれなりに伝わってくることもあり、今の時代の軟弱な音楽に物足りない人たちは、大いに刺激を与えられることでしょう。
そもそもフルートという楽器自体が、そんな「軟弱」な音楽を奏でることにかけては他の楽器の追随を許さないところがあります。ですから、そんな楽器で「現代音楽」を演奏するためには、フルーティストたちは、それまで一生懸命磨いてきたその軟弱な音楽をとびきり美しく演奏するためのテクニックを、完全に捨て去る必要があります。そこでは、涙を誘うほど美しいメロディを奏でるスキルは何の役にも立ちません。必要なのは、いかにして「フルートらしくない音」を出すか、ということなのですからね。
そのために、当時の作曲家とフルーティストたちは、様々な「技法」を産み出しました。楽器が、共鳴によって美しく響くことを拒否して、それぞれの倍音を同時に鳴らした結果、確かに異なる音程のいくつかの音を同時に出すことは出来ても、そのクオリティは全く保証できない「重音奏法」とか、息を吹き込むだけの雑音(ホイッスル・トーン)、さらには、キーを叩く音で打楽器のマネをしようとするもの(キー・タップ)、そして、人間業とは思えないような難しいテクニックを使って、連続的に音程を変える奏法(グリッサンド)など、まさに楽器の可能性を超えたような技法がどんどん開発されたのです。
中には、そんな技法に特化した、「現代音楽」専門のフルーティスト、などというものも現れました。ハンガリーのイシュトヴァン・マトゥスという人などもそんな一人でしょう。
最初の「Janus」という曲は、そんなテイストのフルートが、なんとオーケストラと共演している、というものでした。それは、演奏時間が24分という大作ですが、そこでは、フルーティストのインゲラ・オイエンは、数々のフルートを駆使して、そんな過去の「混沌」を再現させていたのです。
まずは、バス・フルートによって、ノーマルではないフルートの世界を知らしめようという試みでしょうか。その楽器の、なんとも儚い高音で、まさにフルートらしからぬ醜い姿をさらした後は、重音とかキー・タップで迫ります。
そして、やっと普通のフルートが登場すると、さすがに本来の「美しい」フルートの片鱗が味わえますが、そこではシンコペーションとか変拍子によって、落ち着きのなさが露呈されます。その後では、アルト・フルートも登場します。そして、最後のカデンツァは普通のフルートで締めるのですが、そこではグリッサンドのようなホイッスル・トーンといった、「過去の亡霊」が現れます。
2曲目は、フルートと打楽器のための「Tapt slag(Lost Struggle)」という曲。こういうフルートと打楽器の相性の良さが光ります。なぜか、そこに自作のテキストを朗読している人も加わります。
3曲目はフルートのソロ。タイトルは「Får eg likna deg」というノルウェー語ですが、「あなたに似てもいいですか?」という意味なのだそうです。確かに、ここにきてフルートは「現代音楽」をやめ、かなり美しいメロディを吹き始めましたよ。それは、オネゲルの「めやぎの踊り」に「似て」います。でも、さっきのマトゥスのように、彼女はこのようなノーマルな吹き方を、もう忘れてしまったように聴こえます。
最後の曲は、ライブ・エレクトロニクスが加わった「Electra II」です。フルートが吹いた速弾きのフレーズが、そのまま電子音に変換できるという「ヴォコーダー」みたいなものが使われていて、とてもエキサイティング。そのフレーズがリフとして何度も現れるので、ポップス感もあってなかなか面白かったですね。

Album Artwork © LAWO Classics


12月31日

Jurassic Awards 2024
毎年末恒例の「ジュラシック・アウォーズ」です。昨年廃刊となった「レコード芸術」が、この賞のパクリ元なのですが、今年になってネット版が出来たそうですね。そちらではまだこんなしょうもない賞争いをやっているのでしょうか。
今年のタイトル数は157点、毎週3件をアップするというルーティンを課した成果です。その中で、年々下がって行くフィジカル・アイテムの数は、今年はついに13点にまでに減ってしまいました(昨年は33点)。世の中のCD離れと、確実に連動しています。その中で、SACDやBD-Aといったサラウンド対応のディスクは4点のみ、そのようなものは、やはりデジタルの台頭で「ドルビー・アトモス」に取って代わられた結果なのでしょう。それ以外のディスクは、NMLとは契約していないレーベルのものだからでした。ただ、そのうちの2枚は、購入した後にNMLからリリースされるという、悔しいことになっていました。ですから、今ではまずほとんどのレーベルの新譜はNMLで聴くことができるようになっています。ここはひとつ、他のサブスクでは聴けてもここでは全く聴くことができないSONYレーベルの参入を、ぜひお願いしたいところです。色々欠点はありますが、クラシックでこれだけ多岐にわたる検索に対応しているのは、ここしかありませんからね。
まずは、ジャンル別のランキングです。
第1位:合唱(今年43/昨年35)↓
第2位:オーケストラ(41/44)↑
第3位:フルート(21/22)→
第4位:現代音楽(13/14)→
第5位:オペラ(10/9)→
合唱とオーケストラの順位が入れ替わりました。

各ジャンルの中でのトピックスです。
■合唱部門
今年も、すばらしい合唱曲がさまざまの合唱団によって歌われていて、とても楽しめました。そんな中で、久しぶりに出たレイトン指揮のデュリュフレの「レクイエム」と、まさに前回聴いたばかりのティボー・レナールツという全く知らない人の指揮するフォーレの「レクイエム」に注目です。特にフォーレの方は、初めて録音されたバージョンのものが2曲もあるというサプライズ、そういう意味で、大賞にもなりました。
■オーケストラ部門
なんたって、ブルックナーイヤーでしたから、彼の交響曲はたくさん聴きました。全ての稿による全集まで作られてしまいましたが、2つある全集の中で、最初にリリースが完了したものは、演奏的には非常に問題がありました。「出せばいい」というものではないということを痛感です。ですから、特に注目したいのは、何人も登場した女性指揮者の一人、ヨアナ・マルヴィッツが指揮をしたクルト・ヴァイルの交響曲集です。
■フルート部門
世界には、まだまだ知らない素晴らしいフルーティストがたくさんいることを、改めて気づかされたほど、多くの新しい名前を聞きました。そんな中で、これまで苦手だったヒンデミットの魅力を存分に楽しませてくれた、カラパノスという人のアルバムが、とても印象に残りました。
■現代音楽部門
今年は、メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」が2枚もリリースされていました。もはやこれは「現代曲」というジャンルには入れない方がいいのかもしれませんね。ですから、思いっきり現代っぽいダーン・ヤンセンスの「美しき水車屋の娘」をベストとしました。シューベルトを下敷きにした、痛快な「現代音楽」です。
■オペラ部門
新旧取り混ぜてのオペラやミュージカルの全曲盤を取り上げましたが、その中の、「ヘアー」のオリジナルキャスト盤が最も印象に残りました。当時のエネルギーが、SACDの4チャンネルで蘇っています。


12月28日

FAURÉ
Requiem(first version, January 1888)
Thibaut Lenaerts/
Caroline Weynants(Sop)
Chœur de Chambre de Namur
Millenium Orchestra
RICERCAR/RIC 469


2024年も終わろうとしています。今年はなにしろあのブルックナーの生誕200年という記念年にすべて持って行かれた感がありますから、フランスの有名な作曲家、ガブリエル・フォーレなどは、こちらは没後100年というやはり切りの良い記念年にあたっていたのにすっかり影が薄くなっていました。
フォーレの場合、彼の「レクイエム」は、おそらく同名曲の中では間違いなくよく聴かれるランキングの上位に入るでしょうが、いかんせん、それ以外の作品は非常に「地味」ですから、ブルックナーのイケイケの音楽のような派手な人気はないのではないでしょうか。ホテルは人気がありますが(それは「ラフォーレ」)。
ただ、「レクイエム」だけがあまりにも有名すぎて、フォーレと言えば宗教曲の作曲家のように思われていることが多いような気がするのですが、彼にとってこのジャンルは決してメインのものではありませんでした。彼が作ったミサ曲は、この「レクイエム(死者のためのミサ曲)」と、小ミサ曲(Messe basse)」という10分足らずの作品の2曲だけ、あとは短いモテットが15曲ほどしかありません。そして、今回のアルバムでは、その3つのタイプの曲をすべて聴くことができます。
さらに画期的なのは、「レクイエム」も「小ミサ曲」も、現在よく演奏されている最終形までには、かなりの変遷があったのですが、ここではその最も初期の形が披露されていることです。
「レクイエム」の場合は、こちらにあるように、3つの稿(バージョン)が存在していますし、第2稿などは全く異なる2つの版(エディション)があり、それぞれに多くの録音が存在しているという、混乱ぶりです。しかし、その最初の形の第1稿に関しては、もしかしたらこれがおそらく世界で初めて録音されたものなのかもしれません。少なくともストリーミングで聴くことが出来るものは、他には全くありませんでした。
ですから、記念年も終わりに近づいたころになって、やっと「レクイエム」が「最初の形」で演奏されているアルバムがリリースされたのです。つまりここでは、現行の7つの曲のうちの2曲、「Offertoire」と「Libera me」がまだなかったころのものを、おそらく初めて聴くことが出来るのです。これには、ちょっと興奮しますね。
実際に聴いてみると、弦楽器にハープとティンパニが加わっただけというシンプルなオーケストレーションによって、サウンドもかなり違って落ち着いたものに聴こえます。そこに加わる合唱も、一人一人が立派な声で(「Pie Jesu」のソリストもメンバー)しっとりとした大人の合唱を聴かせてくれています。ずっと聴きたいと思っていた「レクイエム」の第1稿を、最高の演奏で聴くことが出来て、とても幸せです。
もう1曲、現在は「小ミサ曲」と呼ばれている作品の最初の姿も披露されています。それは、タイトルも「ヴレヴィユの漁師達のミサ」という、なんとも意外なものでした。「ヴレヴィユ」というのは、フランスの海岸、ノルマンディにある地域ですが、フォーレは、アンドレ・メサジェと共作で、この地域の友人が地元の教会で行った漁師の組合のチャリティコンサートのために1881年にこのミサ曲を作りました。それは、13人の女声合唱とハルモニウム、そしてヴァイオリン・ソロのための5曲から成る15分ほどのもので、そのうちの2曲はメサジェ、それ以外をフォーレが作曲していました。
なんでも、そこでは560フランの募金が集まったのだそうです。そして、翌年もコンサートは開かれ、その時にフォーレは伴奏に弦楽器や管楽器を加えています。そのバージョンでの録音は、すでにコルボ盤(MIRARE)ヘレヴェッヘ盤(HARMONIA MUNDI)の2種類がありましたが、オリジナルの編成での録音は、今回が初めてです。これも、鄙びたハルモニウムの音が素朴な印象を与えてくれます。
そして、この曲の出版にあたってフォーレが作った部分だけを集めて再構築し、編成もオルガン、またはハルモニウムの伴奏だけにしたのが、「小ミサ曲」なのです。

CD Artwork © Outhere


12月26日

YULE
Trio Mediæval
 Anna Maria Friman
 Linn Andrea Fuglseth
 Jorunn Lovise Husan
Sinikka Langeland(Kantele)
Vegar Vårdal(Hardanger fiddle, Vn)
Arve Henriksen(Tp, Org)
Anders Jormin(Cb)
Helge Norbakken(Perc)
2L/2L-180-SABD(hybrid SACD, BD-A)


「トリオ・メディーヴァル」という、あのECMレーベルからデビューしたノルウェーのヴォーカル・グループの最新アルバムです。名前の通り、主に中世の音楽を演奏するために結成されたのでしょうが、そのメンバーの3人の女性はそんな枠を超えて、幅広い年代とジャンルを縦横に行き来しながら、素晴らしいアルバムを、この、世界最高の音質を誇るこの2Lレーベルに録音しています。
今回のタイトルは「YULE(ユール)」です。北欧ではクリスマスのこのように呼んでいるそうですが、北欧のゲルマン人やヴァイキングの間ではキリスト教が伝わる以前から、その時期に行われていたお祭りなのだそうです。「やっぺぇ」や「ホヤぼーや」が登場するのでしょうか(それは「ユルキャラ」)。
このお祭りは、キリスト教が広まるとクリスマスと融合されて、独特のお祭りへと変化していったそうです。なんでも、サンタクロースの原型のようなものも、かつては存在していたようですね。
終わったばかりの日本のクリスマスも、やはり日本独自の変化があって今日まで続いているのでしょう。そして、本来の「イエス・キリストの誕生を祝う」という意味はほとんどなくなり、「恋人と高級なディナーを食べたり、家族でケーキを囲んだりして、プレゼントを贈りあう(だけの)お祭り」という現在の形に定着したのでしょう。
このアルバムでは、まず彼女たち3人だけによるア・カペラで、プレトリウスの聖歌「一輪のバラが咲いて」が歌われます。それはもう、録音会場の教会の暖かい残響の中で、完璧な響きとなって聴こえてきました。3人の声は音域も音色も全く別物同士なのですが、それが見事に、ある時は溶けあい、ある時は特定の声だけが突出するといった、決してきれいごとで穏やかに終息するものではなく、その中に緊張感を孕んで進んでいきます。そこからは、とても「メリー・クリスマス」などとノーテンキな挨拶などは出来ないような、とてつもない緊張感が伝わってきます。
そんな、ア・カペラでのトラックが、あと数曲、中には「Coventry Carol」とか「There is no rose」といった、有名なイギリスの聖歌まで歌われています。
もちろん、そんなものだけで終わるわけはなく、彼女たちは、やがてここに参加した様々な楽器とアーティストたちとのインプロヴィゼーションも聴かせてくれるころになります。まず、「もしやフルート?」という、なんだか不思議な音色の管楽器の音が聴こえてきました。その正体はなかなか分からなかったのですが、ブックレットのメンバーには、それに近い音を出せるのは「トランペット」の人しかいないようです。そう思って聴き直すと、それは、なんともプリミティブな、バズィングの音まではっきり聴こえるような「雑音」の多い吹き方による、確かにトランペットだったことが分かりました。
それは、おそらく、次に登場するノルウェーの民族楽器、ハルダンゲル・フィドルという、ほとんど騒音のようにしか聴こえないぶっ飛んだ楽器との相性を考えてのことだったのでしょう。これらの楽器は、古の聖歌に対して現代人のキレキレのインプロヴィゼーションで挑むという、果敢な試みを行っているようです。
先ほどのトランペット奏者はオルガンも演奏していますが、それも、なんだかわけのわからないストップを見つけ出して、挑発的なことをやっていましたね。
そんなアグレッシヴなものではなく、カンテレという弦をはじいてかわいらしい音を出す民族楽器などは、確かに聖歌にそのまま寄り添ったようなしっとりとした佇まいで、さわやかさを演出しています。
さらに、コーラスの向かい側に配置されたのが、威勢のいい打楽器群です。もろ、「太鼓」、いや「太古」の雰囲気が漂います。
そんな、カオスで始まった曲が、途中でコントラバスのベースランニングが入ってくると、一瞬でリズミカルなナンバーに変わる、という魔法にも、遭遇出来ますね。
そんなとつかみどころのないサウンドも、リンドベリの手にかかれば極上の響きに変わります。

SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS


12月24日

MESSIAEN
Turangalîla-symphonie
Yuja Wang(Pf)
Cécile Lartigau(OM)
Andris Nelsons/
Boston Symphony Orchestra
DG/00028948670451


メシアンの「トゥランガリーラ交響曲」の、2024年に録音されたばかりの最新盤です(いや、これはデジタルですが)。演奏しているのは、アンドリス・ネルソンス指揮のボストン交響楽団。ネルソンスは、2014年からこのオーケストラの音楽監督を務めていますね。
ですから、この曲は、このオーケストラのかつての音楽監督だったセルゲイ・クーセヴィツキーの委嘱によって作られ、その任期の最後の年の1949年にレナード・バーンスタイン指揮のボストン交響楽団によって初演されていたということで、その同じオーケストラがちょうどそれから75年後に録音した、というのがセールスポイントになっています。
つまり、かつては超難曲と考えられていて、演奏される機会もあまりなかったものが、最近ではアマチュアのオーケストラでもいとも簡単に演奏していたりするものですから、もはや、ただの演奏では何の希少価値も無くなっているので、そんな「故事」までも引っ張り出してきているのでしょうね。別に不倫とは関係ありませんが(それは「コジ・ファン・トゥッテ」)。
何しろ、今ではネットでの全曲録音などは、いくらでも見ることが出来るのですよ。その中には、ロシアのオーケストラが、オンド・マルトノではなくテルミンを使って演奏している映像などという、とんでもないものもありました。それは、2004年の演奏ですが、テルミン(オリジナルではなく、モーグによるイーサーウェーヴ)はリディア・カヴィナが弾いています。
ただ、どうやらこの演奏の主役はあくまでカヴィナだったようで、途中で本来はオケの中の楽器で演奏されるようなフレーズをテルミンで演奏している場面もありましたね。そして、はたして全曲を演奏したのかどうかも分かりません。何しろ、この映像は第3楽章から始まって、第5楽章の、終わりの1分半ぐらい前で切れているのですからね。
確かにオンド・マルトノという楽器は、テルミンをモデルにして作られていますから、映像を見なければこれは間違いなくオンド・マルトノに聴こえるはずです。そして、映像を見れば、信じがたいようなカヴィナの超絶テクニックに驚くはずです。というか、グリッサンドなどは、こちらの方がよりグリッサンドらしく聴こえてきますからね。
あいにく、バックのオーケストラやピアノがとんでもない人たちなので、早いテンポの第4楽章などは、普通の倍近くに遅くして演奏していましたから、全体としてはただの騒音としか聴こえませんでした。
そんな、まさにメシアンに対する冒涜でしかないような演奏を観た直後に聞いたせいでしょうか、今回のアルバムはとてもすんなりと心に響くものでした。
ここでのピアニストはユジャ・ワンでした。最初はちょっとメシアンとはミスマッチなのでは、と思ったのですが、さっきの映像を調べた時には、2016年にドゥダメル指揮のシモン・ボリヴァル交響楽団と共演したものがありました。その時のコスチュームより、今回の方がお肌の露出は控えめのようですね。そして演奏の方も、きっちりオーケストラに寄り添っていてただのテクニシャンではないことを誇示していたような。もちろん、ピアノが主役になっているところでは、ここぞとばかりに華やかで的確な音楽が聴こえてきたのは、言うまでもありません。
オンド・マルトノのセシル・ラルティゴーは1989年生まれ、もともとはヴァイオリニストでしたが、2010年にリントゥ盤の「トゥランガリーラ交響曲」でこの楽器を演奏していたヴァレリー・アールマン=クラヴリーと出会ってからこの楽器に目覚め、パリとリヨンの音楽院で学んだ後、現在は貴重なオンド・マルトノ奏者として活躍している方です。彼女は、音楽学者、即興演奏家としての顔を持っているそうです。ここでも、バランスの良いマルトノの音色が聴こえてきます。
そして、かつてはとんでもないデブだったのに、今年来日した時にはあまりにスリムになったので驚かされたネルソンスは、適度にキレの良い、そして温かみのあるメシアンを聴かせてくれていました。

Album Artwork © Deutsche Grammophon GmbH


12月22日

BEETHOVEN
Piano Sonata No. 29 "Hammerklavier" , An die ferne Geliebte
辻井 伸行(Pf)
DG/00028948668946


日本国内では熱狂的なファンを獲得しているピアニストの辻井伸行さんは、これまでに日本のエイベックス・レーベルから多くのCDをリリースしています。同じ丸いものでも、タイヤは売ってません(それは「オートバックス」)。その数は、映画やドラマのための音楽も含めると60枚近くありますから、すごいものです。
彼が注目されたのは、2009年のアメリカのヴァン・クライバーン国際ピアノ・コンクールでの優勝からですが、彼はそれ以前、2004年のショパン・コンクールでも、セミ・ファイナルまで進出していたのですね。そして、2008年には、ソロ・アルバムをリリースしています。
それから、10数年しか経っていないのに、これだけのアルバムを作っているのですから、これはもうアイドル並みの人気者、ということになるのでしょう。実際、彼の出演するコンサートは、チケットを購入するのは、とても難しいようです。
個人的には1度だけ、そんな難関を突破して彼の演奏を聴いたことがあります。それは、2015年11月、オーケストラはなんとミュンヘン・フィル、そして指揮者は今は亡き(冗談です)ゲルギエフです。ところが、やっと入手できたチケットというのが、前から3列目というとんでもないところでした。そこからだと、ピアノの裏側の響板しか見えません。まあ、ピアノの音は、そこからのものが一番美しいと言われているのでしょうけれど、ちょっと悲しくなるような位置です。もちろん、演奏者の顔も見えません。ただ、ペダルだけはよく見えますから、辻井さんのペダル、特に左ペダルのコントロールがはっきり分かりました。時にはハーフも使っているのですね。
それで、ベートーヴェンの「皇帝」です。それはもうこの名門オーケストラに堂々と勝負を挑んだ素晴らしいものでした。なんせ、第3楽章のすさまじいテンポには、オケはついていけなかったようでしたからね。そして、彼が第2楽章あたりで聴かせてくれた超ピアニシモには、本当に驚いてしまいました。スタインウェイのフルコンであんな小さな音を出すことができるなんて。
ソリスト・アンコールは、ベートーヴェンの「悲愴」ソナタの第2楽章。これが始まったら、不覚にも涙が出てきましたね。なんという美しい音楽なのでしょう。それで終わるのかと思ったら、それに続いてショパンの「革命エチュード」ですよ。いやあ、アンコールでこんな曲を軽々と演奏するなんて。
ですから、辻井さんは、そもそも日本のレーベルでチマチマとアルバムを作っているようなピアニストではなかったのですよ。実際、エイベックスからのライセンスで、オランダのチャレンジ・レコードからは何枚かのCDがワールドワイドにリリースされていますからね。
ですから、今年の4月に、ドイツ・グラモフォンが辻井さんと専属アーティト契約を結んだというニュースを聞いても、特に驚きはしませんでした。それが「日本人ピアニストとしては初めて」というのは、ちょっと意外でしたが。しかも、これまでのエイベックスのカタログも、DGレーベルとしてフィジカル、デジタルの両面でリイシューするのだそうですから、破格の待遇です。
そしてこのたび、DGからの最初のアルバムがリリースされました。今回はサブスクのみ、そして来年3月にはCDも発売になるのだそうです。
このベートーヴェン・アルバムの最初の曲は、連作歌曲「遥かなる恋人へ」をリストがピアノ用に編曲したものです。まずは、とても美しいピアノの音色に、幸せにさせられます。初めて聴いた曲ですが、オリジナルの歌がとても感じられて、素敵でした。
そしてメインとなる「ハンマークラヴィア」です。壮大な第1楽章は、あくまでがっしりとした構造が力強く表現されていて圧倒されます。
そして第2楽章では、少し力を抜いたユーモラスな面が楽しいですね。
圧巻は、やはり第3楽章のアダージョでした。彼の繊細な音色が満載で、あくまで美しい歌を奏でることに専念しているようです。
フィナーレのポリフォニーも圧巻でしたね。よくこんな複雑な楽譜を、これだけ完璧に演奏できるのか、という当然の疑問もあっさり忘れしまい、音楽に集中させてくれます。

Album Artwork © Deutsche Grammophon GmbH


12月19日

Beatles Classics/Serendipity
Inoch Light/
his Orchestra

VOCALLION/CDLK 4646(hybrid SACD)

1970年代の「クワドラフォニック」の音源を丁寧にハイブリッドSACDに復刻してくれているこのレーベルですが、最近は新たなリリースが滞っているようです。そもそも、SACDでサラウンド再生を行うというシーン自体が、昨今はかなり少なくなっているのではないでしょうか。なんと言っても、CDそのものの売り上げの現状は、こんな感じですからね。
この表は1980年からの音楽の音源の売り上げの変遷を、とても分かりやすく示したものです。緑の「Vinyl」(レコードのこと)や黄色のカセットテープに取って代わったのが、ピンクのCDでしたが、やがてCDの売り上げがどんどん下降するにしたがって増えてきたのが、インターネットによるブルーのダウンロードと紫のストリーミングです(その間の橙色は、着メロですね)。それも、最近ではダウンロードもぐっと減ってきて、ストリーミングが急上昇している、ということが如実に分かりますね。
つまり、CDでさえ聴かれなくなっているのですから、その特別な形のSACDなどは、もはや見向きもされないのは当然です。したがって、それを再生するための機材が、もはやほとんどなくなりかけているのですよ。サラウンドに対応しているSACDプレーヤーは、令和の時代には国内の市場からはほぼ消えました。
さらに、オリジナルのクワドラフォニックの音源そのものも、このレーベルが取り扱えるものは、すでに枯渇しているのではないでしょうか。
そんな貴重な音源たちの一つ、イノック・ライトが「4チャンネル」のために作ったアルバムをVOCALLIONレーベルがハイブリッドSACDでリイシューしたものは、以前こちらでご紹介しました。調べてみたら、その少し前にこんなアルバムもSACD化されていたので、聴いてみました。
これは、もともとは2枚のLPを1枚に収録したものです。それらのアルバムは、前半が「クラシックのスタイルで演奏された、壮大なオーケストレーションのビートルズ・ナンバー」、後半が「バッハやモーツァルトなどのクラシック音楽を、今どきの音楽のようなコンセプトでアレンジしたもの」という、正反対のベクトルを持っているものでした。
1974年に録音されたビートルズの方は、リズム・セクションを全くなくして、弦楽器主体のオーケストレーションで演奏するというものでした。まずは、音場の定位が、前作のようにほぼきっちりと決まっています。フロントの左と右に、高弦と低弦、リアでは金管と木管が、曲によって左右入れ替わっています。それはいかにもデモ音源的な発想で、今聴くとちょっと引いてしまいますが、当時はこれが喜ばれたのでしょうね。
最初の方は、シンプルな編曲だったのですが、後半になると、かなりマニアックな編曲が増えてくるようです。バッハ風の「Michelle」などは、最初は何の曲かわからないほどでしたね。そして、最後はしっかりピカルディ終止になってましたね。
その後の「Hey Jude」は、もろ「ボレロ」でした。これらの編曲を行ったディック・リーブという人は、ただ者ではありません。
ここでソロを取っている人たちは、それぞれかなりの腕を持っているように思えました。きちんと名前と楽器のクレジットもありましたが、フルートとオーボエを両方演奏している「マルチリード」の人もいましたね。
後半のアルバムは、元々が様々なアルバムからクラシックをポップス風にアレンジした曲を集めたコンピレーションでした。ですから、録音年代は1968年から1975年までにわたっています。それで、最初に聴こえて来たのが1975年に録音された、ヴィヴァルディのギター協奏曲のカバーなのですが、その音場がとてもナチュラルなんですね。つまり、ビートルズの方では、エコー成分がその楽器のエリアで収束しているのですが、ここでは、きっちり向かい側のエリアまで広がっているのですよ。ミキシングのノウハウが蓄積されていった過程を見た思いでした。
バッハの有名なト短調の「小フーガ」には、こんな歌詞が付いていて、コーラスで歌われていましたね。
タイトルは「A Little Fugue for You and Me」、 「minor fugue」というのは「短調のフーガ」という意味です。

SACD Artwork © Vocalion Ltd


12月16日

The Art of Patrick Gallois 3
Patrick Gallois(Fl)
瀬尾和紀(Pf)
Virtus Classics/VTS-024


2010年にフルーティストの瀬尾和紀さんが創設したレーベル「Virtus Classics」は、瀬尾さん自身のフルートだけではなく、他のフルーティストやピアニスト、ヴァイオリニスト、ギタリストなど様々なアーティストを起用して、これまでに30枚以上のアルバムをリリースしています。
その中に、師匠であるパトリック・ガロワの演奏を、瀬尾さんがピアニストとしてサポートした「パトリック・ガロワの芸術」というシリーズが3枚あります。そのうちの「1」は、すでにこちらでご紹介していましたが、最近その「3」がサブスクで聴けるようになったので、聴いてみました。録音は、2022年5月に三重県総合文化センター大ホールで行われています。
今回のプログラムには、これまで同様、フルーティストにとっては必須のレパートリーが並んでいます。チェコのマルティヌー、ドイツのヒンデミット、フランスのプーランク(フランシス・プーランク)、ロシアのプロコフィエフと、様々な国の作曲家の、いずれも20世紀に作られたフルートのためのソナタばかりです。プロコフィエフの場合は、ヴァイオリンのためのバージョンもありますが、こちらのフルート・ソナタの方が先に出来ています。
まずは、マルティヌーのソナタ。前奏のピアノのアルペジオが華やかに始まった時に、瀬尾さんがピアニストとしても一流だということが改めてよく分かりました。それに続いて吹き始めたガロワのフルートは、おそらくマイクのセッティングのせいでしょう、不必要なノイズまでがはっきり捕らえられていて、ちょっと美しくない音の成分が混ざってしまっていました。でも、それは耳の方で補正を加えれば、それほど邪魔にはなりません。なんと言っても、ガロワのハイテンションな音はきっちり聴こえてきますからね。
このソナタでは、ガロワはテンポも堅実なものを選んでいるようで、まさに模範演奏のような隅々にまで行き届いた演奏になっています。ただ、時折早いパッセージの繰り返しのあたりではいくらか先走ったりしていますが、それは瀬尾さんのピアノがきっちりと修正していましたね。
2曲目のヒンデミットも、ガロワのふだんの演奏とはちょっと違った、かなり「おとなしい」仕上がりになっているように感じられました。とは言っても、ちょっとこの作曲家には似つかわしくないようなエモーショナルなところもあって、そのあたりがやはり彼の個性なのでしょう。
3曲目のプーランクは、なんと言ってもフランス音楽ですから、ガロワが醸し出すえも言えぬ雰囲気にはさすが、という感じがします。ただ、最初の楽章で頻繁に出てくる細かい音符の上向スケールが、あまりに丁寧過ぎてガロワらしくないような。でも、終楽章の動きの速いパッセージがひととき収まって、そのあとに急にゆっくりのテンポに変わってフルートのソロが入った時に、続いて入るピアノのニュアンスが絶妙でしたね。以前瀬尾さんがフルートを吹いていたコンサートで、ピアニストのこの部分があまりに無神経だったので怒りを覚えたことがあったのですが、その時のピアニストとは雲泥の差でしたね。
そんな感じで、ここまでは、ちょっと予想していたものとは違っていてなんとなくモヤモヤしたものが残ってしまったのですが、最後のプロコフィエフになって、やっぱりガロワだな、という演奏が聴けたのはうれしかったですね。なんと言っても、この難曲をよどみなく吹ききっているのがさすがです。そんな中で、独特の「ガロワ節」が出てくるのがたまりません。特に第2楽章などは、もう目いっぱいのテンポで、ピアノともども崩壊寸前でやっていましたね。おそらく彼はこの曲はもう数えきれないほど演奏しているのでしょうから、それを完全に手のうちに入れて、その上にガロワ色をちりばめているのでしょうね。終楽章などはもうノリノリ、瀬尾さんのピアノもハイテンションで、まさに「阿鼻叫喚」状態で迫ってきます。
ガロワは、外観はかなりのお年寄りに見えますが、録音当時は「まだ」66歳。これからも、その元気で、ぶっとんだ演奏を聴くことができることでしょう。

CD Artwork © Virtus Classics


おとといのおやぢに会える、か。



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