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お米の祈り。
チャイコフスキーの「3大バレエ」の中では、他の2つ、「白鳥の湖」と「くるみ割り人形」に比べると、このバレエ音楽はちょっと印象が薄いのではないでしょうか。一応組曲もあり、それなりの録音もありますが、全曲盤となるとその数はほとんど片手で数えることができる程度のものしかないようです。 とは言っても、全曲の中から5曲を選んで作られた組曲は、ごく日常的に演奏されているようです。ただ、それは全曲の順ではなく、その配列はかなり入り組んでいることを、今回初めて知りました。そもそも、その最初の「第1曲」では、オープニングこそ全曲の最初を飾るイントロダクションと同じものですが、その後半は、第1幕の9番cの「リラの精の登場」が使われています。 続く「第2曲」は、第1幕の8番aの「アダージョ」、「第3曲」は第3幕の第24曲「長靴をはいた猫と白猫の踊り」、「第4曲」は第2幕の17番「パノラマ」、「第5曲」は第1幕の6番「ワルツ」となっています。これだけで20分弱の組曲となるので、オーケストラのコンサートではメイン曲の前に演奏するのにちょうどよいサイズですね。そして、その配列もなかなか良いバランスになっているのではないでしょうか。 ただ、やはりこれだけでは、まず時系列が入れ替わったりしていますから、それを是正し、さらにはもう少しナンバーを加えて出来れば物語の全貌もおぼろげに分かることもできるようにと、独自の選曲で演奏したくなる指揮者もたくさんいるのではないでしょうか。 今回のロウヴァリもそんなことを考えて、この、彼自身の手になるハイライト版を演奏していたのでしょうね。それは、2023年のロイヤル・フェスティヴァル・ホールでのコンサートでお披露目され、録音されていました。 ただ、ロウヴァリは、全曲版をそのまま抜粋したのではなく、1曲目だけは全曲版ではなく、後半を別の曲に差し替えた組曲版の第1曲と同じもので演奏しています。これは、聴き慣れた組曲版のイメージを損なわないような配慮だったのでしょう。 そして、その後には、全曲版の配列に従って、もう10曲が演奏されています。もちろん、その中には組曲版の4曲はすべて含まれています。 とは言っても、なんせ11曲しかありませんから、全部演奏しても34分ぐらいにしかなりません。まあ、昔のLPの時代でしたら、そのぐらいの時間でもアルバム1枚というものは普通にありましたが、CDになった時にはそれではあまりにも短すぎます。ですから、このアルバムには「CD」で始まる品番が付けられていても、どうやらCDとしてのリリースはないようですね(時間が少ないよう)。つまり、ストリーミングかダウンロードでしか入手できないのでしょう。 デジタルの世界では、短めのアルバムについては、かつての長時間シングル盤の呼び名である「EP」という名前で、そのような中途半端な長さのものもリリースされているようになっています。まあ、無理して曲数を増やすより、必要なものだけを集めて一つ、という方が、聴くものに対しては親切なのかもしれませんね。 ロウヴァリの指揮ぶりは、「白鳥の湖」で見せたような、とても颯爽としたものでした。聴き慣れた1曲目の「序奏」などは、まさにこの曲のあるべき姿を再現したのでは、と思われるほどの、すべての面で納得のいく演奏でした。次の、やはり有名な「ワルツ」も、とてもアグレッシヴで、同じフレーズが何度も何度も繰り返す、ちょっとじれったいところでも、納得のいくような運ばれ方でしたね。 そんな具合で、組曲として聴いてきたナンバーはそれぞれ新鮮に感じられ、楽しめたのですが、それ以外の曲は、1回聴いただけではなんともつまらない曲にしか聴こえませんでした。もしかしたら、全曲を聴いたら、寝てしまうかも、そんなところが、他のバレエ音楽にちょっと負けているのかもしれません。でも、最後の曲にはピアノが入っているのですね。驚きました。 Album Artwork © Signum Records Ltd |
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そんな年なのに、その模様を逐一報告する立場にあった「レコード芸術」という月刊誌は、すでに2023年の7月号をもって廃刊になっていましたね。ただ、その廃刊から1年経ったころに、同じ出版社でまだ廃刊にはなっていなかった音楽雑誌の「音楽の友」の8月号で、大々的なブルックナーの特集が組まれていました。まあ、雑誌はなくなってもそのスタッフは残っていたのでしょうから、こんな形で本来は「レコード芸術」がやるべきことを行っていたのでしょう。ほんと、それを見た時には、「レコード芸術」が復刊したのかと思ってしまいましたよ。 さらに、その時の特集や、それ以前のコンテンツを骨子にして、新たに加えられたものも含めたムックが、今回「音楽の友12月号別冊」という形で刊行されました。それは、確かに、この出版社の総力を挙げて作られたのではないか、と思われるほどの、たっぷりの内容のものに仕上がっていました。 このムックの最大の使命は、ブルックナーの、特に代表作である交響曲に関しての、最新の情報を提供する、ということだったのではないでしょうか。そのために、巻頭では、現在進行中の楽譜(新アントン・ブルックナー全集)の校訂にかかわっている2人の人物、ポール・ホークショーとベンジャミン・コーストヴェットに直接インタビューしたものが掲載されています。そのインタビュー(メールによるもの)を行ったのは、最近「ブルックナーのしおり」という著作を音楽之友社から上梓した新進気鋭のブルックナー研究者の石原勇太郎さんです。石原裕次郎のものまねもやってますね(それは「ゆうたろう」)。 そのお二人とのインタビューは、とてもエキサイティングでした。そもそも、彼らのことは最近のCDなどでは頻繁に目にしていたものの、その本人の写真には初めてお目にかかりましたからね。中でも、ホークショーが、交響曲第8番のハース版について「もはや8番をハース版で演奏する理由はありません。図書館の書棚に追いやるべきでしょう」と言っていたのは痛快ですね。それが、最新の校訂者の見解なのでしょう。確かに「批判校訂」という立場からは、それは全く当然のことだと思えます。 一方のコーストヴェットも「ブルックナーは、各稿をそれぞれ一貫した音楽作品として考えていた。したがって、第1稿、第2稿、第3稿という表記が、彼の構想を最もよく反映しているので、年代を使うのは不正確でしょう」とおっしゃっています。実際に、彼が校訂を行った交響曲第4番の第1稿では、以前は「1874年稿」と呼ばれていたものを、新しい資料に基づく(楽譜自体も変わっています)「1876年稿」として、それが最終形であることを示唆していますね。 ただ、それぞれのインタビューのページでは、彼らが実際に校訂を行った楽譜の実物の写真(石原氏所有)が掲載されていて、ホークショーは確かに「新アントン・ブルックナー全集」なのですが、コーストヴェットの場合は、故ベンヤミン=グンナー・コールスが校訂を行った「アントン・ブルックナー原典版全集」の写真なのですよ。ありえないミスですね。 ![]() ![]() もう1点、今年はブルックナーの交響曲のすべての稿が初めて同じ指揮者によって録音されています。しかも2人も。そのうちの、ちょっと問題のあるものが、裏表紙で大々的に広告になっています。 ![]() Book Artwork © Ongaku No Tomo Sha Corp. |
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これまでに、DELOSレーベルとWARNERレーベルから何枚かのアルバムを出していますが、今回はWARNERからの4枚目となるアルバムです。タイトルが「天使と悪魔」という、いわば「コンセプト・アルバム」、最近では、従来からあるような、一人の作曲家のあるジャンルの曲だけをまとめて録音してアルバムを作る、というのではなく、テーマを絞って多方面の作品を集める、という作り方が増えているようですね。 彼自身の言葉によると、「長い間、天国と地獄、霊的なものと肉体的なもの、聖人と罪人といった 相反するテーマを扱ったリサイタルのプログラムを思い描いてきた。」ということなのだそうです。確かに、文学や美術といった芸術作品の中には、このテーマを扱ったものがたくさんありますし、それを音楽の中にも見出すことは、それほど困難ではないはずです。 ということで、オーエンは18世紀のバッハから、20世紀のメシアンまでという、3世紀に及ぶ時系列の中での作曲家たちの、このテーマに対する挑戦を紹介してくれています。このジャケットからして、その「二面性」が。 まずは、最初の部分でそのバッハを登場させて、同じ作曲家が描き出すこの相反する2つの側面をくっきり浮き出しています。「悪魔」として登場してくるのは、BWV 659のコラール前奏曲を、ブゾーニがピアノのために編曲したバージョンです。この録音では、ピアノの音がとても生々しく聴こえるようなマイクアレンジのようで、それによってこの曲が格段と重苦しいものに思えてきます。演奏もとてもねっとりとしたもので、まさに「悪魔」そのものが見えてきます。 それに続いて「天使」として登場するのが、フランス組曲の第5番です。ここでのオーエンは、その前とは別人のような軽やかなタッチで、この小粋な組曲を聴かせてくれています。サラバンドなどは、たっぷり歌いこんで、幸せ感満載、ブーレやジーグでは、繰り返しになるとフランス風の趣味がたっぷりの装飾が加わって、とても華やか、まさに「天国」です。 そして、ここで、初めて知ったアメリカの作曲家、エドワード・マクダウェルの登場です。メインの作品はピアノ曲のようで、知名度はいまいちですが、その曲はなかなか魅力的でした。まずは、「モダン組曲第1番」の中の「狂詩曲」という、最初のバッハのような重苦しい曲です。でも、途中でなんだかロマンティックな部分が出てくるあたりが、おそらくは「天使」のメタファーなのでしょう。でも、最後の最後に、決定的な断罪を表すアコードで、地獄に落ちるという仕掛けなのでしょう。 でも、もう1曲の「2つの幻想小品」の中の「魔女の踊り」というのは、まるでメンデルスゾーンの「スケルツォ」みたいな軽やかさで、かわいい魔女が現れます。 サン=サーンスが作ったオペラ「サムソンとデリラ」の中の「バッカナール」というオーケストラの曲を、ピアノだけで演奏するというものすごいものもありました。酒を飲んだ酔っ払いが踊りだすという俗っぽい音楽の中に、とても甘い歌が入っているという不思議な曲ですが、それぞれのキャラをピアノの右手と左手で完璧に弾き分けているのがすごいですね。 しかし、なんと言っても圧倒的だったのは、最後から2曲目の大曲、メシアンの「幼な子イエスにそそぐ20の眼差し」の終曲「愛の教会の眼差し」ではないでしょうか。メシアンの代名詞である分厚い和音の応酬で、「天使と悪魔の戦い」が描かれます。最後は天使が勝利を収めるのでしょうが、それを讃えるのが、やはりメシアンの得意技の鳥の声なのですからね。 そして、最後はフォーレの「レクイエム」の「ピエ・イエス」です。絶妙なハーモニーが、ピアノだけだとさらに救われる思いです。 CD Artwork © Parlophone Records Limited |
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もちろん、音楽そのものには、直接的にそのような暴挙や愚行に立ち向かう力は全くありません。しかし、音楽の持つ精神的な安らぎこそは、真の平和な世界の実現への助けとなるのだと、強く信じたいものです。 ここでの主人公は、これがこのレーベルへの4枚目のアルバムとなる、エリザベス・ホルテの指揮によるウラニエンボリ・ヴォーカルアンサンブルです。録音が行われたのはホテルではなく、、この合唱団の名前となったオスロに1886年に建てられたウラニエンボリ教会です。 ![]() ![]() ![]() ここではさらに2人のプレーヤーが加わってシンセサイザーが演奏されています。そのアレンジも担当しているシェティル・ビェルケストランという人は、多くの世界的なアーティスト、例えばレイ・チャールズ、キース・エマーソン、そしてノルウェーのスーパースター「A-ha」たちのためにアレンジやプロデュースを行ったり、メンバーとして録音に参加したりしているのです。このシンセサイザーは、始めて見ました。 ![]() もちろん、ア・カペラの合唱は最高。伸び伸びとした発声で、完璧なハーモニーを作り出しています。彼らの歌からは、心底幸せになれるエキスが発散されています。そこに、1曲だけ、きらびやかなフルート・ソロが入っています。演奏しているのはトルン・カービー・トルボという、ノルウェーを代表するピリオド・フルート奏者です。ここで吹いているのはモダン・フルートですが、おそらく木製の楽器なのでしょう。その硬質の音色が、合唱とは見事にマッチしています。 ここでの演奏曲は、ほとんどが民謡や伝承歌といった、シンプルな曲なのですが、その中に先ほどのビェルケストランのオリジナル曲も2曲ほど取り上げられています。その中の「Lacrimosa」という、あのモーツァルトの「レクイエム」の中でも最も愛聴されているナンバーと同じタイトルの曲が、このアルバムのコンセプトを根底から覆すような斬新なものだったのには、驚かされました。まずは、とても静かにオルガンのペダルで「C」のロングトーンが始まるのですが、そこに合唱が同じ音と、その長3度上の「E」の音とでヴォカリーズで加わってきます。やがて「G」の音も入り、ひとまず「ハ長調」の美しい和音に決まったと思っていると、今度は「E」の半音下の「Eb」や「G」の半音上の「Ab」といった異質な音が加わってきます。つまり、「長調」と「短調」が混在しているようなハーモニーになってくるのです。というか、それはほとんど「クラスター」に近い、「音の塊」として迫ってきます。そして、そこにシンセサイザーが、同じようなハーモニーをまるで打ち寄せる波のように加えてきます。 ライナーノーツでは、これは「メシアンの影響」と紹介されていますが、それよりもリゲティの「Lux aeterna」の方がよりモデルとしては相応しいのではないでしょうか。 こんなアグレッシブな曲が入っていることで、アルバム全体がとても引き締まったものになっています。 SACD & BD-A Artwork © Lindberg Lyd AS |
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彼の演奏を初めて聴いたのは、シベリウスでした。その新鮮な感覚には、確かな手ごたえを感じることが出来たのですが、その後で挑戦していたマーラーでは、それほどのものは感じられませんでした。そんなところに、ショスタコーヴィチです。一体どんなものに仕上がっているのか、とても興味がありました。ここで彼が取り上げたのが「6番」と「9番」という、かなり短めな交響曲だというのもユニークです。2曲まとめても、1時間にならないのですからね。 ショスタコーヴィチと言えば、その「9番」以外はかなり長い曲、という印象がありました。あいにく、彼の全交響響を聴くという機会がなかったので、他にもこんな短い曲があったことに気づかされました。そこで、手元にあった唯一の交響曲全集、ルドルフ・バルシャイ指揮のWDR放送交響楽団の演奏で、11枚に15曲が収まっていて7000円ほど、という、その値段だけが魅力で買ったもので、それぞれの演奏時間を調べてみました。 ![]() 1番 29:27確かに、1時間を超える曲は4曲しかありませんね。30分前後の曲がゴロゴロしていました。ちょっと新鮮な発見です。発見と言えば、彼の作品は、まだ著作権が生きています。でも、彼は1975年に亡くなっているので、来年は没後50年で著作権フリーになるな、と思っていたら、なんと、著作権の保護期間は2018年にそれまでの50年から70年に延長されていたんですって。知ってました? ということは、あと20年は、著作権が生きているのですよ。残念。 つまり、CDを買ってはみたものの、いまだかつて「6番」をちゃんと聴いたことがなく、AMAZONでスコアを買おうと思ったらすぐには届かないようだったので、そんな時に役立つIMSLPも、まだまだなのだな、と思ったのですよ。 その「6番」は楽章が3つしかないという、不思議な形をしていました。しかも、最初の楽章が「Largo」という、とてもゆったりとしたテンポ設定なのですよ。普通の交響曲でも、最初にゆっくりの「序奏」があって、その後は「Allegro」に変わるというパターンが多いのですが、これは最後までゆっくりのままです。つまり、これは普通の交響曲の第2楽章。この交響曲には第1楽章がないのです。そこでまず、聴き手は意表を突かれることになりのですね。 とにかく、この楽章はヌラヌラと得体のしれない様相が続いて、なんとも緊張を強いられる音楽です。ただ、先ほどのバルシャイの演奏では、とりあえず音の始まりに力を入れて、ある種の「感情」を込めようとしているのですが、ロウヴァリの場合はそんな「小技」すら施さず、ひたすら起伏の乏しい進め方に終始しています。ダイナミクスもひたすら弱い音、そうなると、これがある種の快感につながってきます。作曲家にはそんな意図はなかったのかもしれませんが、これは絶妙なヒーリング・ミュージックなのでしょう。この楽章の後半では、フルートがとても長いソロを披露しています。それは情感を殺した、まさに「クーリング・ミュージック」でした。 そして、その後に、「まっとう」な音楽が続くというのが、さらなるサプライズです。第2楽章はまさに「スケルツォ」、そして終楽章は「ギャロップ」、もう管楽器などはさっきまでのようにゆったりすることは禁じられ、ひたすら早吹きの試練をこなすだけです。好きですね。こういうの。 「9番」の方はもう何度も聴いていますから、その「仕掛け」はよくわかっています。ロウヴァリはそれに逆らわず、さらにそれを「自然体」として受け止めているようです。いずれにしても、彼のショスタコーヴィチは油断が出来ません。 CD Artwork © Signum Records Ltd |
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その街に1891年に作られたのが、「ベスレヘム・バッハ合唱団」です。なんでも、この合唱団は、1900年にアメリカで初めて「ロ短調ミサ」の全曲演奏を行っていたのだそうです。さらに翌年には「クリスマス・オラトリオ」のアメリカ初演も行っています。 そんな、確かな伝統を持っている合唱団ですが、最近彼らが録音した、メンデルスゾーンによって編曲された「マタイ受難曲」を聴いていましたね。その時の指揮者はクリストファー・ジャクソンでしたが、今回はその前任者で、1983年から芸術監督として指揮を行っていたグレッグ・ファンフゲルドと2011年に録音した「ヨハネ受難曲」です。 ブックレットには100人を超える合唱団のメンバー表がありました。今の時代、バッハを演奏するための合唱のサイズは、そんなに大きなものではなくなっています。極端な話だと、各パートに1人だけで十分だ、と言っている人もいて、ひところ、そのような人数での録音が市場を賑わしたこともありましたね。まあ、今となってはさすがにそれはやり過ぎだ、と気が付いたのでしょう、そこまでのものはあまり見かけないようにはなっていますが、それにしても、各パートは多くても10人程度、というのがほぼスタンダードのようにはなっているのではないでしょうか。 そこに、その10倍の人数の合唱団の登場です。一体、どんなことになっているのでしょう。 ただ、オーケストラの方は、当然モダン楽器ですがヴァイオリンは11人、ヴィオラは、ヴィオラ・ダモーレを含めて6人ですから、それほどの人数でもありません。もちろん、木管をダブらせるようなこともしていませんから、ほぼ現代のスタンダード仕様です。 そんな編成での「ヨハネ」が始まりました。出だしは、この指揮者の年齢からは全く想像できなかった、かなり早めのテンポです。あまり重苦しくなく、サクサクと音楽が進んでいくのは、まさに今の時代ならではです。ただ、オーケストラの木管楽器のピッチがちょっとアバウトなような気もしますけどね。 そして、そこに合唱が入ってきます。それは、とても100人とは思えないぐらい小さな音でした。というか、かなりオフ気味のマイクアレンジで、少し音圧を下げているのかもしれません。 その合唱は、とてもソフトな音色で、ハーモニーもきれい、メンバーのレベルはかなり高いようで、そこに丁寧なアンサンブルの精進が感じられます。 続くレシタティーヴォ・セッコのエヴァンゲリストとイエスの2人は完璧でした。特に、エヴァンゲリストのチャールズ・ダニエルズはイギリス出身で、あのケンブリッジのキングズ・カレッジで学んだ方、かなりのご高齢ですが、その声はとても若々しく聴こえます。 コラールになると、合唱のバランスはかなり改善されていて、その声がきっちりと前面に広がります。こちらも、神に対する慈しみの心までが伝わってくるほどの、素敵な合唱です。 ただ、同じ合唱でも、トゥルバ(群衆)の部分では、ちょっとフットワークが鈍くなっているようで、集中力がなくなっているような印象がありました。 ソリストたちは、良い人もダメな人も。バスと合唱のアリア「Eilt, ihr angefochtnen Seelen」を歌ったバスの人は、あまりリズム感が良くないようですが、それに絡む合唱も乗り切れず、「 Wohin?」はグジャグジャでした。テノールの人は、自分の声に酔っているようで、コントロールがきいてません。 すばらしかったソリストは、カウンターテノールのダニエル・テイラーですね。無理のない発声がとても心地よかったです。ソプラノも可憐でしたね。 全体的に、ほっこりさせられるサウンドで、楽しめました。 CD Artwork © Outhere Music |
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ところで、この「回転木馬」という日本語のタイトルの原語はジャケットにあるように「カルーセル」ですが、普通はこの遊具のことは「メリーゴーランド」と言ってません? 正確には「メリーゴーラウンド」でしょうが、これは英語ではなくフランス語なのだそうです。ただし、そのスペルは「carrousel」で、「r」が1個多くなってますけどね。いずれにしても、このミュージカルの場合はこのスペルが公式表示なのでしょう。だれかに助言してもらう話なのでしょうか(それは「カウンセル」)。 そんな、回転木馬の「呼び込み」をやっている男が「ビリー」という名前の主人公なのですね。ただ、ストーリーとしては、「回転木馬」にはそれ以上の役目はありません。一応、序曲には「The Carousel Waltz」というタイトルがあって、それらしい美しい音楽が流れていますが、それに続く物語は、そんなハッピーなものではないのですね。 ただ、その「ワルツ」と、劇中で歌われる「If I Loved You」、「June Is Bustin' Out All Over」そして「You'll Never Walk Alone」の3曲は、スタンダード・ナンバーとして広く知られていますから、多くの人の耳には懐かしいものでしょう。 これらの曲が、まずはきちんとしたナンバーとして歌われていますが、それがさらにその後でも形を変えて現れますから、何度も刷り込まれることになります。結局、聴き終わった時には、その3曲が頭から離れなくなってしまうのですね。これこそが、ミュージカルの達人たるリチャード・ロジャースの極秘テクニックなのでしょうね。 まずは、彼の作るメロディのユニークさが、キャッチーさにつながります。たとえば、最初のナンバー「If I Loved You」はこんな曲(楽譜をクリックすると、音が聴けます)ですが、 ![]() そして、それをサウンド面で助けているのが、オリジナルのオーケストレーターであるドン・ウォーカーの存在です。「オクラホマ!」同様、ジョン・ウィルソンは初演の時のオーケストレーションを忠実に再現しているのですね。なんでも、つい最近お亡くなりになったミュージカル作曲家の最高峰と言われたスティーヴン・ソンドハイム(レナード・バーンスタインとともに「ウェストサイド・ストーリー」を作った人)によると、彼にとっては「ウォーカーの『回転木馬』は史上最高のオーケストレーション」なのだそうですからね。 先ほどの「If I Loved You」でも、長いヴァース(レシタティーヴォ)が終わってあのメインテーマが出てくる直前にハープが入り、いやが上にもその後のメロディへの期待を高めるという、粋なことをやっていましたね。 おおまかなストーリーはこんな感じ。先ほどのビリーが、回転木馬に乗りに来たジュリーという少女をナンパして、子供もできるのですが、仕事をクビになって定職に就けず、生まれてくる子供に何かしてやろうと焦って、犯罪に手を染め、その結果亡くなってしまいます。でも、昇天しても子供のことは見守っていて、その女の子が大きくなった時に、神様(かな?)に頼んで1日だけ下界に降りることを許されて、亡き父親のせいでちょっとかわいそうな境遇に遭っている娘を励まして、また天に帰る、というものです。 今回のキャストでは、「オクラホマ!」にも出ていたナサニエル・ハックマンがそのビリーを演じています。ただ、歌い方が前作とはちょっと変わっているようで、なんかドスのきいた声になったような気がします。役柄に合わせたのでしょうか。もう一人、やはり前回も歌っていたシエラ・ボッゲスという人もジュリーの友達のキャリー役で出ていました。ジュリー役のミカエラ・ベネットという人も、可憐な声ですね。 後半にはバレエのシーンがあって、そこでストーリーが進んでいくようなのですが、リブレットだけではそのあたりがよく分かりませんでした。でも、音楽だけでおなかが一杯になりましたよ。 SACD Artwork © Chandos Records Ltd |
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ただ、今回の最新アルバムは、録音は2022年に行われていました。つまり、まだサイモン・ラトルが音楽監督の時期ですね(次期音楽監督はパッパーノ)。イギリス人の彼は、2017年にベルリン・フィルを辞めた後、このイギリスのオーケストラのシェフとなっていたのですね。ただ、それもそれほど長続きはせず、2023年にはバイエルン放送交響楽団へ「転職」してしまっていたのでした。 このアルバムは、このオーケストラのコンサートマスター(イギリスのオーケストラですから、正確には「リーダー」)を2010年から務めているロマン・シモヴィッチが、2022年にソリストとして、このオーケストラをバックにして2つのヴァイオリン協奏曲を収録したものです。まずは6月に演奏したロージャの協奏曲をラトルの指揮で、そして10月にはバルトークの協奏曲を、現代音楽の方面で活躍しているケヴィン・ジョン・エドゥセイの指揮で演奏したもののカップリングです。録音場所は、ロンドン交響楽団が古い教会を改修してコンサート会場や録音スタジオとして使っているLSOセント・ルークスです。 まずは、ハリウッドの映画音楽をたくさん作った作曲家としてとても有名なハンガリー出身のミクロス・ロージャのヴァイオリン協奏曲です。以前こちらで、同じような境遇のコルンゴルトの協奏曲とのカップリングで聴いたことがありましたが、それほど記憶に残るような作品ではありませんでした。しかし、今回は、何しろ録音がとびきり素晴らしいので、それだけで気に入ってしまいましたね。特にソロ・ヴァイオリンはまるで目の前で演奏しているような生々しさが感じられるほどのリアル感がありました。オーケストラも、細かいところまでくっきりと音が聴こえてきます。 音楽の方も、第1楽章の冒頭から、ソロとオーケストラとが一緒に、なんともキャッチーなテーマを歌いだしたのですから、それだけで引き込まれてしまいます。それは、確かにハンガリー風のモードで出来ているようですが、それを彩るオーケストレーションが、とてもスペクタクル、さすがは、映画音楽で様々なシーンを盛り上げてきた人の作品です。 音楽は、まさにそんな、次々と現れるシーンのように、様々な情景が目の前に広がって行きます。と思ったら、まだ楽章の中ほどなのに、ソロのカデンツァが始まりました。それは優に3分を超えるほどの長大で技巧的なものでしたね。そして、その後には、これまで出てきたテーマが、全く装いを変えて現れ、激しく盛り上がって華麗にエンディングを迎えます。 第2楽章は、型通りの穏やかな、やはりハンガリーのモードのテーマで始まります。その次のシーンではオーケストラの中のフルート(ギャレット・デイヴィース)の美しいソロが、絡みつきます。チェレスタなども、彩りを添えていましたね。 終楽章は、にぎやかでリズミカルなダンス。最後には、ほとんどバルトークか、という感じのエンディングです。 そのバルトークが、ロージャの15年ほど前に作っていたヴァイオリン協奏曲は、音楽的にはかなり先進的なものになっていました。ロージャに比べると、その語法はまさに前衛的、キャッチーなメロディなど、全く見当たらない渋さです。終楽章になって、やっと元気な音楽が聴こえてくる感じ、それまでは、なんとも暗い音楽です。でも、底知れぬ味わい深さがありますね。 ただ、こちらはロージャと比べて録音がちょっと冴えません。同じ会場で録音されているのに、ソロ・ヴァイオリンの音がなんとも薄っぺらに聴こえるのですよね。 データを見ると、ロージャはDSDですが、バルトークはPCMで録音されていましたから、それが原因なのでしょうか。それまではDSDがメインだったのに、この時期だけPCMになって、最近はまたDSDに戻っているようですね。 SACD Artwork © London Symphony Orchestra Ltd |
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それぞれのプロフィールは、リーダー格で、ここでも作品を提供しているセバスティアン・ブルクナー=ルイスはウィーン・フォルクスオーパーのソロ・ティンパニ奏者で、グラーツ芸術大学で教鞭もとっています。今回のアルバムでは最多の曲を提供しているフローリアン・クリンガーも、ウィーン・フォルクスオーパーの打楽器奏者で、チューバやウクレレも演奏できるそうです。スロヴェニア生まれのクリシュトフ・フラトニクは、スロヴェニア国立マリボル歌劇場のオーケストラの打楽器奏者。グラーツ音楽舞台芸術大学の打楽器科教授のヨアヒム・ムルニヒは、このグループの編曲担当。ルーカス・サラウンもウィーン・フォルクスオーパーの打楽器奏者。編曲のセンスには、卓越したものがあります。アレッサンドロ・ペトリはフリーの打楽器奏者でグラーツ・フィル、ウィーン・フォルクスオーパーなど、オーストリアのさまざまなオーケストラのエキストラとして活躍しています。マクシミリアン・トゥメラーは、ウィーン国立歌劇場のバンダで演奏するステージオーケストラのメンバーで、2020年にこのグループに加わっています。そして、ジモン・シュタイドルは、グラーツ・フィルのティンパニ奏者です。 今回のアルバムには、全部で9曲が収録されていますが、そのうちの7曲までが、メンバーのオリジナルです。そして、残りの2曲がクラシックの曲を編曲したものですが、そのアレンジもやはりメンバーが行っているのですね。 使っている楽器は、マリンバやビブラフォン、グロッケンシュピールのようなメロディを演奏する楽器がメインですが、それ以外にもシンセサイザーの音が聴こえますし、ドラムセットも入っています。こちらで聴いた「MalletKAT Pro」も使っているようです。時には、メンバーがコーラスとして歌っているトラックもあって、とてもバラエティに富んだ選曲となっていますね。 オリジナルの曲は、基本的にはミニマル・ミュージックとしての体裁を保っているように思えます。そこに、ベース・シンセとかドラムが入ってくると、とても軽やかなグルーヴが現われて、なんともキャッチーな音楽となっています。時にはラテン風、時にはジャズ風(チック・コリアみたいな)に迫ります。どの曲も、ドラム担当のヨアヒム・ムルニヒは、無理にクラシックをやらせておくにはもったいないほどですから、曲全体のリズムが引き締まっています。 サウンドも、打楽器だけにこだわらない柔軟さがあるようで、ストリングスっぽいシンセの音なども存分に使って、リッチな響きも追及しているようですね。 そんな中で、ドビュッシーの「牧神の午後への前奏曲」などという曲を取り上げているのですから、いったいどんな仕上がりになるのか、興味津々でした。最初のフルート・ソロはビブラフォンでしょうか、とても繊細なタッチで原曲の味がよく出ています。最後まで原曲のテイストを大切にした、素晴らしい編曲を行ったのは、フローリアン・クリンガーでした。 もう1曲、クラシックの曲が最後に演奏されています。それはヴェルディの「運命の力」の序曲です。冒頭の金管楽器のファンファーレでは、シンセも大々的に加えて、原曲の持つ重苦しい感情を表現していましたが、こちらは「牧神」のような忠実さはなく、その後は確かにこの序曲のテーマを使ってはいても、もっと自由にフォルムを変え、後半はとても楽しいものに仕上がっています。なにしろ、何の前触れもなく、ムソルグスキーの「展覧会の絵」のテーマが聴こえてきたりするので、まさか、と思っていたら、今度はグロッケンで「魔笛」のパパゲーノのアリアですよ。そして、極めつけは、「マイ・フェア・レディ」の中のナンバー「I'm Getting Married in the Morning」ですからね。こちらの編曲はルーカス・サラウン。楽しすぎます。 CD Artwork © Ars Produktion |
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その後の詳細な紹介でも、「オーボエ協奏曲 ニ長調 K.314(原曲:ハ長調)」とありますから、ここでのピッコロ奏者ジャン=ルイ・ボーマディエは、その「オーボエ協奏曲 ハ長調」を、全音高く「移調」して演奏しているのではないか、と、誰しもが思うのではないでしょうか。 そういうことであれば、これはちょっと聴き逃すことはできないレアなものだということになります。つまり、おそらく、全てのフルート協奏曲の中で最も有名で、演奏頻度も高い「フルート協奏曲 KV314 ニ長調」は、同じケッヒェル番号を持つオーボエ協奏曲のキーを全音上げたものなのですが、それは単純に「移調」したわけではなく、多くの個所でフレーズの音型が変わっているという、全く別の音楽なのですからね。どちらの曲が先に作られたのか、という点については諸説あるようですが、いずれにしても、モーツァルトは、どちらかの曲を、あくまで「参考」として、もう一つの新作を作っていたのではないでしょうか。確かに双方は非常によく似てはいるが、曲としては別のものだ、という位置づけなのですよ。まあ、「セルフカバー」ということでしょうか。 つまり、代理店のインフォは、そのオーボエ協奏曲を、「そのまま」全音上げて演奏しているものなのだ、と、明確に主張しているのですよ。ところが、聴こえてきたのは、良く知られたただの「フルート協奏曲」でした。 ということは、このインフォを書いた人は、この音源は聴いていなかったのでしょうね。そのような職種の人が、フルート版とオーボエ版の違いが分からないわけはありませんからね。だとしたら、いったいどこから「オーボエ協奏曲」という発想が出てきたのでしょう。謎です。 ここでピッコロを吹いているボーマディエは、おそらくソロ・ピッコロ奏者としては、最もたくさんの録音を出しているのではないでしょうか。それによって、この楽器の知られざる魅力を多くの人に知ってもらったという功績は、高く評価できます。 そして、それだけのことを成し遂げたのは、彼がそれだけ長くこの業界で活躍していた、ということになります。彼が生まれたのは1949年5月8日だそうですが、この録音は2014年の4月に行われているので、もう少しで76歳になるという頃ですね。あのペーター=ルーカス・グラーフが95歳になってもまだ現役を貫いているように、もちろん個人差はあるでしょうが、フルート、そしてピッコロという楽器はかなりの高齢になっても演奏できるものなのでしょう。 そして、実際にこのアルバムを聴いてみると、その卓越した技量にはいささかの衰えもないように感じられます。なんと言っても、彼の美点は、高音でのピアニシモの美しさではないでしょうか。この楽器での3オクターブ目の音は出すだけでかなり難しく、どうしても力に頼ってしまうところがあるのですが、彼の場合は、そんな大変な音を、いとも慈しみ深く、味わいを持って吹くことが出来るのですよ。 そんな美点を、まずここでも感じることができます。とは言っても、やはりその音域でのピッチのコントロールは、かなりヤバいことになっているのは明白です。というか、そもそもこの方は若いころからピッチに関してはかなりおおらかだったような気がします。それで、このモーツァルトの、特にゆったりとした真ん中の楽章では、もう笑うしかないようなとんでもないピッチで吹いているのですから、なにか悲壮感のようなものが漂ってきます。彼は、「引き際」を逸してしまったのでしょうね。まあ、納豆でも食べて長生きしてください(それは「ひきわり」)。 CD Artwork © Scarbo |
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おとといのおやぢに会える、か。
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